Orff 舞台形式によるカンタータ「カルミナ・ブラーナ」
(レオポルド・ストコフスキー/ヒューストン交響楽団/合唱団/少年合唱団)


EMI 6985552/10枚組 総経費込3,100円ほど Orff

舞台形式によるカンタータ「カルミナ・ブラーナ」
楽器の伴奏を持ち、舞台場面によって補われる独唱と合唱の為の世俗的歌曲

レオポルド・ストコフスキー/ヒューストン交響楽団/合唱団/少年合唱団/ヴァージニア・ベビキアン(s)/クライド・ヘーガー(t)/ガイ・ガードナー(br)(1958年)

R.Strauss 吹奏楽器のための組曲 作品22より「ガヴォット」
Vaughan Williams 交響曲第8番ニ短調より「スケルツォ」
Tchaikovsky 交響曲第4番ヘ短調 作品36より「スケルツォ」
Mussorgsky/Ravel 編 組曲「展覧会の絵」より「鶏の足の上に建っている小屋」/「キエフの大きな門」

レオポルド・ストコフスキー/ヒズ・シンフォニー・オーケストラ(1957年)

EMI 6985552/10枚組より

 こどもの頃、廉価盤LP懐かしい音源。作品との衝撃的な出会いでした。当時は音楽も、もちろんオーディオの知識のかけらもなくて、なんてエキサイティングなんだ、妙に肌理の粗い、でもリアルな雰囲気だな、そんな記憶ばかり。少年の無垢なココロは痺れましたよ。やがてLPを処分しCD時代に至っていろいろ聴くように〜もっとも驚いたのはヘルベルト・ケーゲル1960年旧録音、音質極めて良好〜もしかしたらストコフスキーの懐かしい記憶は大誤解だったかも〜そんな不安が・・・定評あるオイゲン・ヨッフム新旧録音やらヴァーツラフ・スメターチェク(1961年)、鮮明なる音質、声楽バランスを誇るリチャード・クック/ロイヤル・フィル(1995/7年)など、しっかり拝聴して(ようやく)ストコフスキーに回帰いたしました。米CAPITAL(他)音源を集めた10枚組ボックスを入手したのは2010年12月16日(とのメモ有)、こうして音として(再)拝聴するのに2年半以上経過、放置し過ぎでっせ。

 ヒューストン交響楽団って、財政豊かだったのでしょう。エフレム・クルツ、フェレンツ・フリッチャイ、トーマス・ビーチャム、レオポルド・ストコフスキー、ジョン・バルビローリ、アンドレ・プレヴィン・・・歴代錚々たるスター指揮者を連れてきたのですね。ストコフスキー音楽監督在任は1955-1960年。いくつかステレオ録音が残っていて、当時の実力はビミョーでっせ。「おお、運命の女神よ」( O Fortuna)始まりました。音質は奥行き、低音とも充分、妙にリアルっぽくもあり、各パート浮き立ち方は不自然でもあり、肌理粗さが時代を感じさせぬでもない・・・かつて昔の記憶と接近しております。

 フレージングは意外とさっぱりとして、スケールを大仰に膨らませない。旋律末尾はさっぱりと扱われ、詠嘆的に非ず。声楽方面は数をこなしていないので自信ないけど、ヒューストン交響合唱団の実力も特筆すべき洗練ではないと思われます。第1部 「初春に」( PRIMO VERE)はヴィヴィッドにアツく推進力もたっぷり、スケールはさほどでもなし。なによりあちこち妙に短い、あっという間に音楽は進んでいって、テンポが速いわけでもなし・・・繰り返しをカットしている?ネットにて検索すると、通常3度繰り返すところはすべて2度になっているとのこと。なるほどなぁ、道理でさっさと先に進むはずだ。”聴衆は新しい音楽に戸惑うだろうから、短めに仕上げました”的ストコフスキーの発想か。たしか(当時)どこかの論評にて”極色彩”みたいなコメントもあったけれど、別にフツウやなぁ、この作品にしては。

 第2部 酒場にて(IN TABERNA)ここはソロ、合唱とも力強い男声大活躍!連続!ケーゲル盤では伊藤久男「イヨマンテの夜」を彷彿とさせる、そんな朗々たる節回しを堪能したけれど、ここでは意外にも端正な歌唱が生真面目さを感じます。「昔は湖に住まっていた」(Olim lacus colueram)に於けるテノールも同様、ハンス・ヨアヒム・ロッチュはエッチな作り声でしたよ、もっと。リズムのキレ、圧巻の迫力もそれに及ばない( 「我は大修道院長様」Ego sum abbas)・・・というのは余計なコメントでしょう。これだけ聴けば、それはそれとして悪くはない。

 第3部「愛の誘い」(Cour d’amours)には女声も多く、静謐な場面も多いところ。管弦楽には雰囲気があり、男声女声の絡みあい、変拍子の扱いもお見事。「おいで、おいで、さあきておくれ」(Veni, veni, venias)、「今こそ愉悦の季節(Tempus est iocundum)はピアノとかカスタネット他打楽器リズムのオモロく、もっと切迫感やら重量感欲しいところ。「天秤棒に心をかけて」(In trutina)、「とても、いとしいお方」(Dilcissime)に於けるしっとりとしたソプラノ(けっこう超絶技巧)には風情ある落ち着き有。

 なんせ繰り返し足りないので、あっという間にラストにたどり着く感じは物足りない。ま、紅顔無垢な少年がこの演奏にて作品に出会っても、道は間違えませんよ。初めて聴いた時は”凄い音楽やな!”と思いましたもの。久々の邂逅印象は”意外とまとも”、そして”表情は濃厚、わりとさっぱり仕上げ”でした。

 残りの”断片ばかり”(1957年ニューヨークでの録音/音質はまとも)録音の意味合いがずっと理解できませんした。名人・山本さんのオリジナルLPへの言及にてようやく氷解。”「The Orchestra Full Dimensional Sound」というオーケストラのサウンドをセクション別に分析し紹介していたLP”がオリジナルとのこと。R.Straussは木管アンサンブル、Vaughan Williamsは木管+金管アンサンブル、オリジナルはほかいろいろ(打楽器アンサンブルとか弦楽合奏とか)あってラスト、フル・オーケストラとしてTchaikovsky(前半ほとんど弦のピツィカート主体)、Mussorgskyが締めとして登場、といった趣旨だったとのこと。

 どれも雰囲気たっぷり、録音用臨時編成?オケも上手いものです。”個別のCDにバラバラにされ、オリジナルの製作者の意図とソリストの詳細はわからなくなっている”とのコメントにある通り、10枚組あちこちバラバラ、収録余白に埋められて、これはなんとかオリジナルの姿を再現すべきでした。プロデューサーの手抜きでっせ。

(2013年9月20日)


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written by wabisuke hayashi