Shostakovich 交響曲第5番ニ短調
(ウラディーミル・アシュケナージ/ロイヤル・フィル)


421 120-2LONDON  GCP-1048 Prokofiev

交響曲第1番ニ長調 作品25 「古典」

ロンドン交響楽団(1974年録音)

Shostakovich

交響曲第5番ニ短調 作品47

ウラディーミル・アシュケナージ/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1987年録音)

LONDON GCP-1048→DECCA 421 120-2

 13年前の失礼なコメント以来の拝聴となります。(今回はProkofievは含まない)

 1937年生まれだからもう78歳、ヴェテランの域、彼は指揮者としての評価も上がって、日本での人気も上々でしょう。Mahler の新しい録音もなかなかの出来でしたよ。Shostakovich全集には日本での録音(NHK交響楽団)も含まれるのですね。あまり好みの音楽でもなく、未だ全15曲すべてに馴染んだワケでもなし、こどもの頃に聴いたコンドラシンから一歩も前進していないかも。”Mahler ブームの次はShostakovichだ”〜20世紀末の予言はあながち嘘っぱちに非ず、演奏機会も録音も増えてきました。かつてのコメントは往年の露西亜系演奏辺りを数少ない基準として、ノーミソ硬い先入観があったのでしょう。  

切迫感、緊張感に欠けて、なにやら耳あたりは悪くないが・・・
現代では、このようなバランスの取れた演奏が主流
「圧倒的技量の迫力」とはいかず、響きに薄さを感じます
ドキドキするような第1楽章の悲壮感、無骨でユーモラスでシニカルな第2楽章、ひしひしと不気味な第3楽章、様々論議を呼ぶ終楽章の爆発、いずれも中途半端な印象
・・・もう散々ボロカスな評価してますね。ネットで検索しても、ほとんどコメントらしいコメントは出てこない。あまり話題になっていない演奏ですか?やはりMahler ほど世間の人気はないのかも。

 十数年ぶりの拝聴印象は「耳あたり」よろしく「バランスの取れた演奏」、ロイヤル・フィルに「響きに薄さ」は感じなくて、もちろんアンサンブルの技量に不足もありません。こりゃ、なかなかエエじゃないか、音質も上々。おそらくは当時Shostakovichにもっと「切迫感、緊張感」やら「ドキドキするような・・・悲壮感」「無骨でユーモラスでシニカル」「ひしひしと不気味」さを求めていたのでしょう。そんな泥臭い音楽はもともと好きじゃないから、拝聴機会は増えませんでした。それでも現役世代の溌剌と洗練された演奏(鮮明な音質)をぼちぼち経験して、作品そのものの受け止め方が変わった結末でしょう。

 第1楽章「Moderato - Allegro non troppo」冒頭はMozart 「アダージョとフーガ ハ短調 K.546」にクリソツ。これってジダーノフ批判へのシニカルな回答(対策)なんじゃないか。クールかつニュアンスに富んだ表現は充分に洗練され、緊張感を維持した響き(弦)であります。ホルンや木管は(かつての露西亜イメージからは)ずいぶんと素直な音色と思うけど、上手いことは上手いんです。これ以上悲壮感やら絶望を強調しても仕方がない。

 ピアノが主導して無慈悲な金管が鳴り響く展開部のテンポ・アップ、切迫感もおみごと。ややテンポを落としてトランペット主導の行進曲もカッコ良い。ロイヤル・フィルは英国中屈指の粗野な響きを出してますよ。

 第2楽章「Allegretto」スケルツォ楽章。古典的な4楽章の体裁を取るのもジダーノフ批判の賜物でしょう。これがなんともユーモラスというか、巨象のダンス風わかりやすい躍動に満ちて、金管+打楽器大炸裂!(ロイヤル・フィル絶好調)たどたどしいヴァイオリン・ソロとの対象も優雅?シニカルのような・・・WikiによるとMahler 風レントラーとのことだけど、なんかぜんぜんちゃうなぁ、印象は。充分「無骨でユーモラスでシニカル」受け止めました。

 第3楽章「Largo」。静謐、嘆き、金管登場せず。Wikiによると第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、第3ヴァイオリン/第1ヴィオラ、第2ヴィオラ/第1チェロ、第2チェロ/コントラバスといった超フクザツなパート分けをしているらしい。木管とハープが哀しく絡んで、ここは劇的Mahler 風かな?ロイヤル・フィルは金管だけじゃないよ、ニュアンスたっぷりな弦の実力を発揮した楽章です。

 第4楽章「Allegro non troppo」〜艱難辛苦から勝利へ、ラスト大量打楽器群賑々しく動員した挙句、ニ長調に転じて結末はたしかにそう聴こえぬこともない終楽章。音質の優秀さがいっそう映える場面。先日初演者ムラヴィンスキーの1954年録音を初めて聴いて、この楽章は意外と急がず、抑制気味な表現に感心いたしました。冒頭ドラマ「部長刑事」テーマ音楽が鳴り響いて、その印象かなぁ、なんか良からぬ事件でも起こるような・・・アシュケナージは軽快にテンポを上げて、悲壮感を強調せず、スマートな表現。十数年前はこの辺りの軽さが気に喰わなかったのか。たしかにやや”流した”感じはあります。ちょっぴり。

 でもね。もう汗水全身吹き出て”艱難辛苦から勝利へ”といった、尋常ならざる力みも必要ない時代でしょ。ロイヤル・フィルの洗練された響き、技量、音質にも不満を覚えませんでした。大編成オーケストラの爽快な響きを素直に愉しんでもよろしいでしょう。

(2015年11月6日)

 曲的にも演奏家的にも、正直あまり興味はないが、数週間BOOK・OFFで売れ残っているのが可哀想で購入し(てあげ)たCD。ある意味、自分自身への反省もあって、アシュケナージって、現在の指揮界の中心的活躍をされている方でしょ?若い頃、いろいろ「新録音」には興味を持ってずいぶんと聴いた(FMが多かったが)ものだけれど、ここ最近、昔馴染みのCDが安かったり、で縁が薄くなってました。

 これが新録音?ということじゃなくて、アシュケナージがこんな録音をしていたことさえ、既に知識から抜け落ちている自覚。「やれ、この演奏はどうの」とか、エラそうなことをサイトに上梓しているが、演奏スタイルには流行廃れが存在するし、旬の指揮者の様子を知っておくことは大切なこと〜と自覚しております。調べてみると、ずいぶんと沢山の録音があるんですね。閑話休題。

 「古典」は彼のディスコグラフィを見ても、もっとも初期の録音なんですね。これがなんとも言えず素晴らしい熱気がある。まず、録音が鮮明なこと。(そうとうオン・マイクだけれど)ロンドン交響楽団が輝くような艶のあるアンサンブルなんです。少々リキみ返って、堅苦しい感じはあるがテンションの高さが並じゃない。

 この曲、なかなか理想的な演奏には出会わないものなんですよ。擬古典的な作品だけれど、じゃ古楽器系の演奏でやれるか(やってみてほしい)というと、かなりムリがあって、やはり近現代の厚みと迫力あるオーケストラじゃないとダメ。演奏技量はモロに出てしまって、この辺Haydnにも似て難曲なんでしょう。

 著名なる第5交響曲。「革命」と表記していないところは、このCDの見識か?彼はShostakovichの全集を目指しているらしく、ロイヤル・フィルと第1〜12番、15番迄発売されているじゃないですか?(室内交響曲も有)残りも録音済みですか?それとも、その後のレーベル再編、大不況、で録音中断?(なんと、あちこち再録音もあり)DECCAレーベルにはハイティンク全集がありますものね。

 以下、思い入れが少ないので、申し訳ないコメント少々ご容赦。まず、「古典」と音の感じが全然違って違和感有〜というか、こちらのほうがホール・トーンの奥行きもあって常識的なものだと思います。アンサンブルが整っていて、ていねいに表現されていること。明らかに、デビュー録音とは桁が違う「落ち着き」や「安定」があって、指揮者としての経験の積み重ねが刻印されております。

 でもこの曲、ワタシにはコンドラシンのイメージがあるのでしょうか、切迫感、緊張感に欠けて、なにやら耳あたりは悪くないが、最後まで流し聴きしていました。これは聴き手の問題かも知れません。現代では、このようなバランスの取れた演奏が主流なのかも知れません。

 ロイヤル・フィルは嫌いなオーケストラじゃないが、「圧倒的技量の迫力」とはいかず、響きに薄さを感じます。これは、逆に指揮者の責任かも知れないし、録音問題かも知れません。いずれにせよ、曲の好き嫌いを越えてドキドキするような第1楽章の悲壮感、無骨でユーモラスでシニカルな第2楽章、ひしひしと不気味な第3楽章、様々論議を呼ぶ終楽章の爆発、いずれも中途半端な印象があって、ワタシは入り込めませんでした。申し訳ない。

(2002年9月27日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
▲To Top Page.▲
written by wabisuke hayashi