ナタン・ミルシテイン(v)/バルサム(p)1957年ライヴ


ERMITAGE 12041-2 Mozart

アダージョ ホ長調 K.261
ロンド ハ長調 k.373

Bach

シャコンヌ ニ短調 MWV1004

Beethoven

ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 作品24「春」

Paganini

カプリース 作品1-11/5
*作品1-1は表記ミス

Stravinsky

ロシアの歌

RIES(1882-1932)

常動曲(Perpetuum Mobile)作品34-5

PARADIS(1729-1824)

シシリエンヌ

Bach

フィナーレ ハ長調 BWV1005

ナタン・ミルシテイン(v)/バルサム(p)

ERMITAGE 12041-2 1957年ライヴ録音 445円

 1970年頃東芝からセラフィム1000シリーズが発売され、その中のナタン・ミルシテインの「春」(ピアノはフィルクシュニーだったかも?)を愛聴しておりました。(CA-5049 米Capital原盤か?)その音源は現在手に入らないようだけれど、ほぼ同時期のライヴ録音はここで聴くことが出来ます。ワタシの少々弱まった怪しげなノーミソでも、少年時代の瑞々しい感動の記憶となんら変わらない。この人は端正、背筋が伸びて、けっして艶やか華美な音色を表出させません。渋く禁欲的でさえあって、しっかり芯を感じさせるヴァイオリンが素晴らしい。

 このCDをレコード屋(死語ですか?)で見掛けたときの「期待」は、100%裏切られず音楽として部屋で鳴り渡りましたよ。いつもながらスイス・イタリア語放送局による見事な音質。これは希有な経験なんです。Mozart の「アダージョ」「ロンド」はワルター・ススキンド/コンサート・アーツ管(EMI TOCE 8952)でも楽しめます。(録音年不明。これも米Capital原盤と類推)ナタン・ミルシテインの十八番(おはこ)なんでしょうか。

 最晩年までテクニックに衰えを見せなかったナタン・ミルシテインだけれど、Mozart に於ける平明・平静な表情の優しいこと。技術的十全は、あくまで芸術表現のために存在する、ということでしょうか。微細にニュアンスを変化させ、音楽は進んでいくが、過度な表情付けは見られない「アダージョ」の歌。若い生命(いのち)が浮き立つような「ロンド」。ピアノ伴奏であることはマイナス要因とならず、むしろソロをいっそう引き立てました。

 一丁のヴァイオリンで、無限の宇宙を表現する「シャコンヌ」。リキみもない、細くもない、美音とは言えない、むしろ淡々とした知性を感じさせるヴァイオリン。細かいパッセージをなんの苦もなくこなしていくテクニックは、表層に流れず、走らず、技術のみを感じさせません。「艶やか華美な音色」ではなく、艶消しの渋さがある。響きは濁らない。聴き手を寸部も飽きさせない集中力有。精神はやがて昂揚し、何度でも聴き返したい、といった思いを深めます。

 「春」は奥床しい悦びに充ちて始まり、アダージョはあくまでバルサム(p)を前面に立てました。短いスケルツォは雪解けを表現して、フィナーレはハズむような快活なリズムが薫風を感じさせ、微笑みがこぼれちゃう。素晴らしいテクニックだ。旋律が楽しげにおしゃべりをしているようであり、言葉の意味が理解できるようでもあります。

 あとはコンサートのアンコール・サービスですか?「カプリース」特に作品1-5イ短調は超絶。「ロシアの歌」にはとぼけた味わいと哀愁があり、「常動曲」は技巧お披露目大サービス、「シシリエンヌ」はしっとり泣かせ、ラストはBach の快活な細かい音型で魅了します。(尚、このCDは2004年度【♪ KechiKechi Classics ♪】各自勝手にアカデミー賞を受賞(推薦者 林 侘助。)しました。)

written by wabisuke hayashi