Shostakovich 交響曲第11番ト短調「1905年」
ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団
Shostakovich
交響曲第11番ト短調「1905年」
ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団
英DECCA JP 411939-1 1983年
三管編成+8種の打楽器+ハープ2‐4台+チェレスタという編成。引退年齢に接近してようやく目覚めてきたShostakovich一連の交響曲、とくに第10番第11番第12番あたりがお気に入りです。英DECCAのクリアな音質、コンセルトヘボウの高貴に深みのあるサウンド、力みのないハイティンクの端正な姿勢に痺れました。名門オーケストラを率いてこの時点21年目の55歳、成熟極まった時期でしょう。緩急緩急全曲アタッカで続けて演奏されるShostakovich作品中最も激しい作品は名曲。静謐な部分での明快さ、激しい場面での響きの美しさ際立った明晰な演奏でした。全曲は途切れなく演奏されます。
第1楽章「王宮広場」は静謐な怪しさがつかみどころなく、延々と続くところ。初めてこの作品を聴いたのはLP時代コンドラシンと記憶するけれど、この辺りでもう五里霧中に挫折したのも思い出。ところがハイティンクと練り上げられたコンセルトヘボウのサウンドは洗練され、いかにもなにかこれから大きな事件が起きそうに、弦とティンパニの呼応、トランペットの呼び水(弱音がとても美しく解像度が高い)は不気味に静謐な場面最高。英DECCAの録音も手伝って、デリケートな旋律が細部よう理解できて、ハイティンクの表現は入念を極めて、その旋律と色彩の変化、陰影、厚みのある響き、強弱のメリハリは説得力絶大でした。(15:54)
第2楽章「1月9日」いよいよ一斉射撃虐殺場面!この場面がMY Shostakovich初開眼のきっかけ、FMから流れたマリス・ヤンソンス(フィラデルフィア管弦楽団1996年)デーハー爽快な爆発に驚いた記憶も鮮明でした。その始まりは低弦の徘徊、これもとっても怪しさ満載。わかりやすい旋律が幾度登場、執拗に繰り返して、パワフルなオーケストラは大爆発して危機は迫っても、響きは濁らない、重苦しくならない。無慈悲な大太鼓小太鼓連打(軍隊)のところ、もの凄くカッコよくないっすか!金管木管のヒステリックな圧巻炸裂にも余裕を感じさせて痺れました。突然それが途絶えて、ラストの神秘的な静謐対比は民衆の死を表現しているんだそう。露西亜の泥臭い響きが本家本元なんやろけど、この豊満クリアなサウンド、わかりやすい語り口も最高。(19:54)
第3楽章「永遠の追憶」は犠牲者へのレクイエム。「同志は倒れぬ」はかすかなヴィオラのつぶやき、この辺りも昔はようワカラんとこでしたよ。ここもハイティンクのていねいな表現が解像度高く、わかりやすい哀しみ。さらに怨嗟が隠る革命歌「こんにちは、自由よ」が登場して、切々と情感は高まってここの迫力もたいした緊張感・・・この辺りの力強い切迫感、コクのある厚み最高! テンポのわずかな動きも有機的でしょう。そして消えゆくように(11:23)・・・
・・・第4楽章「警鐘」へ。ここは著名な「ワルシャワ労働歌」が決然と、ちょいと俗っぽいけれど、緊張感溢れる打楽器群(とくに小太鼓)の切れ味はカッコ良いもの。打楽器の低音と不安な木管の絡み合いの不気味さ、ラストまで決然と緊張感とテンションが続く圧巻のオーケストラの技量・・・だけど、ちょっと軽いというかノーテンキというか、そりゃハイティンクは露西亜革命とか関係ない人々ですから。盛大なるオーケストラの華やかな爆発は、あくまで管弦楽法の精華として快く賑やかに鳴り響きました。ラストは第1楽章冒頭の静謐な怪しさが回帰したあと、大騒ぎして全曲を閉じました。(14:16)Shostakovichって、露西亜の烏克蘭侵攻に関係なく、パワフルにカッコ良い音楽として聴かれるべき時代を迎えていたのでしょう。なんか最高。 (2023年2月25日)
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