NET時代のCD購入、または「レコード屋さんの危機」ワタシは小学生以来の「クラシック音楽ファン」ですが、中学生時代に仲の良い友人が少々付き合ってくれ(セル/クリーヴランド管の札幌公演に付き合ってくれた。1970年のこと)て以来、インターネット時代が始まるまで「隠れ切支丹」状態。女房は「黙認してくれるが、支持はしない」といったところです。ワタシたちは少数派なのでしょう。 ワタシの地元、岡山(または倉敷)でもかなりの演奏会(アマ・オーケストラも)があって、そう不自由しないし、大阪近辺、ましてや東京辺りになると驚くほどの演奏会の嵐であり、自ら演奏を楽しまれる方が多いのは驚くばかり。ワタシがこの類の音楽に親しんで以来30年間、日本における「音楽的成熟」は進んだのか。また、クラシック音楽のCDを購入される方は増えているのか、減っているのか。これがよくわからない。 「LP一枚買うのに、初任給の半分が吹っ飛んだ」という時代はともかく、ワタシがこども時代のLPの価格は2,000円前後だった記憶があるから、CDはずいぶんと安くなっている計算になります。ワタシは「巨人、カラヤン、卵焼き」(大鵬はもう引退していた)の世代なので、物心つくとアンチ・カラヤン(もちろん巨人も。卵焼きは好き)でした。当時、世間では「カラヤンにあらざれば、クラシックにあらず」といわれ、ワタシは「おごれるカラヤン久しからず」と我を張っておりました。 もちろん、こどもにとって2,000円は大金だったのです。で、1,000円盤LPへの愛着が芽生えるのですが、閑話休題(それはともかく)当時はどんな小さなレコード屋さんにもクラシックのLPが置いてあった記憶があります。品揃え的に悩む必要がなかった(カラヤン、ワルター、ベーム、フルトヴェングラー辺りを置いておけば良かったのか)せいもあったし、実際、売れていたんでしょう。当時、一部の専門店では「西ドイツ直輸入盤」と称して、どエラく高い値段で売られていたのも、円が弱かった時代ならではの思い出。 競争が激化して、商売が難しくなるのはなんでも同じ。1980年頃デジタル録音が始まり、やがて「レコ−ド屋さん」にはレコードが消え、CDばかりとなりました。1990年前後に、「円高」その他諸々の要因(著作隣接件と「海賊盤」の出現、東欧諸国の政治体制崩壊による経済的混乱に乗じた、安い音源の創出、等々)で激安(輸入)CDの登場(といっても1,000円〜1,200円)、外資系大型レコード店の全国制覇、NAXOSの大躍進、と続きます。 ワタシは「廉価盤一筋」でしたが、このHPを立ち上げたのが1998年のこと。既に廉価盤を探すのに、そう苦労はなくなっておりました。振り返ってみれば、「廉価盤の普及」に熱意を込めて立ち上がった(んな、大げさな)時期から、ある「瓦解」が始まっていたような気がします。小さなレコード屋さんからクラシック音楽が消え、やがて大都会では小さなレコード屋さんそのものが消えてしまう。 1999年に大阪から岡山に転居したワタシは、廉価盤(激安珍し輸入盤)の購入に苦労するようになりました。かなり以前から「バークシャー・レコード・アウトレット」で個人輸入は始めていましたが、折からの「Eコマース・ブーム」に乗って、インターネットでの通販での購入を本格化させたのは2000年のこと。「これで、都会と地方在住の人の購入条件の差は縮まったか?」と思っていましたが、これは大きな誤解でした。 ことし(2001年)の正月に、札幌で友人の待ち合わせにレコード屋さんに行ってみて驚き。タワーレコードにクラシック売場が消えている。(これじゃ、岡山店のほうがずっとまとも。ワタシを先頭?に買い支えているから)ヴァージン・メガストア、地元〜玉光堂の品揃えも数年前の輝きはない。それどころか、岡山への帰り、大阪経由で期待のワルツ堂でも、押さえるべきものは既に(通販で)購入済みで、新しい発見はない。〜その後、札幌のタワーレコードはピヴォ店が別にオープンしていることを発見。早とちりでした。 じつは、2000年秋に東京渋谷でHMV、タワーレコードにいったときにも、これといった発見はなかったんですよ。もしかしたら「都会と地方在住の人の購入条件の差は縮まった」のじゃなくて、「なくなった」のかも。つまり「地方都市だから、ちゃんとしたCDが売っていない」のではなくて「どこにも売っていない」のじゃないか。「安く、価値のあるCDはインターネットでしか買えない」状況に至っているのじゃないか、という類推。 そういう姿が正しい、という論議じゃありません。数年前まで、「その店に出掛けないと」情報が得られなかったはず。ところが、いまやインターネットで情報が得られる。そのままナマのデータからの「情報検索」では、「条件」を入れないと情報は得られない(ブラブラとなんとなく見て回る〜ブラウジング〜はできない)が、たとえば「KechiKechi Classics」なんかを見れば、怪しげなCDのお話しがそれとなくコメント付きで載っていたりする。逆に「貴方のお好みそうなCDが、どこそこで手に入りまっせ」とメールで情報がいただける。 逆に「インターネットがないと情報から取り残される」というのも、少々心配ではあります。パソコンの価格は日々安くなり、接続料もどんどん安くなる。「常時接続」が当たり前となる日もそう遠くないはず。(独占企業NTTの存在によって、日本は20世紀最後の10年間で「情報後進国」になってしまった)とにかく、情報を使いこなすことが重要でしょう。
通販の送料もずいぶんと安くなりました。常識で考えて東京より、ニュージャージーのほうが送料が安いのはどう考えてても理屈に合わなかった。例えば、金沢の「ヤマチク」の通販はほんとうに立派です。(10年ほど前、出張でお店にもおじゃましたことがある)こうやって、気骨あるレコード屋さんは生き残っていくのでしょう。「商売の実務的手段」は変遷しても、品揃えの妙、価格の相場の読み、は永遠不変の原則で変わりありません。これは「商売の哲学」なんです。 ワタシが大阪時代に熱心にかよっていた某レコード屋さんは、インターネット検索をかけてもせいぜい住所・地図くらいしか出ませんでした。こういったところは(残念ながら)滅亡が近いはず。情報世界は、地域(もちろん国境も)を越えているのですから。正価@100CDの登場によって、CDの原価が明らかになりつつある現在、もっと企業努力が必要なのは当然です。 ワタシたち「隠れ切支丹=お客」も、お互いに情報を交換し、哲学を磨き、若い世代(または本格的な女性進出)を育て、援助し、クラシック音楽の隆盛を目指さなくてはいけません。「リーダーズ・チョイス」(ONTOMO MOOK)によれば、旧態依然とした「カラヤン系」(といっては失礼か)の圧倒的支持と、少数分散派(これ、ワタシ)の二極分化が進んでおり、CD商売はひじょうに難しい局面を迎えていることが伺えました。(旧態依然派には、同じものばかり何枚もCDは売れないし、少数分散派はロットに乗らず、在庫を抱える可能性が高い) いわゆる「カラヤン系」のメジャー演奏家、メジャー・レーベルの価格もいっきに下がってまいりました。「そろそろ価格もこなれてきたし、有名どころのCDも聴かれては如何」とのメールもいただきました。〜その通り。価格が下がれば、聴けるのです。いろいろな可能性が広がる。「名前が通っているから、少々高くても買っておく」「高いCDが良い演奏」なんていう理屈は、もう21世紀には通用して欲しくないもの。 状況は日々変遷します。音楽は人間が聴くものです。それが音楽の缶詰であるCD(悪口ではありません)であっても、ナマであっても、ワタシたちの心を豊かにするものであり続けて欲しいと願います。 (2001年1月6日。Brahms の室内楽を聴きながら)
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