Prokofiev ピアノ協奏曲第1/5/4番(ガブリエル・タッキーノ(p)/
ルイ・ド・フロマン/ルクセンブルク放送管弦楽団)
Prokofiev
ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調
ピアノ協奏曲第2番ト短調
ピアノ協奏曲第4番 変ロ長調(左手のための)
ガブリエル・タッキーノ(p)/ルイ・ド・フロマン/ルクセンブルク放送管弦楽団
(1972/73/77年録音)VOXBOX CD3X 3000 3枚組3,000円(税抜)で購入したウチの一枚
数年前に3枚目への言及記録が残っております。このCD入手も20年を経、価格相場は激変してしまって、3枚組3,000円(税抜)というのは現在相場ならあまりに贅沢!Prokofievにはじょじょに聴き馴染んで、その後マルティノンの交響曲全集も入手済み。室内楽作品、ピアノ作品もそれなり棚中に揃ったが、いずれそう熱心なる聴き手とはいえないでしょう。呆れるのは作品に対する嗜好変化のみならず、劣悪音質で悩まされたVOXレーベルなのに、現在そうは聞こえない、という事実。目の覚めるような鮮明なる音質!に非ざるのは前提として、たった今、話題のぴちぴち新録音と続けて比べても、さほどに苦にならぬのは不思議です。LP時代以降、CD時代になってからも彼(か)の劣悪音質印象はなんだったのかと、訝(いぶか)しく思うばかり〜日々益々、耳のノーミソもエエ加減になっているのか。
Prokofievは硬質硬派、妙にシニカルな旋律が最近素敵だと理解できるようになりました。協奏曲第1番 変ニ長調は20歳くらいの作品だそうで、明るく前向き平易な旋律、3楽章途切れずにわずか15分ほどのわかりやすい作品。タッキーノさんは日本で教えたりしているんだな、しっかりとした(凄い)技巧だけれど、硬質鋭利なテクニックそのものが前面に表出しない、キラキラした音色ではないにせよ、華やいだ雰囲気に溢れます。繊細さもある。
これが第2番ト短調になると旋律はハード、難解、硬派でシニカルに至ります。こんな作品が愉しめるようになった、ということですね。第1楽章「アンダンティーノ」は暗鬱かつ浪漫的、「カデンツァ」(ですか?)はまったく壮絶(な暗さ)でして、安易な技巧で乗り切れるものではない。第2楽章「スケルツォ」はあっという間、あれよあれよと流されて終わっちまう。細かい音型の繰り返しは剽軽であり、底知れぬ不安から逃げるようであります。第3楽章「間奏曲」は、がっちりとしたリズムと歩みが切迫感+不安+怪しさを高めます。ここは巨大なる追っ手が背後に迫って深まる危機感、手に汗握る!〜印象有。
終楽章も怒りに充ちた、激しい世界が待っております。出足剽軽っぽいが、音型あちこち荒唐無稽シニカルなピアノ旋律が、オーケストラと激しく演りあいます。タッキーノは”叩き付ける”タッチではないですね。やがて静謐、不安げな経過を辿って、リリカルなタッチのソロはテンポ・アップ。急に終わったかな?と思ったら、倒れて後、俄に起き上がるようにピアノが深刻に復活、これがけっこう長大なるカデンツァ、やがてオーケストラが絡んで対話が続いた後、堰を切ったようにフィナーレはハードな響きで締め括られました。タッキーノはやや穏健派表現は。
変ロ長調(左手のための)協奏曲は1956年初演らしいから、実演ではなかなか日の目見なかったんだな。第1楽章から、左手のみとは信じられぬ、例の如しシニカルなユーモアに充ちたソロ旋律であります。おそらくはかなりの難曲。第2楽章「アンダンテ」が白眉なのでしょう。暗鬱かつ嘆き、怒りのモノローグが静かに継続する9分間。オーケストラの伴奏旋律は浪漫的で美しいですよ。第3楽章「モデラート」に至っても、暗鬱不安なるテイストは変わらない。徐々にテンポとヴォリュームが上がるだけ。途方に暮れたような旋律はいかにもProkofievでしょう。無理矢理軽快な足取りな旋律登場でも、楽しげではない。
終楽章「ヴィヴァーチェ」はあっという間に終わるんです。ここも”シニカルなユーモア”系であって、情感の表出を許しません。
作品によっては、居たたまれなくなるほどのヘロ演奏に至るルイ・ド・フロマン/ルクセンブルク放送管弦楽団はかなり快調(マシ)でしょう。やや緩い、といった感じのアンサンブル。ま、いつもながらエエ加減なコメントでして、じつは同作品にて他の演奏を、真面目にたくさん聴いたことがないんです。棚中古強者CDに敬意を表してたっぷり愉しんだ、という趣旨をご理解下さい。 (2011年5月14日)
【♪ KechiKechi Classics ♪】 ●愉しく、とことん味わって音楽を●
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