中野 雄 ほか 「スジガネ入りのリスナーが選ぶ
クラシック名盤この1枚」

秘蔵のバッハから究極のシェーンベルクまで偉大な名盤500
光文社 知恵の森文庫 2003年発行  1,333円

 じつはこのサイト、もうやめようかなぁ、なんて思ってました。時代が変わったのか、自分が退化したのか、きっとその両方かも知れないが、「音楽の本」はほんとうにツマらない。いまから10年20年前は一読、清冽なる水が大地に浸み込むようにノーミソに、すべてが素直に吸い込まれていったものですが。

 ワタシの世代で「定番」とか「名盤」と呼ばれたもの〜例えばイ・ムジチ合奏団の「四季」とか、カラヤン/ベルリン・フィルの「運命」「未完成」とか、フルトヴェングラーの「英雄」とか〜そういう評価の固まった(みたいな)ものは、ほと んど意味をなさなくなりました。先代有名評論家達は「ドイツ的な、堂々とした」風な言い回しで、読者を煙に巻いていたが、いまとなっては時代を感じさせるばかり。

 諸井 誠 「ピアノ名曲名盤100」という本は大昔の1977年発行だが、逆にいまや消えてしまった演奏家の音源が偲ばれて新鮮です。昨今のニューウェイヴの(若手)評論家達は、あまりよろしくない意味でマニアック過ぎて共感が持てないのは、ワタシが別な意味でマニアックだからでしょうか。つまり、時代は混沌として、価値観が多様化しているんです。なぜ、市井のド・シロウトによる【♪ KechiKechi Classics ♪】にもそれなりのアクセスがあるのか?

 「クラシック名盤この1枚」〜この本を読んで氷解しましたね。求めていたものは「コレ」だ、と。30数人におよぶ「スジガネ入りのリスナー」が自分の「想い」を表現します。なかにはプロの方もいらっしゃるし、かなり長めの蘊蓄を傾ける場合もないではないが、ワタシには正直(それは)ツマらなかった。自分の感動を素直に、自分だけが知る音楽との出会い、喜びを大切に表現すること〜これこそが胸を打ちます。

 音楽に「屁理屈」こねるのも(それはそれできっと)楽しいけど、求めているものは「感動」です。正直、ここに収録されている「音源」(CD、LP、CDR、SP〜何でも有!)は、そうとうにマニアック(!)で、なかなか手に入りそうにないものもかなりあります。非常識に高いものも。子供の頃から中年に至るまで音楽を聴き続けてきたワタシでも、その存在を初めて知るものがかなりあって驚愕。

 で、正直、その道のプロ(昨今のニューウェイヴの評論家達)が執筆した本を読んでもなにも感じないが、ここでの素朴な告白には「嗚呼、一度聴いてみたい」と思わせるだけの説得力が溢れました。その演奏家と直接知り合って、その人柄に触れたり、ナマの鮮度を知っている方は、再生音源からノーミソでイメージ強化を図っているかも知れません。それでも良いんです。ワタシは感動の共有をしたかったんです。

 ましてや「これは自分くらいしか喜んで聴いていないだろうな、話題になったこともないし」〜なんて思っていた録音が登場すると、思わず膝を叩きたくなります。例えば、フリッツ・ヴェルナーの「マタイ」、バルヒェットのBACH ヴァイオリン・ソナタ集、ドロルツ弦楽四重奏団のDVORA'K/SMETANA・・・等々。自分の感覚と微妙に食い違うところなど、もう読んでいてタマらない!

 ああ、これ【♪ KechiKechi Classics ♪】の世界に近いね(と、勝手に)。所詮、一介の音楽愛好家が伝えられることは「音楽って楽しい、素敵、幸せ」と語ることだけでしょう。少々勘違いや、間違いがあったり、表現が稚拙だったり、誤字脱字頻発(許して!)でも、大切なものはそこだったんだね。(この本の中で「喧々囂々+侃々諤々」の誤った表現「喧々諤々」が一カ所登場します。探してみて。うぅ、イヤミ)

 裏表紙にある「至高の名曲、名演、名録音ガイド」というのは嘘っぱちです。「音楽に対する極私的愛情の発露」が正しい。久々、楽しませていただいた本です。1000円以上でも惜しくない文庫。(2003年6月13日)


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written by wabisuke hayashi