Bruckner テ・デウム/モテト集/詩篇第150篇(オイゲン・ヨッフム/
ベルリン・フィル/ベルリン・ドイツ・オペラ歌劇場合唱団/バイエルン放送合唱団)


DG UCCG-4667 Bruckner

テ・デウム
第1曲「神なる御身を我らはたたえ」(Te Deum laudamus)/第2曲「御身に願いまつります」(Te ergo quaesumus)/第3曲「御身の民を救いたまえ」(Salvum fac populum tuum)/第4曲「主よ、御身の民を救い」(Salvum fac populum tuum)/終曲*「主よ、われ御身に依り頼みたり」(In te Domine speravi)
マリア・シュターダー(s)/ジークリンデ・ヴァーグナー(a)/エルンスト・ヘフリガー(t)/ペーター・ラッガー(b)/ヴォルフガング・マイヤー(or)/ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団/ベルリン・フィル(1965年)

モテト集
昇階誦「この所を作り給うたのは神である」/モテット集 「アヴェ・マリア」/アンティフォナ(交唱)「マリアよ、あなたはことごとく美しく」/アレルヤ誦「イサイの杖は芽を出し」/昇階誦「これこそ大祭司である」/奉献誦「乙女たちは王の前に招き入れられる」/賛歌「パンジェ・リングワ」/昇階誦「正しい者の口は」/賛歌「王の御旗は翻る」/昇階誦「キリストはおのれを低くして」
リヒャルト・ホルム(t)/ヘドヴィヒ・ビルグラム(or)/バイエルン放送合唱団(1966年)

詩篇第150篇
ベルリン・フィル/ベルリン・ドイツ・オペラ歌劇場合唱団(1965年)

オイゲン・ヨッフム

DG UCCG-4667

 Brucknerの声楽作品は意外と拝聴する機会がある・・・それは、うんと若いころFM放送から流れた「アヴェ・マリア」に一聴!痺れたからであって、ところがあれから幾十年経ても、耳に残るその美しい旋律に再会できておりません。NAXOS盤を買い求めたけれど、そこに収録された「アヴェ・マリア」は別物でした。(処分した記憶はないけれど、そのCDは棚中に見当たらず)爾来、その感動再び!求めて幾十年、類似の感銘は拝聴の度いつも保証されております。

 正しい音楽の知識薀蓄は【♪ KechiKechi Classics ♪】の範疇に非ず。未完に終わった第9番の最終楽章に、との作曲者の意向であったらしい。おおよそ22分ほど、長さもちょうどよろしい。途中出現する*交響曲第7番第2楽章「アダージョ」の旋律に心奪われ、もし一連の流れとして完成していれば(別な価値と意味を持った)「第九」として、いっそう愛されたことでしょう。

 世評高い新旧ヨッフムの交響曲全集を、ワタシは苦手としております。そのテンションの高さ、時にモウレツに走ったり、声高に煽ったり〜そんな演奏スタイルには少々御遠慮気味。とくにベルリン・フィルの輝かしいサウンドは、Brucknerの素朴天然旋律ハーモニーな味わいとは少々異質かも?ド・シロウトなりそんな印象もありました。この声楽作品も基本、そんな先入観が前提となりました。

 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団(テ・デウム/詩篇第150篇)とバイエルン放送合唱団(モテト集)、各々担当する作品風合いが異なるから、カンチガイかも知れぬけれど、表現個性の違いをしっかり愉しみましたよ。「テ・デウム」は溌剌と生命(いのち)の輝かしさに溢れ、ヨッフムの”テンションの高さ、時にモウレツに走ったり、声高に煽ったり”〜そんなスタイルも似合う作品でしょう。問題は聴き手、受容側の体調、精神的状況のみ。ソロが多いということもあってか、ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団共々”ヴィヴラート豊か”、”表情たっぷり”に感じます。ワタシ、一般にこの方向はアカンのですよ、もっと透明、整ってスッキリしたもの希望〜でもね。

 この説得力、昂揚は並じゃない。この寒い季節、心身ともに体調維持している成果なのか。じつはMozart ミサ曲ハ長調K.317(1976年)にて似たような経験をしておりました。評価が高いのも納得、はち切れるような歓喜に充ち溢れました。ちなみに「詩篇第150篇」も同一印象也。これは聴き手が元気じゃないと、受け止められない。

 モテト集は、ア・カペラ乃至オルガンのみ、賑々しい管弦楽は入っておりません。なんせ出会いはコチラ系ですから。バイエルン放送合唱団はヴィヴラート控えめ、透明な響きが作品の神々しさを引き立てておりました。これは稀代の名盤と読んでも良いのでしょう。

written by wabisuke hayashi