Tchaikovsky 交響曲第6番ロ短調作品74
(ニコライ・ゴロワーノフ/全ソヴィエット同盟ラジオ・テレビジョン大交響楽団1948年)


これは入手可能な3枚組 Tchaikovsky

交響曲第6番ロ短調作品74

ニコライ・ゴロワーノフ/全ソヴィエット同盟ラジオ・テレビジョン大交響楽団(1948年録音)

パブリック・ドメイン音源ダウンロード→自主CD化(写真は入手可能なCD)

 21世紀、CDの価格破壊はパブリック・ドメインに至った歴史的録音ボックスもの登場にて始まりました。あれがひとつの奔流となって、わずか数年でメジャーレーベルの価格相場を引きずり下ろしました。フルトヴェングラー107枚ボックスなんて究極の存在だと思います。ネットの普及、データ・オーディオへの移行も前提となっていたのでしょう。ワタシは次々と買い漁り、それなりに拝聴し、そしてここ数年にてほぼすべてをオークション処分いたしました。基本、音質問題があり(耳当たりのよろしい音質を求めるように)、フリーでいつでもダウンロードできるワイ(復刻状態を厳密に気にしなければ)ということもあります。

 1960年代くらい迄、まだ音楽世界はローカルで情報も人の交流も緩やか、19世紀浪漫の残滓もあって、あちこち個性的な(時にトンデモ)演奏も生き残っているということですよ。ぴかぴか鮮明な音質は期待できぬが、時に聴きやすい、細部様子がよくわかる音質+現在では失われてしまったアクの強い音源に出会えるようになりました、気軽に。ニコライ・ゴロワーノフ(1891-1953年)は旧ソヴィエット往年の名指揮者、ま、”爆演”指揮者の代表的存在(最近、この類の話題は沈静化したな)。LP時代、Wagnerのソヴィエット盤を持っていて、なにより劣悪な音質に悩まされた記憶しかありません。

  例の如し、非可逆圧縮音源である.mp3をムリヤリ.wav変換した自主CD、更に人民中国製貧者のオーディオ環境を前提として、人工的に付加された広がり含め、奥行きも感じられ、ワリと聴きやすい音質に驚かされます。これだったら往年の個性を拝聴するに不足はなし。第1楽章から旋律は異様なる伸び縮みを伴って、それはメンゲルベルクを上回る劇的なもの。じっくり沈静化して歌い込み、急激にテンポアップし、急ブレーキ、思わせぶりな間の取り方、再び疾走〜聴き馴染むと”パターン”は見えてきて、しかもアンサンブルの縦線はかなり合っているからこれは練習のたまもの、なんども演奏して慣れている、ということなのでしょう。この重苦しい粘着質表現(バルビローリ辺りを思い出しても、桁が違う)+激甘ヴィヴラート・ホルンが参入すると脳髄が痺れます。オーケストラはかなり優秀。基本のテンポ設定は中庸なんだけど、これほど中庸という言葉に似つかわしくない演奏も珍しい。

 第2楽章甘美な変形ワルツ(5/4拍子)はヴィヴィッドであり、強弱の表情付けが極端なる対比を見せます。粗野な金管参入して盛り上がった後、中間部(ロ短調)は(予想通り)入念を極めた切ない歌でテンポ・ダウンへ。そして優雅なるワルツが帰ってくる・・・第3楽章のスケルツォは相当な快速にて開始されました。その颯爽とした力強い推進力!そして、途中わずかなブレーキによるワザとらしい表情付け、そして例のド迫力金管爆裂、熱気はいや増すばかり。

 終楽章の”泣き”もとことん!でっせぇ。やや前のめりの歌心に溢れ、昂揚とともにテンポも情感もアップしていく、金管の遠慮会釈ない激昂が加わって、とことんクサい表現も頂点へ。やがて消え入るような諦観への対比もみごとであります。

 小学生の時にオーマンディを聴いて以来、馴染みの「悲愴」。(←リンク先、もの凄く素っ気ないコメント也)毎日聴くわけにはいかんだろうが、新鮮な気持ちにて拝聴いたしました。ここ数日、こればっか聴いておりましたけど。

(2011年9月23日)

【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi