Debussy 「牧神の午後への前奏曲」/「海」/
「管弦楽のための映像」
(ルイ・ド・フロマン/ルクセンブルク放送管弦楽団)


クアドロマニア 222125-444  4枚組1,380円(総経費込)ほどで入手 Debussy

牧神の午後への前奏曲
交響的素描 「海」

海上の夜明けから正午まで/波の戯れ/風と海との対話
管弦楽のための映像
ジーグ/イベリア/春のロンド

ルイ・ド・フロマン/ルクセンブルク放送管弦楽団

クアドロマニア 222125-444  1972年録音 4枚組1,380円(総経費込)ほどで入手(高い!と自己評価/しかもプラケース内部不如意)

 第2集の2枚組を早くに入手していて、(それを処分後)ややライセンス的には怪しい4枚組を入手し直しました。VOXの正規盤はけっこう高(→このユーザー・レビューには違和感有)から、NMLでお試しという手はあるかも知れません。ルイ・ド・フロマンは、1960年代に録音がたくさん残っているフランス系の指揮者らしい。ワタシはVOXの古いファンなので昔馴染みであります。(ルクセンブルク放送管弦楽団の録音は、1970年代に入るとピエール・カオに交代している)。「海」は通常と違う版、コルネットに注目・・・との情報あるが、この作品の楽譜にはけっこう混乱があるらしい。いずれド・シロウトにはよくわからない。

 日本ではクラシック音楽=(ほとんど)独墺系であって、それに+Tchaikovsky(Dvora'k)が加わるのが基本パターン。演奏会の演目を見てくださいよ、お仏蘭西とか英国ものは少ないですから。Debussyの幽玄なる世界を”きっちり一糸乱れぬ統率”(某隣国のマスゲームでもあるまいし)、”分厚い響き、堂々たる構成感”で演ったって仕方がないでしょうが。Beeやん辺りを集中的に聴いていると疲れ果ててしまうが、こちらの音楽だったら自分の嗜好にフィットしてココロ安らかなんです。ルイ・ド・フロマン/ルクセンブルグ放送管は、アンサンブル的にはかなり、そうとうヘロヘロっぽいが雰囲気たっぷり、というか、これに耳馴染んでおりますから。

 非常にカルく、薄(っぺら)い響き、淡彩でさらりとした表現、ヴィヴラートの掛かったホルンなど雰囲気ありますね。オーケストラの線が細く、腰がなく、低音が弱い印象があるけれど、けっこう洗練された繊細なる演奏〜とは購入時のコメント。「線が細く、腰がなく、低音が弱い」というのは独墺系だったら致命的だと思うが、Debussyだったらこの方向が似合う。「洗練」より「粋」といった(曖昧なる)雰囲気がこの作品には相応しいのかも。専門家筋で評価が高い(らしい)バルビローリ/パリ管の「海」「夜想曲」(1968年)の粘着質な雄弁表現には耐えられませんでした。(彼の大ファンなのに!/CD処分済)

 「牧神」はさっくり、さらりとして気怠いソフトフォーカス。色彩にも不足はない。「海」は、「間」とか「タメ」表現とは無縁であって、サラサラと中くらいの音量で粛々と進んでいきます。アンサンブルの仕上げは精密緻密ではない、時に大音量でオーケストラが鳴り響いても、濃密な重苦しさは発生しない。神経質なるサウンドを感じさせない。飄々たる流れ重視。軽妙なる木管、金管が明るいんです。

 ラスト「風と海との対話」は、カッコよく勇壮に締め括らない。なんとなくアンサンブルはゆるゆるで、おそらくピエール・ブーレーズは、こんなお仏蘭西伝統風スタイルに耐えられなかったのでしょう。ここでは音質の濁りも少々気にならんでもない。あとは聴き手の嗜好問題となります。カルい、明るい。リズムもかっちりしなくて、ちょっぴりエエ加減。

 「映像」に於ける木管のヴィヴラートも妖しい。金管の上手くなさ加減も絶妙であって、強靱なる独墺系やら亜米利加名手の正確サウンドとは別種の色気がありました。颯爽と流れよい演奏ではなくて、微妙にヘロヘロな揺れ有。(ルバート、アッチェランドの類に非ず)「イベリア」はスペイン風リズム弾ける名曲だけれど、遠慮がちであってアツくならない。アンサンブルは微妙にズレて、それは作品に相応しい味わいとなる・・・

 雄弁な爆発は必要ないでしょう。先日、ヤン・パスカル・トルトゥリエのクールで清涼な世界に感心したが、このルイ・ド・フロマンとかアンセルメ辺り、往年の”味わい仏蘭西系”(?)はもう消えてしまった伝統なのか。それとも、こうして録音で聴けることを感謝すべきなのでしょうか。

(2009年7月24日)

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