Mozart ピアノ協奏曲第21番ハ長調K467/第27番 変ロ長調K595
(フリードリヒ・グルダ(p)/スワロフスキー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団)


DENON  28C37-31(コンサートホール原盤) Mozart

ピアノ協奏曲第21番ハ長調K467
ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調K595

フリードリヒ・グルダ(p)/ハンス・スワロフスキー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団

DENON 28C37-31(コンサートホール原盤) 1963年録音  中古600円にて購入

 7年ぶりの再会〜ご近所BOOK・OFFにて。2007年はStravinsky「春の祭典」(ピエール・ブーレーズ1963年)も再入手できたし、旧コンサート・ホール録音へ原点還りの当たり年だったのでしょう。 相変わらずの安物買い”【♪ KechiKechi Classics ♪】”生活だけれど、クラシックCD世間相場もぐっと下がって廉価盤は日常の姿となりました。中年街道まっしぐらのワタシは、欲するままにCDを入手できる身分(安物だったら)となりました。このCD、1,000円(BOOK・OFF最高値!)だったが貯まっていたポイント使って購入強行!

 でも、聴き手のほうがお疲れ気味でして・・・音楽が身の回りに溢れれば幸福(しあわせ)になれる、ということでもなくて、心身共に健康じゃないとダメだということはあたりまえ。Mozart はワタシにとって無条件幸福だし、この演奏も同様・・・優秀録音とは言い難い残響不足だけれど、聴くのがツラくなるようなものでもありません。

 ハ長調協奏曲K.467には華やかなる”装飾音”が一杯〜これは即興ではないそう(以前のコメントは誤り)で、おそらくは作曲当時の演奏習慣研究の賜なのでしょう。まるで、あちこちで小鳥が囀(さえず)るような楽しさ!演奏そのものはエキセントリックな方向ではなく、グルダ33歳若々しく清廉なもの。第1楽章カデンツァは陰影深く、劇的な性格です。著名なる第2楽章「アンダンテ」(「短くも美しく燃え」)は、ピアノ・ソロの入りが(ワザと)遅れ、全体にジャズ風の弾き崩し(!)が頻発します。それでも音楽の風格、作品の姿勢は崩れない・・・どころか、粋なオトナの味わいが漂う。

 終楽章はコロラトゥーラ・ソプラノの、変幻自在なる技巧を聴かせられているような、幸せな気分に。軽快な躍動、繊細なタッチ、爽やかな推進力/ノリに溢れます。初めて出会った衝撃は消えてしまったが、稀有な愉悦感に酔いしれました。

 変ロ長調協奏曲K595は、曲想が晴明静謐で、まるで「白鳥の歌」(学術的には違うのだろうが)。ここでも多くの(細かい)装飾音が登場するが、前曲のような弾き崩しがないのは作品テイストの尊重でしょう。さっぱり淡々とした速めのテンポにて粛々と音楽は進み、第1楽章ラストの”付け足し”が可愛らしいオマケ。第2楽章でも、あちこちで小鳥が(控え目に/楽しげに)囀(さえず)ります。ほとんど別の作品?というくらいソロ旋律に飾りが付いている。

 終楽章は「春への憧れK.596」と同じ旋律であって、いかにも繊細控え目な歓びに充ちました。

 スワロフスキーのバックにも不満はない。この団体はウィーン・フィルのメンバーなのか、フォルクス・オーパなのか微妙だけれど。

(2008年5月30日)

(コンサートホールLPよりDATに録音)

 これは、LPを最終的にすべて処分するとき、どうしても離れがたくてDATに落とした録音。日本コンサート・ホール・ソサエティのオリジナルLPでした。(ジャケットぼろぼろの中古。たしか500円)

 2000年、グルダが亡くなりましたね。まだ、信じられない。70歳を過ぎていたなんて・・・・・・。ワタシはグルダの佳き聴き手ではありませんでしたが、いつも気になるピアニストのひとりでした。悪しき伝統の破壊者であり、真の芸術の擁護者でもあったと思います。

 これほどまでに、楽譜にない音で埋め尽くされた演奏は存在しないはず。この録音から30年経っているのに、こんな自由な即興演奏はいまだに存在しない。グルダ自身による後の録音でも、これほどではありません。(アバドとの協演。感動的な演奏に間違いないが)

 ハ長調協奏曲の冒頭、管弦楽の伴奏が始まったところで、もうピアノのソロが乱入しています。ちょうど、バロックの通奏低音が自由に装飾音を付ける感じ。ソロが始まると〜たしかに聴き慣れた旋律に間違いはないが〜即興的な旋律が加わって、自由で。同じ旋律が繰り返されるときには、装飾音が「変奏」されている念の入れよう。

 そう、じつは「即興演奏」ではない。考え抜かれ、研究し尽くされ、たどり着いたひとつの結論でしょう。それにしても、この衝撃は凄い。なんど聴いても驚き、聴けば聴くほど奥が深い。

 ソロのリズムも平気で変えちゃう。有名な、映画「短くも美しく燃え」(嗚呼、なんという美しい日本語)に引用された第2楽章は、あるべきピアノ・ソロの第1音が出てこない・・・・・と、相当に遅れて、リズムを引きずって〜ちょうど、演歌系の歌手が思いっきりルバートをかけたり、派手な節回しを付けたり〜そんな演奏。濃いリズムに身体も揺れます。

 終楽章は早いテンポで進みます。ハジけるようなリズムが快いが、細かい装飾音だらけなんです。

 でもね、この演奏の本当の魅力は「音の飾り」にあるんじゃないんですよ。モーツァルトが残した譜面、管弦楽があり、ピアノ・ソロがあり、それが噛み合って音楽となる。それをグルダは身体全体で受け止めて、オーケストラと一体となってMozart の喜びを表現している。「ノリ」です。「感興の高まり」ともいいます。演奏者自身の感動でもあります。芸術の再創造。

 それは変ロ長調協奏曲を聴くと、いっそう理解できる。この曲、もともと虚飾を取り去ったようなもの。たしかに「装飾音」は聴かれるけれど、ハ長調協奏曲ほどの衝撃は感じません。

 そっと抑えたような調子で始まりますが、やがて抑えきれない歌心が溢れてきて、どんどん楽しくなってくる。力強い打鍵も聴かれます。グルダの音色は美しいが、それも意識させないような「自然さ」がある。(第1楽章ラストの勝手なソロがとてもユーモラス)

 第2楽章のピアノは、もうほとんど原曲の印象をとどめていない。ワタシ、この楽章は淡々と弾けば弾くほど「真の悲しみ」が表出すると信じていました。グルダはとても楽しい。しっかりとしたリズム感もあります。シアワセにしてくれます。

 終楽章は、そっとそっと、デリケートに春の喜びを歌います。中庸なテンポで、流れがとても良い。春の日差しはどんどん暖かくなって、ピアノは喜びを隠しきれない。歌が止まらない。

 スワロフスキーのバックは立派です。これだけの音楽を支えてくれれば文句なし。

 音質は最悪。曇った音です。LPに付いていた針音もありました。それでもCD化されるときに、よけいなノイズをカットして平板な音に駄してしまう・・・・ことにはなっていないのが救いです。国内盤も出ていますが(2000円!)どんな音なのでしょうか。


 その後・・・・MDに落としました。「音質は最悪」なんていいながら、(ミケランジェリの1950年代の録音の後に聴くと)まったく気にならない。本当に楽しい。「愉悦感」みたいな言葉が思い浮かびます。「天衣無縫」というのもピタリ当てはまる。(2000年11月18日追加)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi