Tartini ヴァイオリン協奏曲ニ短調(ヨゼフ・シゲティ(v)/ワルター・ゲール1937年)
Mendelssohnヴァイオリン協奏曲ホ短調(ナタン・ミルシテイン(v)/ワルター/ニューヨーク・フィル1945年)
Vieuxtemps ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調 作品37(ヤッシャ・ハイフェッツ(v)/サージェント/ロンドン交響楽団1947年)


DOCUMENTS 20563-303 Tartini

ヴァイオリン協奏曲ニ短調 D.45

ヨゼフ・シゲティ(v)/ワルター・ゲール/管弦楽団(1937年)

Mendelssohn

ヴァイオリン協奏曲ホ短調

ナタン・ミルシテイン(v)/ブルーノ・ワルター/ニューヨーク・フィル(1945年)

Vieuxtemps

ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調 作品37「ル・グレトリ(Le Gretry)」

ヤッシャ・ハイフェッツ(v)/サージェント/ロンドン交響楽団(1947年)

DOCUMENTS 20563-303(10枚組1,350円だったか?記憶薄い)

たしか現在はスリムな紙パック仕様で現役の10枚組より。パブリック・ドメインという概念から?21世紀はこの辺りの歴史的録音から一気にCD価格相場を下げました。今じゃネットからかなりの音源がフリーにて拾えちゃう時代に。2009年頃から歴史的音源をどんどこ処分し始めて、90%棚中から消えました。これはオークションにて売れ残ったんです。なにかの縁でしょう、ちゃんと心新たに聴いてあげなくっちゃ。シゲティ、ナタン・ミルシテイン、ハイフェッツという個性まるで異なる往年の巨匠達(演目も)寄せ集め、演奏技術の進歩、スタイルの変化、佳き音楽、佳き演奏、佳き音質とはいったいなんなのか、再考するにちょうどよろしい素材であります。

 知名度が高ければ、メジャーレーベルであれば、新しい録音であれば、そして技巧が優れてさえいれば(そして高いCDであれば!)、それで音楽を堪能する条件を充足するとは限らない・・・もちろん聴き手の耳の成熟、体調問題もありましょう。

 Tartiniはシゲティの得意演目だったようで、1954年ジョージ・セルと再録音(←二長調表記は誤り)しております。若くスリムで貧しかった頃、FMで聴いたのはそれだったんじゃないか。哀愁の旋律は親しみやすくしっとりとして、日本人好みでしょう。ウェットだけれど、表現そのものは意外とモダーンでさっぱりとしております。例の如しの美音流麗なるボウイングから程遠いシゲティだけれど、纏綿と歌うタイプじゃない。表情は豊か、しっかりとした足取りで音楽は進みます。音質は年代を考慮すればずいぶんと良好。晩年の枯れた印象とはちょっと違って、味は濃厚な感じ。作品旋律に対する情愛が滲み出ている・・・

 じつはゴルドン・ニコリッチ(ロンドン交響楽団コンマス)のぴかぴかの録音を既に聴いていて、その繊細スリム、洗練された静謐な世界にちょっと驚きました。ほとんど別作品を聴く思い有。バロックの演奏スタイルは激しく変わっておりますから。

 ナタン・ミルシテインにほとんど不満を感じません。音質は年代より良好と感じるし、あとは1959年ステレオ録音が存在するのだから、ムリして歴史的音源を聴かんでも〜といった個人の判断となります。颯爽として端正なるMendelssohn 、この人は甘さ控えめな音色、抜群のテクニックで(馴染みの)甘美なる旋律を品よく仕上げております。テンションは一貫して高め。聴き馴染みすぎて、慣性に流されがちの聴き方に至る作品だけれど、彼の手に掛かると新たな価値が生まれるんです。これを聴いている限り、ワルターの流麗なバックともども、現代に生き残るべき価値と確信できます。

 ラスト、Vieuxtempsには(ほぼ)同じ顔ぶれで新録音有。前回聴取では旋律がちょっぴり好みから外れる〜そんな言及見られるが、ハイフェッツの妙技に、さらさらと速めのテンポ+千変万化するヴィヴィッドな表情に酔いしれるばかり。(ナタン・ミルシテインに比べれば少々クサいくらいの個性前面)音質条件が整ったほうが良いに決まっているが、こちらも捨てがたい壮絶熱気と魅力横溢。音質はかなり良好。一気呵成とはこのことか。

(2011年4月1日)

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written by wabisuke hayashi