Schumann 交響曲全集(イエジー・セムコフ/セントルイス交響楽団)


VOXBOX CDX5019 1970年代の録音(のはず) 2枚組1,690円で購入 Schumann

交響曲全集(第1番〜第4番)

イエジー・セムコフ/セントルイス交響楽団

VOXBOX CDX5019 1970年代の録音(のはず) 2枚組1,690円で購入

 セムコフは1928年ポーランド出身の指揮者。1976年〜1979年にセントルイス響の音楽監督を務めていて、その時期の録音と類推されます。主にオペラ畑の人で、レコードは少なく、日本での知名度はほとんどなしに等しい。この録音、ワタシはLP3枚(ちゃんと米VOXレーベル。京都白梅町の十字屋で購入)で所有しておりました。つまり、この曲を初めて聴いたのがこの演奏なんです。

 長さ的にCD2枚にちょうど収まって、けっこう安く手に入って貯まるんですよ。この曲。数えていないが、5〜6種は手元にあるかもしれません。でも、この曲、好きじゃない。Brahms 以上に苦手で、「いったいどこが魅力的なのか?」と悩みつつ、久々に気持ちよく聴けたのがこのCD。録音はボンヤリ気味だけれど、このほうが聴き疲れしない。

 Schumannのピアノ曲とか室内楽、協奏曲などの自由で気紛れな世界は好きなんです。でも、交響曲はまとまりがなくて、旋律が大柄に聴こえて苦手意識がある。素朴な味わいと、構成感が欲しいところ。セムコフはその辺りのツボにハマったような印象有。

 現在、セントルイス響のシェフはフォンクでしたか?その前が一躍名を上げたスラットキン、セムコフは、その前に活躍した名匠ススキンドに挟まれ、いかにも地味な存在でした。でもこのオーケストラ、あまり聴く機会もないが、木訥で暖かい響きが魅力的でした。もの凄い名人揃い、という訳でもなさそうだけれど、厚みに不足せず、アメリカのオーケストラにありがちの「力任せ」でもない。土の香りがするような、あまり神経質でない「和み系」オーケストラか。


 「春」は「ライン」と並んで、俗っぽいというか、あまりに大衆受け狙いの雄壮な旋律が気に食わない。このCD、4楽章の交響曲第1番を、ごていねいにトラック5分割していて、つまり第1楽章の序奏を独立させていました。トランペットから始まる2:34は抑制が利いて、静かに、そして期待が盛り上がりつつアレグロに突入します。これがいつものイメージと違って、ドイツ民衆の舞踊を連想させるような味わいがある。

 このオーケストラ、とくに弦はシミジミとして好きですね。ドイツ・オーストリア系とは意味合いが違うが、中低音主体の響きは地味で飾り気がない。第2楽章「ラルゲット」がこれほどの名曲であったことを、初めて自覚しました。スケルツォはリキみがない。他の演奏ではウンザリすること必定の終楽章だって、良い意味でのノンビリとした味わいがあって、これは微笑みの演奏なんです。ホルンを先頭に管楽器群が暖かい。


 第2番ハ短調交響曲は(第4番と並んで)わりと昔から好きな曲。先日亡くなったシノーポリ(旧録音)で話題になったこともあるし、ワタシには1980年代にラインスドルフ/ウィーン・フィルのライヴをFMで聴いていて「これはわかりやすい曲」(世評と逆だけれど)とのイメージがあります。セルのライヴ(ERMITAGE)は別格に凄くてコメント不能。

 ジンワリと山肌を染めながら、上りくる朝日を連想させる序奏。続く激しく上下動する決然とした主題。セントルイス響は、ここでも冴えない鈍さ(というか、旧東ドイツ辺りの「地味渋系」とは異なるので)だけれど、リズム感は軽快で、ノリも充分。威圧感を感じさせないところは好ましい。アンサンブルにやや緻密さが不足すると感じるのは、セルの異常なる緊張演奏を知っているからでしょう。

 「スケルツォ」こそ、この作品の白眉。不安げであり、軽妙、哀しみもやすらぎも背景にある、不安定な旋律。細かい快速音型が続いて、アンサンブルをキチンと整えつつ、まとまった音楽に仕上げるのは難物でしょう。例の如しで派手さとは無縁の音色ながら、自在なテンポの揺れ(楽譜の指定はどうなっているのでしょう?)、中間部のやさしい歌、ラストの解決まで一気呵成に聴かせてくれて満足。

 「アダージョ」は弦〜木管〜ホルンの受け渡しが極上に深い。(交響曲第1番「ラルゲット」に負けない名曲)終楽章は、かなり大柄で押しつけがましい旋律だけれど、セムコフなら許せる(静かな部分が美しいので)・・・というか、この楽章が全体との関係ではバランスを欠いていて、まとめにくいのでしょうか。メリハリはあるが、アンサンブルはもう一歩緻密さを求めたいところ。


 「ライン」は、4曲の中ではもっとも有名だけれど苦手。なかでも第1楽章があまりにそれらしいというか、キマりすぎの旋律がいやなんです。立派なオーケストラであるほど拒絶感は強くなる。第2楽章の、いかにもゆったりとした大河の流れも事情は同じ。どんなにホルンが堂々としていても、ダメなものはダメ。この泥臭いオーケストラなら少しはマシだけれど、好きにはなれない。

 でも、やはり第3楽章「速くなく」は、やはり絶品のデリカシーで嫌いじゃありません。次の葬送音楽風の楽章は重苦しい。逆に終楽章は、あまりに爽やかさ狙い風で勘弁して欲しい・・・・・なんて言ってますが、セムコフの指揮は安定しているし、旋律のクサさがさほど鼻に付きません。オーケストラの厚みもある。ホルンの素朴さも良い。


 第4番ニ短調交響曲は好きですね。もしかしたら、フルトヴェングラーの猛烈に劇的な演奏を早くから聴いていたからかも知れません。暗く、浪漫的で、低弦の活躍は目を見張るほど。セムコフは抑制された表現で、例の如くザラリとした味わいある演奏を実現しております。ワタシの好みでは、いっそう燃えるような劇的な演奏が好ましいとは思いますが。


 第2番におけるセル、第4番におけるフルトヴェングラー。つまり曲の神髄を、いやと言うほど示してくれる演奏に出会うかどうかの問題かも知れません。セルのスタジオ録音も、クレンペラーの録音も聴いていないから、あまり好き嫌い云々をすべき時期ではないかも。

 セムコフ/セントルイス響の演奏は、「アメリカの(田舎の?)良心」みたいなものを感じさせます。あまり量的には聴いていないが、もし売っていたら試しに買ってみて下さい。


 と、書いているウチに思い出しました。LP→CDの入れ替え時期(1990年代初頭か)に、メータ/ウィーン・フィルの全集を買っているんです。(たしか2枚で1,000円)いまとなってはどんな演奏だったのか記憶も薄いが、とにかく全然気に入らなくて、即売り払った記憶有。それ以来、この曲に対する印象が悪くなっていたのでしょうか。(2001年6月29日)

この原稿執筆の経緯(外伝)


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written by wabisuke hayashi