Beethoven 交響曲第9番ニ短調 作品92「合唱付き」
(ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ2007年)


 Zig-zag Territoires KDC5044 Beethoven

交響曲第9番ニ短調 作品92「合唱付き」

ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ/合唱団/アンナ・クリスティーナ・カーポラ(s)/マリアネ・ベアーテ・シェラン(a)/マルクス・シェーファー(t)/トーマス・バウアー(b)

Zig-zag Territoires KDC5044 2007年録音

 音楽とは嗜好品であって、唯一無二絶対的”究極の名盤”は各々音楽愛好家が探せば良いのでしょう。世評ランキング(いまでもありますか?)みたいなものは一切見なくなって、21世紀にもフルトヴェングラー/バイロイト音楽祭(1951年)が人気No.1?新しいもの=すべて佳しに非ず、先人の遺産を大切に拝聴することも大切、でもね。数万円出費厭わず新しい復刻が発売されればそれを入手、幾種も同じ音源が手元に揃ってそればかり〜そんな音楽への接し方にも少々違和感有。新しい切り口を愉しむ、種々幅広く拝聴することが大切と考えております。

 この「インマゼールの第九」は(サイト内検索によると)2012年12月に聴いて曰く

こちら最新の古楽器系演奏の成果や如何・・・もとよりワタシは古楽器派、期待を以て拝聴いたしました。

これが・・・どーもいかん。精緻精密に仕上げられ、古楽器の技術的洗練も極まった手応え、たっぷりあります。美しく、まとまりの良い演奏。ベーレンライター版云々のテンポ設定には耳慣れて違和感ありません。でもなぁ、なんか淡々と盛り上がらないのは我が、貧者のオーディオの責任でしょうか。編成の小さな作品とか、デリケートな味わいには欠けないはずなんだけど(迫力はないけれど)・・・かつて、ハノーヴァー・バンド(1988年)の演奏には感銘深かったんだけどなぁ、こちら上手いんだけれど、なんかさらさら流れて全然ツマらない。やはりBeeやんとは相性がよろしくない。

 この前に出会いのオーマンディにも不満を述べているから”Beeやんアレルギー”極まっていた時期でしょうか。久々の拝聴に充分な手応え+感動感銘を得ました。旧録音(1999年SONY)があったとは今回初発見、世評が割れていることにも思わずニヤリ
エグイベートーベンで好きになれない。高音域がとても汚い
曲による出来不出来の差が激しい。最悪の例が第9の第3楽章。ここには神秘性・深遠さのかけらもなく、空しい音の行列が続き辟易してしまう。フルヴェンが恋しくなってしまう。概して、早い楽章の出来は良いが、遅い楽章はいかにも間延びして苦しい
合唱の人数が少なすぎ、ミキシングでも持ち上げてないので、合唱が貧弱にしか聴こえない
 こんなご意見の前後に、結果として反論となっているようなコメントもあって、リスナーは自分の耳で判断するしかない。「高音域云々」は録音上の問題とは考えられぬから、そもそも古楽器の音色が嫌いということなんでしょう。”フルヴェンが恋し”い方には”空しい音の行列”に聴こえ、壮麗な大人数合唱団に馴染んでいる方には”人数が少なすぎ、貧弱”に感じられることでしょう。なんせ聴き手は1960年台からのレコード芸術に馴染み、慣例、積み重ねですから。

 ひと通りインマゼールの快速、爽快な「第九」を拝聴して、件(くだん)のフルトヴェングラー/バイロイト音楽祭(1951年)第3楽章「Adagio molto e cantabile」久々確認。パブリック・ドメイン.mp3音源からの自主CDは(おそらく)音質的には笑止千万それでも、もの凄い陰影、呼吸の深さ、色気、千変万化する色彩ニュアンス、説得力に驚愕(音質も記憶よりずっと良好)〜そんなこんな我らがインマゼールは如何(ピッチはA=440Hz国際基準。ベーレンライター版+αとのこと/ド・シロウトにはあまり関係ないけど)・・・

 1824年当時の楽器や会場を鑑みた古楽器演奏も、表現試行のひとつ。21世紀の楽器の変遷、演奏技量、大きなコンサートホールに則した表現をあながち否定できないでしょう。しかし、ワタシはかなり若い頃からBeeやんの重さ、壮大さに威圧と違和感有、”人類の懊悩はすべて自分が背負う!眉間に皺”的1960年代的風情にも拒絶感がありました。やがてハノーヴァー・バンド(1988年)との出会いは衝撃、賛否世評喧(かまびす)しいデイヴィッド・ジンマン(1998年)は古楽器(系)スッキリ軽快サウンド・リズム嗜好を決定づけて下さいました。音質改善とも軌を一にしていたのかな?閑話休題(それはさておき)

 基本第1第2ヴァイオリン各々左右に対向配置、左方奥コントラバス、右方奥ティンパニとなって、ノン・ヴィヴラート、小編成、奥行き空間たっぷりスッキリ、オフマイクな(往年の豪腕浪漫演奏に比べれば頼りない)響きが前提。第1ヴァイオリンは2プルト(8名)意外と芯があって、充実しております。あり得べきテンポ設定の件は(ロジャー・ノリントンの邦訳)こちらのサイトが詳細親切第1楽章「Allegro ma non troppo, un poco maestoso」始まりました。オフマイクで音像が遠いから、それなりボリュームを上げて、しっかり細部理解できる(それなり)オーディオ水準も必要でしょう。昔馴染みの豪腕浪漫サウンドを期待しても”なんか淡々と盛り上がらない”ってなことに〜2年前スピーカー交換前のこと、きっとボリュームも低かったんじゃないか。ごりごり威圧はないけれど、リズムに切れ味メリハリとノリあり、粗野なティンパニの存在感が際立ちます。古楽器演奏の洗練は進んでおります。”高音域がとても汚い”ことはない・・・管楽器の素朴な音色は馴染みと嗜好の世界でしょう。天空から神秘的なものが降ってくる、そんな風情とは遠いかも。

 第2楽章「Molto vivace」。この楽章の躍動は(拍子こそ違え)Bruckner 交響曲第9番ニ短調第2楽章「Scherzo」を連想させる興奮有。マイルド素朴なサウンドを前提に、しっかりとした足取りと間、リズムのキレ、緊張感+スケールに満足できるもの。ここも粗野なティンパニ大活躍!慣れの問題かも知れぬけれど、テンポは中庸(と感じるように)中間部(トリオ)は快速(Presto)、サラリとした推進力は好ましい風情と受け止めました。問題は第3楽章「Adagio molto e cantabile」の長大なる瞑想的変奏曲でしょう。”優雅な変奏曲はホルンの技量が問われる纏綿たる美しい楽章〜ほとんど別作品に思える淡々とした超・快速(わずか12:32)”とは数週間前の感想です。(フルトヴェングラーは19:32!)優雅・瞑想に非ず、浮き立つように軽快デリケート、旧来のスタイルからのノーミソ脱却を強いられました。

 第4楽章。これも長大な変奏曲なのでしょう。冒頭「Presto / Recitativo」は(もちろん作曲者指示通り)快速、しかし現代楽器に慣れた耳に、不協和音の衝撃は緩衝されております。「歓喜の主題」は暖かく、柔らかく成長して"O Freunde"へ(ここでもティンパニの存在鮮やか)声楽ソロの表情は豊かであり、少人数の合唱は端正に整っておりました。(貧弱といった評価はどこから?大阪城ホール壱萬人の合唱のイメージか)アラ・マルチアには作品風情に相応しいユーモア+リズムを感じます。低音ゴリゴリ、壮絶な推進力に非ず、響きはあくまで軽快、喜びの合唱最高潮には更にテンポがあがります。(トータル約25分弱はフルヴェングラーと変わらない)クライマックスに向けての熱狂もあくまでクリアな響きを崩さない。

written by wabisuke hayashi