Shostakovich 交響曲第11番ト短調「1905年」
(アンドレ・クリュイタンス/フランス国立放送管弦楽団)


Testament SBT 1099 Shostakovich

交響曲第11番ト短調「1905年」

アンドレ・クリュイタンス/フランス国立放送管弦楽団

Testament SBT 1099 1958年録音

 1957年初演の作品、その翌年の西側では当時Shostakovichはあまり馴染みのない音楽だっと類推します。かなり以前より聴いていたはずの録音、この時期にして記憶?想像以上にかなり上質な音質に驚きました。全体に明るく、露西亜風泥臭さ重苦しさとの無縁に比較的軽量な響きは耳あたりがよろしいもの。全曲続けて演奏される作品はわかりやすい、むしろ大衆的な旋律が続いていると感じます。

 第1楽章「王宮広場(Adagio)は静謐に怪しい、つかみどころのないところ。若い頃はここで挫折を繰り返した記憶もありました。先日ハイティンク/コンセルトヘボウ(1983年)を聴いて、そのわかりやすい解像度は流石英DECCA録音+オーケストラの厚み、実力に感心したけれど、このクリュイタンスを聴くとそれだけではない、それは指揮者の技量と集中力の成果であることに気付きました。遠いティンパニと静かな木管は音量が低くても、明晰に響き合ってたっぷり怪しい。来たるべく大きな事件を予感させるもの。かつてぐずぐずと”つかみどころのない”そう感じた延々と続くつぶやくような旋律も、大衆的にわかりやすく、木管がとても美しい。ここは帝政ロシアの重圧を表したところなんだそう。(15:32)

 第2楽章「1月9日(Allegro)は怪しい低弦の蠢(うごめ)きからはじまります。民衆の請願行動を表す旋律もシンプルにわかりやすく、執拗に繰り返されて決然と力と熱を加えて切迫感爆発絶叫。オーケストラの響きはやや軽量に薄いけれど(とくに金管)バランス、テンションは充分でしょう。やがてトランペットを合図に(これは第1楽章冒頭を連想)皇帝軍の一斉射撃開始、民衆虐殺場面へ。ここは冒頭の怪しい低弦の蠢(うごめ)きが危機的に変化したもの。ティンパニの技量に優れ、金管と弦の乱舞絡み合いにやがて打楽器群が壮絶な光景を表現して大爆発、ここが全曲のクライマックスでしょう。それは突然消えて寡黙なチェレスタ、切ない例のトランペット、怪しいティンパニが民衆の死を象徴して締め括りました。傑作。(17:51)

 第3楽章 「永遠の記憶(Adagio)は死者へのレクイエム(緩徐楽章)。ヴィオラに歌われる革命歌「同志は倒れぬ」は神妙に大衆的わかりやすい旋律、弱音でもその風情は明晰。ここもかつては(聴手が)行方不明迷子になっていたと記憶します。しばらく(5分以上)弦のみピチカートによる歌が続いて、やがて革命歌「こんにちは、自由よ」(この原曲は知らない)はちょっぴりやすらぎの表情を見せつつ管楽器も静かに参入、ここも鎮魂の風情は変わりません。壮絶な慟哭クライマックスにはちょっぴり力感や濃密さが足りぬかも。そして冒頭のレクイエム(「同志は倒れぬ」)が回帰します。(13:57)

 第4楽章 「警鐘(Allegro non troppo)冒頭の革命歌「圧政者らよ、激怒せよ」はちょっぴりありきたりに大衆的な旋律、決然とした切れ味のあるもの。やや軽量だけど、ここの金管も打楽器も上手いですね。オーケストラを勢いよく乗せていくクリュイタンスのテンポ・アップや統率はお見事。そして切迫した「ワルシャワ労働歌」(これは世代的にぎりぎり知っている著名旋律)引用があまりにあからさまに盛り上がって、安っぽい印象っぽいだけれど、わかりやすさ抜群でしょう。フランス国立放送管弦楽団は切れ味よろしく鳴ってますよ。例の第5番ニ短調風の盛り上がりも型通りというか、打楽器も決まりました。やがて第1楽章冒頭の怪しさに乗ってイングリッシュ・ホルンがもの哀しく纏綿と歌い、ラスト、チューブラーベルの鐘が連打されて次なる戦いへの機運が高まる・・・(12:21)

(2023年5月13日)

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written by wabisuke hayashi