Shostakovich 交響曲第 5番ニ短調(キリル・コンドラシン)


Shostakovich

交響曲第 5番ニ短調 作品47

キリル・コンドラシン/モスクワ・フィルハーモニー

LP→DAT→MDへ(1964年録音)

 「悲愴」とか「幻想」、Beeやんの交響曲辺りは苦手なんです。Brahms も、そしてこのShostakovich第 5番もすっかり敬遠気味。いかにも「それ」らしいというか、ウケ狙い(これは作曲家の責任じゃない?)というか。でも、音楽はもっと虚心になって楽しまないと。ナマで聴けば、たいてい感動するのも事実なんです。

 この作品・録音はワタシが中学生時代から馴染んでいたもの。新世界レーベルのLPで2,000円でした。札幌の玉光堂4丁目店で一日つぶして、悩み抜いて買ったはず。大金ですから。中年となった今では、もったいなくて買えません。子供の頃は、先入観もなくて、集中力も時間もあるから、いきなりその作品・演奏の本質を掴んでしまうこともあります。

 一方で「な〜んもわかっちゃない」こともあって、ガキには「粋」とか「諦念」「官能」は理解できない。とにかく紅顔(厚顔)の美(ぶ)少年だったワタシは、この演奏に震えるほど感動したんです。今残っているDAT録音は、社会人になってからLP全集で買い直したもので、その時期には人生を斜に構えていたせいか、真剣に聴いていません。

 一般にあまり音の状態がよろしくないロシア系の録音ですが、コンドラシンのはおおよそ響きに芯があって聴きやすいものが多い。冒頭からテンション高く、やや早めのテンポで骨太です。オケは(よい意味で)響きの肌理が粗いというか、生々しくて、切迫感があってザラリとして独特の魅力。

 コンドラシンは、センスとしてはロシア風コテコテではなくて、もっとストレートなものだと思います。迫力充分で、推進力もあるが、ロジェストヴェンスキーなんかの体質とは違う。オケがいかにも金属っぽい鋭い金管、硬質な木管や弦なので、「いかにも」っぽいサウンドに仕上がっているが、上品さを失わないと思います。第1楽章のモウレツに疾走するアッチェランドを聴いていても。

 「苦難に打ち勝つ現代の”運命”」か「強制された”歓び”」か、なんていう論争には興味がなくて、もっと純音学的に、よくできた交響曲として、この演奏の完成度は高い。ノーテンキさは微塵もなくて、メリハリ強烈〜強面で体力ありそうな脂ぎった演奏者が眼前に浮かぶような〜エネルギー爆発。但し、常識的に「苦悩〜戦い〜勝利」みたいな単純な図式には聞こえません。

 もっと複雑な不安があちこちに充満しているようでもあり、それを振り払うかのような激しい縦割りのリズム・・・・ これ第2楽章です。シニカルであり、強烈。続くラルゴにも胸が疼くような、もって行き所のない怒りみたいなものが渦巻いています。オケの緊張感は持続していて、「甘さ」のないオケの響きがこの曲には似合っている。中間部のサビの「泣き」は一流でっせ。

 終楽章は突っ走っている感じではなくて、推進力も迫力は相当ながら「勝利」みたいな雰囲気ではない。どんどんスピードは上がっているが、明快で、冷静だと思います。音質やセンスも含めて、1964年とは思えない現代的なものを感じさせて(ま、あまり沢山聴いていないが)今まで聴いたウチではベストでしょう。


 「MDの余白にはなにを?」ということで、いずれもフツウのFM放送のエア・チェックだけれど 祝典序曲 作品96 アシュケナージ/ロイヤル・フィル
ジャズ組曲 第2番 シャイー/コンセルトヘボウ管弦楽団

を収録。これ、演奏曲目とも上出来でした。NAXOSのジー/ニュージーランド響の演奏では、祝う気分になれない「祝典序曲」もなかなかのノリ。ジャズ組曲は、ジャズというよりアメリカの行進曲やサーカスのジンタ風で、いずれも楽しさ溢れる、あんまりノーミソを使わない曲。こんな曲も深読みすれば、なにか正反対の意味でもあるのでしょうか。それとも単純な機会音楽?オケの上手さは折り紙付き。(2002年1月6日)


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written by wabisuke hayashi