Dvora'k チェロ協奏曲ロ短調 作品104〜ピエール・フルニエ(vc)/
シェルヘン/スイス・イタリア語放送管弦楽団(1962年ライヴ)


ERMITGE時代のジャケットDOCUMENTS/membran(AURA)  223603-CD7 10枚組1,770円にて購入したウチの一枚
Dvora'k

チェロ協奏曲ロ短調 作品104

ピエール・フルニエ(vc)

Brahms

交響曲第3番ヘ長調 作品90

ヘルマン・シェルヘン/スイス・イタリア語放送管弦楽団

(1962年ライヴ)

DOCUMENTS/membran(AURA) 223603-CD7 10枚組1,770円にて購入したウチの一枚

 ERMITAGE/AURAから、2006年激安ボックスものとして集成され、再発されたもの。このチェロ協奏曲は子供時代からのお気に入りであって、けっこう(一時)集めました(2003年/以降半分ほど処分済)。その時の感想は

セルとの録音とほぼ同時期(2ヶ月早い4月)のライヴだから、フルニエはこの曲をひっさげてあちこち演奏して回っていたのだね。ソロの技巧は完璧、気品があって、凛として、そしてライヴならではの一層のアツさが上乗せされる魅力。オーケストラはベルリン・フィルのようにはいかないが、ずいぶんと好演してそれなりに美しい。シェルヘンの指揮ぶりは余裕と熱気が同居しているような、やや前のめりなノリもある立派なもの。テンポはやや早めか。音質良好。でも、きっとオリジナルはモノラルと思う。
 音質良好、とは言い過ぎで、良心的と修正いたしましょう。”ソロの技巧は完璧、気品があって、凛として、そしてライヴならではの一層のアツさが上乗せされる魅力”とは、まさにその通りであって、フルニエ当時56歳、脂が乗りきった頃ですね。ライヴでも技巧的な傷は一切なくて、細部まで明快で流したり、崩したりすることはない。いつになくアツい節回しだけれど、表現には常に品と抑制があって、粗野で過剰なる表情に至らない。ロストロポーヴィチは時に色気が前面に出てしまうことがあるけれど(それも悪くない)、チェロのプリンスといった俗っぽい呼称にも納得できます。

 ヘルマン・シェルヘンは評価の難しい指揮者だけれど、響き薄く洗練されないスイス・イタリア語放送管弦楽団を率いて、立派なサポートぶりと思います。協奏曲録音は珍しいのかな?演奏会ではけっこう演っていたのでしょう。ソロと息が合って、特に第2楽章「アダージョ」が絶品だと思います。そして、終楽章に思わぬ大爆発がやってくる・・・シェルヘンが仕掛けております。オーケストラはかなりの鳴りっぷり。ラスト部分、ソロの優しい表情は絶品です。(熱狂的拍手有)

 Brahms の交響曲はほんまに聴取機会が減って、手持ちCDもかなり処分済み。ものものしい威圧感が、いかにも”独逸”していて敬遠気味〜で、この録音とも長いお付き合いだけれど、まともに聴いたことはなかったんじゃないか。(協奏曲ばかり聴いていた記憶有)冒頭いきなり、せり上がってくるような旋律だけれど、管も弦も上擦っているようで座りが悪い。スイス・イタリア語放送管、出足少々不調です。いつもの、馴染みのぱっとしない響きに戻っております。木管の足並みたどたどしく、弦は一生懸命歌うが、全体的にピッチが悪いような気もしますね。

 第2楽章「アンダンテ」に至って、アンサンブルは落ち着きを取り戻しつつあります。木管パートは地味だけれど、静謐で繊細なサウンド。この作品の白眉第3楽章「ポコ・アレグレット」(さようならをもう一度)はスケルツォ楽章だったんですね。この甘い旋律はDvora'kに引き継がれる(交響曲第7/8番辺り)のだな。さっぱりと、やや素っ気なく過ぎ去って、甘さ(ずいぶん)控え目か。

 終楽章。もごもごとした響きの冒頭から、やがて決然とした主旋律が立ち上がるところは、先の協奏曲同様の力感がありました。シェルヘンは徐々に興が乗って燃えてくるタイプなのかな?第1楽章とは大違いの燃える表現であって、オーケストラの弱さを覆い隠す勢いに溢れます。ラストの落ち着いた減衰具合もエエ感じでしょ。ま、大推薦!できないけど、ラスト上手くまとめて下さったんで、良しとしましょう。ワタシのBrahms 開眼には至らず。残念。

(2008年12月5日)


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written by wabisuke hayashi