Mozart ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537 「戴冠式」/第27番 変ロ長調 K.595
(ゲーザ・アンダ(p、指揮)/カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク・モーツァルテウム)


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Mozart

ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537 「戴冠式」(1966年)
ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595(1969年)

ゲーザ・アンダ(p、指揮)/カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク・モーツァルテウム

DG  429 001-2(1-10) 10枚組 11,250円(つまり@1,000以上)にて購入したウチの一枚

●盤面剥離(涙)にて数枚廃棄、生き残ったものはジャンク処分済

ネットよりダウンロード、拝聴できるようになりました

 8年後の再聴です。上記メモの通り1990年前後から始まったCDとのお付き合いも、さすがに盤面剥離(寿命)にボチボチ出会うようになってきました。大枚壱万円以上したアンダ全集はショックでしたよ。3枚ほどアウトになって、残りを状態正直に書いてオークション・ジャンク品として処分したが、受け手にとっては想像以上の(悪い)状態だったらしく、不快な思いをさせました。やがて時代は変遷し、2011年ネットにて音源を拾えるようになりました。音源に不変の価値がある、というのは少々怪しい、実際は聴き手の耳の熟練、嗜好の変化、その時の気分感情によって驚くべき印象変化をもたらすもの。演奏スタイルの流行廃れにも影響を受けることでしょう。さて、どんなものか。

 音質は自然だしけっこう鮮明、その良質なことを再確認いたしました。相変わらず、曖昧エエ加減なコメント残しておりますね。↓「戴冠式」が始まってみるとテンポが速いのみながらず、リズムに落ち着きもなくて前のめりっぽい。腰が落ち着かない。バックのアンサンブルも同様”〜なるほど。その筋の専門の方に伺うと、前のめりになるのは弾き振りのパターンなんだそう。カメラータ・アカデミカって、その後、シャンドール・ヴェーグのセレナーデ集を拝聴して、その優秀なアンサンブルに驚いたものです。ここでもけっこう素朴ながら、エエ味出しておりますよ。少々アンサンブルの乱れ、ちょっぴり響きの濁りなど本質問題ではない。

 アンダのMozart を聴いていると、ウキウキとした愉悦を感じます。粒は揃っているが、艶々の美音に非ず、表現はストレートというか、あまり飾りやタメがないもの。BartokやBrahms でも立派な演奏を聴かせて下さるが、ここでは無垢な表現にて暖かく、浪漫方面に走っておりません。ニ長調協奏曲K.537は後期の作品中ではあまり人気はないようだけれど、ワタシはこんな陰影のないシンプルな作品が大好き〜なんせ、初めて生演奏で聴いたMozart の協奏曲が、この作品だったんです(高校生時代)。

 第1楽章「アレグロ」には清潔な推進力、勢いがあり、第2楽章「ラルゲット」には淡々と透明な安寧、そして可憐を感じさせます。終楽章「アレグレット」は溌剌として明快、ピアノはしっとりとしたタッチにてコロコロと弾き進み、ここでもやや前のめりっぽい感じ。それも含めて、”ウキウキとした愉悦”なんです。

  変ロ長調協奏曲 K.595は白鳥の歌ですよ。最期の年の作品、すっかり解脱して、無垢な世界に入ったことが理解できます。清明、感情の起伏を表に出さぬ旋律続きます。第1楽章、冒頭2分半ほど続く伴奏の美しいこと!アンダはそっと慈しむように、哀しみを包み込むように参入いたします。粛々として揺れはない。オーケストラとピアノは完全に一体化して、息はぴたりと合っておりました。例の如し、次々と暗転して変調する魔法のような音楽。微細な心境の変化を表現するデリカシー。

 第2楽章「ラルゲット」はまるで彼岸の静謐。ピアノは微妙に躊躇い、揺れ、間があり、抑制の極みの果て、浪漫がかすかに香りました。オーケストラもよく歌っておりますよ、先の作品より好調だと思います。

 終楽章「春への憧れ」〜これは再生なんだろうな。さらりと速めのテンポ、コロコロ流れるようにさっぱりとした風情であります。先の「ラルゲット」との対比はお見事。

 大好きな作品、無条件幸福ヴォルフガング中でも屈指のお気に入りはピアノ協奏曲であります。古楽器演奏も好きだけど、こんな現代楽器でも作品の魅力はびくとしない〜いえいえ、アンダの妙技なのでしょう。エエもん聴かせていただきました。

(2011年8月26日)

 おじさんはツカれております。お仕事上、あちこちの接点でも、すべておじさんばかりの世界なので自覚はしていない(まだまだ若いで!)が、見た目(お互い)立派なおじさんたちであり、程度の差こそあれ皆草臥れているんです。そんな時には壮麗なMahler も荘厳なBrucknerも、ましてや戦うBeethoven もいけない。楽しく優しいMozart の出番でしょう。ワタシのサイトでもなんどか書いたが、世評ともかくワタシは「戴冠式」が大好き。

 ゲーザ・アンダ(1921-1976)54歳で亡くなったんだなぁ、もったいない。特別にグラマラスな技巧やスタイル、とろけるような美音を誇るわけではないが、味わい系とは決めつけられない、やや知的な味わいもあります。最近、ちょっと忘れられているかな?ワタシはこの彼の全集を購入したのが1991年〜当時としてはダントツに廉価だったが、その価格たるや今は昔。でも、少々お高いCDも存分に楽しめば安い!ということなんです。あたりまえだけれど。だからCD購入段階での価格(=価値)評価はむずかしいもの。

 閑話休題(それはさておき)、「戴冠式」が始まってみるとテンポが速いのみながらず、リズムに落ち着きもなくて前のめりっぽい。腰が落ち着かない。バックのアンサンブルも同様で、晩年には指揮経験もあるアンダの弾き振りオーケストラは、全集中いろいろ水準にバラつきはあるんです。ワタシは”勢い重視”路線だ、と擁護したいところ。ざっくりと細部神経質にならず、愉悦感と流れを大切にした、と。

 例の如しで耳目を驚かすような特別な表現やら、水も滴るような音色でもない、淡々としたピアノが走り出します。正直、細部のパッセージが甘いような、そっけない弾きぶりのようにも聞こえる(第1楽章)が、曲が進むに連れちゃんと熱を帯びてくるんです。気持ちよいMozart の世界が待っております。後期にしてはシンプルな作品ながら、ちゃんと「Mozart の暗転」もあるでしょ。ここでテンポを緩めてことさらに歌ったり・・・なんてことはありません。あくまで淡々と・・・チカラ強く(そう、やさしい叙情を湛えたものではない)演奏は進みます。

 この淡々路線は第2楽章「ラルゲット」ではいっそう説得力深く、終楽章は躍動感に+奥床しい配慮さえ感じさせて、「美人とは言えないが、内面から滲み出る心根の魅力」みたいなものを、ピアノに堪能しました。


 ワタシはMozart 大好きで、とりわけピアノ協奏曲は大好き!だから好みの優劣を付けることなんか不可能!です。でも、このラスト「白鳥の歌」変ロ長調協奏曲には、ムダを削ぎ落とし透明で達観した世界を感じますね。それはそれで特別なる魅力。アンダの表現は「戴冠式」とはかなり違っていて、静謐なる作品に相応しい抑制があり、細部仕上げをていねいに完成させておりました。

 冒頭、オーケストラのニュアンスも細かいし、ピアノの音色に艶と奥行き(遠くでそっと弾いているような)があります。淡々としているが、弱くはない・・・という路線は変わらないが、テンポが揺れたり(どちらかというと、細部入念さを加え遅くなるときが時に存在する)して、稀に断固とした打鍵による主張にもバランスを失わない。第2楽章「ラルゲット」は無言のつぶやきのような静謐。

 さらりとして儚い夢のような終楽章は、やや速めのテンポで語られます。とてもやさしく、キモチのよいMozart 。優秀録音とは(きっと)言えないのでしょうが、日常聴きに遜色ない自然な味わい有。オーケストラも極上とは評価できないかもしれないが、問題ない素直な技量でした。(2004年10月29日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

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