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「現代音楽」は止められない


 「クラシック音楽」ってなんですか?BBBBB(Bach 、Beethoven 、Brahms 、Bruckner、Bartok)のことでしょうかね。ワタシはビートルズの世代じゃないが、先日深夜テレビで見たクラプトンなんかは「クラシック」と感じました。山下達郎の「クリスマス・イヴ」はどう?ナツメロと紙一重だけれど、歴史の荒波にもまれ、世代を越えてなおかつ生き残る音楽が「クラシック音楽」かも知れません。

 いっそう範疇分けが難しいのが「現代音楽」で、ワタシの説だと多くの支持者が存在する流行歌(はやりうた)こそ「現代音楽」だけれど、クラシック音楽上ではStravinskyの「春の祭典」以降をそう呼ぶらしい。ま、難解で、耳あたりが悪くて、凶暴でウルさくて、演奏会にはお客を呼べず、CDはまったく売れないのが「現代音楽」のイメージか?

 「春の祭典」は、いまやたいへんな人気曲で「現代音楽の古典=クラシック」となっております。ワタシは中学生の時、ブーレーズ/クリーヴランド管の鮮烈な演奏に参ってしまって、激しいリズム感と変拍子、美しく叫ぶ不協和音にすっかり心奪われたものです。ウワサによると、小学生の音楽の時間にこれを聴かせたら、興奮のあまり子供達が踊り出したという(素晴らしい!)。

 新ウィーン楽派って知っているでしょ?Berg、Scho"nberg、Webern辺り。現代音楽と呼ぶには、もう前世紀の前半だし、かなり昔なんだけど、ここらが「現代音楽の古典」と思います。ワタシはBerg「管弦楽のための3つの小品 作品6」が大好きで、Mahler の交響曲第6番を聴くとこの曲を連想して、続けて聴くことが多い。

 「わずか20分の作品だけれど、馬鹿馬鹿しく巨大で、熱狂的にシニカル、虚無的でありながら暴力的な狂気を感じさせます」〜これ、ワタシがサイト中で書いた感想文だけれど、その通り。「Mahler を突き詰めて(甘さや余裕をそぎ落として)いくと、この曲に立ち至る印象」とも。「例えば幼児虐待、長期監禁、陰湿ないじめによる自殺、相手かまわない衝動的殺人、など変質的な事件が連続する不安をそのまま表現しているよう。聴いててツラい音楽だけれど、胸に突き刺さるような、ある意味深い感動があって、逃げられない」

 もちろん、こんな時代だから牧歌的なMozart も貴重だけれど、現実が現実だから、そうそう逃げてばかりもいられない。この度、1993年頃〜95年くらいまでのブーレーズのライヴをMDに整理したが、フランス印象派やWagner、Mahler と併せて、Bartok、Stravinsky(「春の祭典」もあるが、もっと知名度の低い作品も)、そして新ウィーン楽派を、驚くべき冷静さと精密さで表現したものがあって、圧倒されました。

 そのなかでも印象的だったのがBERIO「シンフォニア」。シカゴ交響楽団/スウィングル・シンガーズとの1995年5月31日サントリー・ホールのライヴ。Mahler の交響曲第2番「復活」〜「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」を自由に引用、コラージュした楽章が含まれており、ワタシのようなド・シロウトには「どうやって楽譜に表現したのか?」と不思議に思うばかりの、即興的(とくに歌声!)な世界の連続。(フランス国立管との録音が1000円盤で出ましたね)

 半日くらいこういった音楽に埋もれていると、Beethoven 辺りになかなか戻れません。聴いていて、あまりに陰鬱な気持ちに立ち至るShostakovich。手元にCDが存在する中では、Lutoslawski、Vare'se、Penderecki、Ligeti、Crumb、そして御大Boulezの音楽には、正直まだ歯が立ちません。

 でも、脳味噌の中のカユさを取り除くには、たまにこういう音楽も必要なんでしょう。ま、時代が時代ですから。(保育所で赤ちゃん殺してどうするっ!)「現代音楽」と呼ぶには少々違和感もあるが、少しずつ馴染むようになりました。(2002年5月24日)

 


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written by wabisuke hayashi