独言(ひとりごと)体調やら、お仕事やら人間関係やら、出会いやら、別れやら、いろいろあります。ことしはタイガースが18年ぶりに優勝したり、冷夏で10年ぶりの米の不作だったり、へんな年でしたね。秋の声を聞くと演奏会が増える〜定年の如く厳選(ウソ〜岡山にはそんなに演奏会はありません)した会場で音楽を楽しみました。 既にサイトにも感想文を上梓したが、その番外編を少々。おしゃべりおばさんが二人〜ご近所に。ナマの演奏会は掛け値なしに素晴らしいと思っているけど、おしゃべりには本当に困ってしまいます。どうして、眼前に演奏者が必死になって演奏しているのに、おしゃべりするんでしょう。 お年寄りが咳き込んだりするのは、そう気にならないんです。通路を挟んでワタシの席の真ん前、繊細な音楽の部分では小声で、大きな音響のところではやや大きな声で(きっと相手に聞こえるように)お話ししているんです。とても気になる。そのお話は演奏会が終わってからにして下さらないかな。貴女たちには、ワタシが音楽を楽しむ権利を妨害しないでいただきたい。 コレ、ここ数年二度ならず経験しております。ほんまに不快です。ワタシは所詮、主には「音楽の缶詰=CD」を部屋で楽しむことが多い人間です。例えば会場が異常に寒かったり、お隣の女性のオーデコロンが食欲を失わせるほど強烈だったり、上記の悪意さえ感じさせる妨害を受けると、それも悪くないかな、と。 そんなことを考えながら、そのまま休日夜の出張(前泊)に出掛けたものです。 岡山〜下関というのは、なんどか乗り換えないと到着しない。だから、本とポータブルCDは必須です。ところが電池が切れている。昨夜充電を忘れたみたい。倉敷から岡山に戻って、新幹線の出発時間まで約20分。キヨスクで単4乾電池を買えばいいが、原価を知っている身としては高すぎて手が出ない。やや小走りにダイエー地下の「ダイソー」を往復しました。嗚呼、ビンボー症。 ”のぞみ”に乗ろうと思ったら、混んでいて満タン。指定席には、さきほど関取の大集団を目撃しておりました。で、お向かいのホームにいた”こだま”へ。これだと、ゆっくり座れます。本を読みながら、ボールトのSCHUMANN交響曲全集(PRT TECC-23037/8 )〜さきほど友人から拝借したものをじっくりと。 でもさ、”こだま”って、雰囲気的に「走っているより、停車しているときの方が長い」印象があって、下関では職場の後輩と飲む予定だから、いったいいつになったら目的地に着くんじゃい、状態ではイケん!と広島でまた”のぞみ”に乗り換え〜新山口(風情のない駅名!)で”こだま”に、新下関で在来線(のりかえの廊下が長い!)に・・・ 本はね、久々ジンワリきましたよ。南木桂士「阿弥陀堂だより」〜映画にもなったよね(見ていないけど)。南木さんはお医者さんだけど、医療ものの範疇を越えて、貧しさと人間の幸せとか、生きることの尊さ、ほんとうに大切なこと、が次々と胸に溢れてきて、またラストシーンが眼前に浮かぶほど”救い”と”癒やし”で充たされました。DVDを借りないと。 ダイソーの単4乾電池は、件のSCHUMANNのCD二枚分聴いたら、いくじなくチカラ尽きました。ハハ、自分らしい。
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