いつまでも初心者にとってのWagner2010年7月1日を以ってオークションでのCD処分を(いったん)終了したが、ずいぶんとWagnerも処分してきました。「指環(リング)」なら「これ以上の歌い手はない!」と世評高い(らしい)●クレメンス・クラウス(1953年)が最初の入手、やがて、やはりステレオで聴かなくっちゃ、と、●ハンス・スワロフスキー盤(1968年)を入手して、クラウス盤を処分(愚かであった)。更に、●ギュンター・ノイホルト/カールスルーエ・バーデン州立歌劇場管弦楽団盤が安く出た(といっても現在の3倍程?)から、ま、ド・シロウトには一セットあったら良いでしょ、ということでスワロフスキー盤も処分(アホそのものであった)。 ノイホルト全曲はしっかり聴いたが、●ジエイムズ・レヴァイン全曲(1987/89年)をいただく機会があったので、また処分(安易であったな)。更にバイロイト・ボックスが激安にて出たので入手したら、著名なる●カール・ベーム(1967年ライヴ)全曲が含まれました。 ド・シロウトには2種も要らんな、ということでレヴァイン盤も処分(もう勢いですね)。ベームを唯一として愉しんでいる今日この頃・・というのはウソで、別途●フルトヴェングラー/スカラ座1950年ライヴ12枚組はLP以来ぼちぼち愛聴しておりました。ここまでがわずか十数年来の出来事也。あー恥ずかしい。(他多くののWagner歴史的音源CDは全部処分済/おそらく40-50枚)話は逸れるが、現在だったらパブリック・ドメイン音源はネットで自由にダウンロードできる時代になりましたが・・・本題は次。
「 じつは、カール・ベームの「ヴァルキューレ」(1967年ライヴ)と(改めて)聴き比べました。ジェームズ・キング(ジークムント)/レオニー・リザネク(ジークリンデ)/ゲルト・ニーンシュテット(フンディング)/ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ)/テオ・アダム(ヴォータン)/アンネリース・ブルマイスター(フリッカ)といった錚々たる歌い手揃い。これ、けっこう評価が分かれるんですよね。ショルティと聴き比べて(シロウトなりに)納得できました。 歌い手の朗々とした貫禄、輝かしい掛け合いには文句なし。でもね、管弦楽がショルティに比べると全然ジミ〜それはライヴ故の自然な音場のせいだ(それはそれとして事実)とばかり思っていたけれど、ショルティを聴いたあとでは”英DECCAのマルチ・マイクの効果”ばかりではないのでは?と考えるようになりましたね。ぎらぎらと熱狂的な「ヴァルキューレの騎行」が別な作品に思えるほど・・・オーケストラがジミ、自然な響きななんだけど、ずいぶんと大人しい感じ。ライヴだからアンサンブルの細緻さは比べられない。ショルティとは180度違った個性。軽い、というのは当たっていないと思うが、そう評価する人がいてもおかしくはないでしょ。 ショルティの輝かしいメリハリ、熱気は、ワタシのようなド・シロウトにはわかりやすい。しかし、一方でカール・ベームのさっぱりとした風情も悪くないかと。なんせオペラは数を聴いていないし、歌い手云々の評価もできないんだけれど、違いははっきりわかる・・・散々、アホほどCD処分を重ねてきて、その損失額おそらく数万円(日本経済を支えるべく個人消費也)。それもすべて楽しみのための支出です。こうして浪費して、出会いを重ねて少しずつ”違い”はわかってくる(?)、ということです。 更に上記数日後、●Wagner 楽劇「ヴァルキューレ」〜エーリヒ・ラインスドルフ/メトロポリタン歌劇場/アストリッド・ヴァルナイ(s)/メルヒオール(t)/ショル(bbr)/トローベル(s)(1941年12月6日ライヴ)・・・伝説のヴァルナイ・デビュー(リハーサルもなく、ロッテ・レーマンの急遽代役とか?)をパブリック・ドメインにてネットで拾いました。(自主CD化)音質は時代相応のものだけれど、熱気が素晴らしい。ラインスドルフは1950年代にMozart の交響曲全集を録音しているでしょ?あの素っ気ないストレート系快速表現が、ライヴにて方向そのまま、叩き付けるような迫力、推進力となってアツく燃えております。歌い手のやる気、鬼神の如き集中力ヴィヴィッドな生命力!ヴァルナイがジークリンデねぇ、なんでも若い頃は演れるということですよ。著名なる「ヴァルキューレの騎行」も尋常一様なる演奏に非ず、いったいどうなっちまたんだ?的興奮に溢れます。こんな音源が無料とはねぇ(復刻状態云々言わなきゃ)・・・そりゃ、商売はむずかしくなるでしょ。 ・・・いつまでも初心者ながら、じわじわWagnerへ接近していくのであった。 (2010年7月9日)
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