Beethoven 交響曲第6番へ長調 作品68「田園」
(フランツ・コンヴィチュニー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)


CCC 0002172CCC-6 Beethoven

交響曲第6番へ長調 作品68「田園」
「レオノーレ」序曲第3番 作品138
「フィデリオ」序曲 作品72
「コリオラン」序曲 作品62

フランツ・コンヴィチュニー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

CCC 0002172CCC-6 1960年頃録音  11枚組3,290円で購入したウチの一枚

 9年ぶりの再聴。光陰矢の如し。おそらくは8種ほどの全集CDをオークションにて処分し、ほぼ再購入はしておりません(カラヤン1970年代の録音のみボックス入手)。このコンヴィチュニー全集はあちこちで絶賛の嵐であり、CDにて再購入当時のワタシはその声に賛同できませんでした。オーディオ環境、居住地は替わったが、基本CDに埋め込まれたディジタル・データに変化はない、変遷(豹変?劣化か)したのは聴き手のノーミソのほうであります。以下の怪しげなコメントはそれなりに納得できるが、その方向はそのまま、かなり好ましい手応えに感じました。21世紀は古楽器隆盛の時代となり、巡り巡って一巡、こんなオーソドックスで古風なサウンドが新鮮に感じられる今日この頃であります。

 当時のワタシは録音、そしてサウンドが洗練されないことを気にしておりました。現在の耳で聴けば、音質に不満はないし、地味で渋い響きがかえって快い。表現には飾りがなく、ほとんどまっすぐに素っ気ない、雄弁ではなく着実な歩み。当時、独逸の若い学生はん(現在は独逸のサラリーマン)は”そうやくざみたいな喧騒のBeethoven ではなくてもいいかな”と表現されておりました。馴染みで人気の作品だし、耳目を驚かすような”爆演”が一時もてはやされることもあったことでしょう。

 テンポは中庸であまり不自然に動かない、繰り返しを実行して下さるのもワタシ好み。地味で渋い響きというのは、金管がほとんど前面に出ないからであって、弦+木管が主体、つまり木目の質実なサウンドということです。【♪ KechiKechi Classics ♪】にて千度述べているようにワタシはBeeやん苦手であって、それは威圧感と爆発、前向きに戦うぞ!的1960年代高度成長体質を嫌うから〜一方で、真面目にこつこつやっていれば、いつかは報われる(一理あるが、そうでもない不条理は存在する・・・)的価値観に近いのが、じつはコンヴィチュニーではないかと。

   演奏会に誘われて、その予習として久々に聴いた名曲也。この作品を聴いたのはたしか13歳頃、初めて聴いたのはウィリアム・スタインバーグ/ピッツバーグ交響楽団によるLP片面演奏ではなかったか、と記憶します。快速テンポ、繰り返し実行し、やや金属的なサウンドに閉口しつつ、美しい旋律に心の底より感動した想い出が蘇りました。三つ子の魂百迄。フリッツ・ライナー、ジョージ・セル、この辺りの異様に凝縮集中したアンサンブルに感銘を受けるのはたしかだ(Beethoven だったらその辺りばかり聴いている/または古楽器)ながら、こんな質実な派手さのないサウンドも見識と感じます。すっかり感心いたしました。

 序曲が3曲フィル・アップされるが、同様の感銘を保証して下さることに言及しておきましょう。

(2010年6月18日)

 温故知新。この演奏は何故か初耳。LP時代は1・2・7・8番をこの組み合わせで聴いたものです。(fontanaの1,200円盤)わざわざHPに掲載するくらいだから、さぞや感動の渦が・・・というわけでもなくて、いろいろ感じるところがあったもので一筆。

 いつも同じ話しだけれど、Beeやんは苦手で滅多に聴きません。でも、CDは増えるばかりだし、聴けば必ず感動する。このCD、音質は中低音が厚くて芯があって聴きやすいし、もしかしてオケの音色そのものがジミでキラキラしたところがないことを反映しているのも知れません。フルートの禁欲的な音色は気に入りました。弦のざらついた響きはいかにも「渋い」が、必ずしもワタシの好みではない感じ。

 「コンヴィチュニーの演奏、日本に帰った時に改めて聞きましたが、非常な美演。 我々が期待するBeethoven 像、みたいなものを完全に覆してくれます。 まるで室内楽を聞くよう。私も、以前はこういった大人しめの演奏は?だったの ですが、年輪を重ねていくうちに、そうやくざみたいな喧騒のBeethoven では なくてもいいかなと、思うようになりました。」これ、ドイツ在住の若い学生さんのメールで(年輪を重ねて?ウソ言え)これは一理あるようであり、異論もあります。感じ方は人それぞれで良いんです。

 「室内楽のような」というのは、たしかにそうかもしれません。正確に言うと、細部までよく音が聞こえること、旋律が重層的に絡まった結果、威圧的な厚みに至らない、ということでしょうか。ちょっと聴くと、音がスカスカに思えるくらい。それにまったく、じつにオーソドックスで虚飾が存在しない演奏でもある。色気もなにもないし、醒めて、ひたすら淡々と王道を歩んでいるようであり、一切の動揺もない演奏。

 「やくざみたいな喧騒のBeethoven 」って、例えばカラヤン、バーンスタインの劇的に圧倒的、効果的な演奏を指しているのか、それとも(ワタシが激賞する)タイ風激辛カレー味のシェルヘンのことなのか。たしかに、第1楽章は「単調で面白みのない演奏」と感じ、第2楽章は「相変わらずだけれど、この頑固さは貴重かも」と変化し、第3楽章以降は「もうこのペースにすっかり巻き込まれ」て違和感を感じなくなり、わりと最後まで聴き通すことに苦痛はないのも事実なんです。

 ゲヴァントハウスは、ノイマン時代が一番といった印象を持っているワタシ。それほど好きな響きじゃありません。それでも、嵐の後の最終楽章のホルン、シミジミとした弦の歌は、少々胸を打つことを認めるに吝かではありません。

 たしかに、シェルヘンの演奏は毎日食べる御飯ではないでしょう。(好物ではある)しかし、現代には弾むような、軽々としたリズムの新しい録音が存在します。(代表例はジンマン)一度それを聴いてしまうと、コンヴィチュニーに早々簡単には戻れない。19世紀の遺物のような、濃厚で恣意的な演奏に対する先駆的アンチ・テーゼであったことは間違いないが、「21世紀のBeethoven はこれ!」とお勧めする気持ちにもなれません。

 もっと明るく、気軽で機嫌の良いBeethoven が好きです。残念ながらワタシにとってのベストには近くない。新しい発見がないと言えば、言い過ぎでしょうか?しかし、このCDは安い。この件、反論求む!(2001年6月15日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi