Bruckner 交響曲第5番 変ロ長調
(ゲオルグ・ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団)


NAXOS	 8.553452 Bruckner

交響曲第5番 変ロ長調

ゲオルグ・ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

NAXOS  8.553452  1996年録音

 ネットの恥は一生残る〜って、リベンジ・ポルノとか過去の悪行のことに非ず。一時話題となったゲオルグ・ティントナー(1917-1999)のBruckner全集は既に処分済、別に消しても良いけど十数年前の(恥ずかしい)コメントはそのまま【♪ KechiKechi Classics ♪】に残っちまう。21世紀に入るとCD価格暴落、かつて手が出なかった一流オケの名盤を聴けるようになって、若さと謙虚さを失いつつあったリスナー(=ワシ)はティントナーのBrucknerはオケが弱いと感じるように・・・そこから十数年経ちました。

 ネット時代は深化して、音楽はデータで聴く時代へ。最終的には人間の耳頼りなのは当たり前として、処分してしまった音源を気軽に再確認できるようになったのは僥倖でしょう。偶然、たまたま再聴した第8番ハ短調(1887年版初稿/1997年録音)、第7番ホ長調(ハース版/1997年録音)の飾らない姿に思いの外感銘有、ティントナーとの出会いの原点にいざ帰らん!といったところ。オーディオ環境も変わってますし(部屋、アンプ、スピーカーとも)。

 交響曲第5番 変ロ長調は全曲中、屈指の巨大な作品。出会いはクナッパーツブッシュ(1956年/改訂版)それはLP一枚に収まって安かったから、版のことなんか全然気にしなくて、その恐るべき巨大な壁を仰ぎ見るような作品に深い感銘をうけたものです。真っ暗な地下室に一歩一歩降りていくような出足は第1楽章「Introduktion: Adagio - Allegro」やがて金管のコラール(これが巨大な障壁)〜カッコ良い第1主題が金管主体に歌われれるところ。テンポは中庸、淡々として、オケの個性的にも厚ぼったい重さ皆無、金管は意外と頑張って、力みもなく素朴誠実、意外なほど決然とした表現は悪くないと感じます。十数年前は”弱い”とか”タメや間が足りない”とか、そんな記憶だったはず・・・たしかにこの楽章最終版にはややもっさりとして、テンション不足感じなくもない。

 オケの弱さも音質の不足も感じません。金管も鳴っているし、ティンパニの刻みもおみごとでしょう。

 第2楽章「Adagio. Sehr langsam」(非常にゆっくりと)指示に反して、これも意外なほど淡々、さっぱりとした口当たり。弦の響きも爽やか、木管も清楚な響き、金管との対比も上々。厚みや官能性は薄くても、この優しい楽章個性には似合っていると思います。いずれカッコ良くはないけどね。やや速めのテンポな印象だけど16:24はワリとフツウ、チェリビダッケ(21分)に耳馴染んでしまったのか。

 第3楽章「Scherzo: Molto vivace - Trio: Schnell」。スケルツォ楽章はBrucknerのキモ、ここの大爆発、緊張感を期待したいところ。ややユルと云えばユルい?バランスよく清々しく、オケを鳴らせていると思いますよ。走ったりして切迫感を強調しないんです。朗々とした詠嘆もないけど響きはクリア。弦を主体にした副主題との対比もちょいと弱いのかも。でも、こんな自然体というか、素朴なテイストも悪くないでしょ。金管の清潔な響きはみごとでっせ。

 第1楽章冒頭回帰する第4楽章「Finale. Adagio - Allegro moderato」。ここまでたどり着くと、フツウ聴き手(=ワシ)は疲れ果てるんです。ティントナーだと汗水切迫感強要がないせいか、ちゃんと最終楽章に到着出来。いままでの楽章がいろいろ回帰するのは「第九」風か、前3楽章よりオケは厚みと熱気を増して、ていねいな仕上げでアンサンブルは進みます。やがて金管のコラールを契機に、ラスト二重フーガ〜クライマックスへ。物々しさのない、抑制された表現と響きはあくまでクリア、壮絶とか汗水飛び散った、みたいなものとは無縁な、自然な盛り上がり、万感胸に迫るラストがやってきました。

 ここ数年のリファレンス(参照の基準)はギュンター・ヴァント。その厳しい構築物、オケの圧倒的硬派なテンションとアンサンブルの緊張感、それを念頭に置くと”弱い””ユルい”といった評価になるのかも。最終楽章にいま一歩の”追い込み”が欲しいのも事実でしょう。しかし、この誠実さ、涼し気な響きに好感を持ったものです。20年ほど前の出会いはカンチガイではなかった。

(2015年9月5日)

 2002年再々聴です。ここ数日、Bruckner回帰が個人的に始まっていて、その勢いでティントナー出会いの原点に帰ろうかな、と。たしかこの第5番が1997年に出てくれて、シリーズ第1弾だったような記憶有。レコード屋さん(年齢がバレるな)で流れていて、そのスッキリとした演奏に驚いて買ったことも懐かしい。

 ちょうどこのHPを開いた頃と重なっていて、次々とリリースされる新録音に感動していました。しかし・・・・!?例えば緻密なスクロヴァチェフスキ、聴き手を諦めの境地へと誘う微速前進型チェリビダッケ正規録音の出現、最晩年の輝きを貫禄で飾った朝比奈翁(個人的にはあまり好きではないが)の大ブーム・・・・等々で、やや旗色が悪くなった感じもあります。

 挙げ句に亡くなってしまったでしょ?(1999年)ま、楽譜が珍しいらしいが、ド・シロウトにそんなこと言われたってあんましワカランし、全集にまとめたらスクロヴァチェフスキのほうが安い。(バラで順繰り買っているから関係ないとはいえ)なんとなく、最初の感動は薄れたような、オケがパッとしないような、大人しすぎるような、そんな印象に変わっちゃいましたね。「録音最高」なんて言っていたが、そうでもないかな?

 でも、結論的にこの演奏はよくわからない。とても好きで、ちゃんと感動するが。下に1999年の再聴記録があるけど、まったく恥ずかしい。ここ最近、エキセントリックなテンポ変化や、ダイナミクスの極端な変化を喜ぶような風潮があるが、ワタシはそれに異を唱えていて、自然体がよろしい〜とくにBrucknerにはそれが一番と思うんです。ティントナーの演奏って、なんかモサっとしたところもあるし、ま、「自然体」といえばそうかもしれないし、こりゃなんじゃ?

 HP読者からこんなメールをいただきました。

「林さんから宿題をもらっていた ティントナーのBruckner 結論から言うと『ヒーリングミュージック的なBruckner』ということになるのでしょうか 繰り返しが多く適度に長い(これはBrucknerの音楽の特徴でもある) 表情の変化が少なくあまり変化のない音色やテンポという特徴は、ヒーリングミュージックの常套手段です。

このことをティントナーが意図しているかどうかですが 私は確信犯だと思います。本当は、ヒーリングミュージックというより 中世の音楽(神秘劇など)や、ルネサンスの声楽曲、はたまたチベットの声明などのほうが例えとしては正確かもしれませんが。」

 〜な〜るほど。「ヒーリングミュージック」説ね。たしかにリキみがないかも。飾らない素朴さ、誠実さ、も魅力でしょうか。愚直と言っても良いかな。RSNOは好演していると思うがBrucknerの音じゃない。色が違います。でも、金管の開放感、シミジミとした弦の歌なんか、やっぱり素敵だと思うんです。なんかパッとせんなぁ、なんて時々思いつつ終楽章にたどり着くと、やはり胸の奥にアツイ感動が残ります。

 これ、白眉は終楽章ですね。オケもだんだんに暖まってきて、最高潮の盛り上がりと爆発がラストにやってきて、朗々とした歌心が素晴らしい。微妙にテンポが揺れる(少しずつ遅くなる)のもなんとも効果的。器用じゃないし、巨匠風でもないが、ようやくエンジンの回転がピークに達する時がやってきたんでしょうか。ここは文句なし。

 結局、ちゃんと全曲聴くはめになっちまう。じつは第3番と第1番を買っていないし、既にHPに掲載している文章も自分で不満ばかり。ティントナーは好きなんで、順繰り味わい直します。ま、スクロヴァチェフスキも、ヨッフムもそうなんだけど。

(2002年3月28日)

 全集へ向けて着々と録音を進めるティントナーの第一弾録音。1997年に発売されたときは、ずいぶん感心した記憶があります。最近、聴き返すと印象が変わりました。なんか、あっさりさっぱりしすぎ。理由はなんとなくわかっているんですよ。

1) クナッパーツブッシュの第3番を聴いてしまった。味付けが濃くて、これに慣れると薄味の繊細さはわからなくなったみたい。

2) (これを執筆時激暑盛夏〜1999年)夏バテで、明らかに集中力が落ちていること。

3) 部屋の冷房をしている「窓クール」(台湾製の安物)の音がうるさく、細部の音が聴き取れない。

 わりと最近出た1997年録音の第7番も、なんとなく大人しすぎて、すっきりしすぎて「?」状態でした。(一回しか聴いていないけど)ティントナーのBrucknerは大推薦のはずだったのに、あの感動は一時の気の迷いだったのか?と悩む日々・・・・今日この頃。なんとなく熱もある・・・・。体調も悪い。(食欲だけは落ちないが。もちろん体重も)

 ・・・・・・・で、休日に3度ほど聴きなおしました。ある時はスケルツォから、ある時は夢にまどろみながら、またある時は真剣に集中して。

 ようやくなにか見えてきたものがあって、ホッと一息。

 第5番は、もともとクナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルのLPが気に入っていたんですよ。低弦のピツィカートが不気味な世界に連れていってくれて、やがて金管による巨大な壁にぶち当たる恐怖。ティントナーの演奏では76分以上かかる長大な曲。しかし、Brucknerでは、ひときはわかりやすく、全体が見通しやすい名曲と思います。

 1917年生まれの大ヴェテランでありながら、この人のBrucknerは新しい。繊細で抑制が利いていて、威圧感が感じられません。ティントナーが共演しているオケは、いずれも濃い隈取りをするような音ではなくて、けっこう素直ですよね。たんなる契約上の問題とはいえない選択をしているんでしょうか。

 第1楽章前半は、線が細くてあまり個性らしい個性も感じられなく、ただ大人しい印象でしたね。でも中盤から、金管の息の長い合奏が透明で美しく、やがて自然に音楽に集中できるようになる。恣意的なテンポの揺れはほとんどなくて、最小限の動きの中でも充分な歌を感じます。追い込むようなアッチェランドも見られず、かといって重鈍にもならない。

 第2楽章はいっそう美しい。もともと力みは不要な楽章ですから、静謐さと自然な呼吸が決まっている弦の魅力。

 第3楽章も、猛々しい金管は力みたくなるところでしょうが「腹八分目」状態でクール。木管の軽快な響きも、弦の繊細なワルツもバランスがよろしい。

 最終楽章は、いままで抑えてきたものを吐き出したような入魂の演奏。かなり念入りに旋律を歌わせていて、力強さもあります。金管の大爆発がようやく来た感じ。それでもアンサンブルは絶対に濁らない。透明感もあります。

 最終盤の弦のフーガも練り上げられた精密さ、それが金管にじょじょに引き継がれて、圧倒的なフィナーレを迎えます。ラストで少しずつテンポを落としていって、透明な金管を朗々と歌わせて幕を閉じるスケールと満足感。

 ティントナーはどのオケを指揮しても、アンサンブルの磨き上げが凄いですね。かといって、不自然さも皆無。洗練されているが、素朴さも失っていません。息の長い旋律の歌がBrucknerに不可欠なのはあたりまえ。

 グラスゴーのヘンリー・ウッド・ホールの響きは瑞々しくて、録音状態は最高です。歴史的録音も悪くないが、Brucknerの無垢な金管の全奏は、やはり新しい録音が映えます。「極上の名酒は真水に似る」といった感想を持ちました。

(1999年)


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written by wabisuke hayashi