R.Strauss 「メタモルフォーゼン」/4つの最後の歌/オーボエ協奏曲ニ長調
(デイヴィッド・ジンマン/トーンハレ管弦楽団/
メラニー・ディーナー(s)/シモン・フックス(ob))


ARTENOVA 74321 95999 2 590円 R.Strauss

23の独奏弦楽器のための習作「メタモルフォーゼン」

4つの最後の歌(メラニー・ディーナー(s))

オーボエ協奏曲ニ長調(シモン・フックス(ob))

デイヴィッド・ジンマン/トーンハレ管弦楽団(チューリヒ)

ARTENOVA 74321 95999 2  2002年録音 590円にて入手

 6年ぶりの再コメントであります。当時は未だボックスものCDへの購入意欲溢れて、データ収集もほとんどしておりませんでした。Tonhalle Orchester Zurichは1862年創立の伝統あるオーケストラ(瑞西の独逸語圏)1995年以来20年にわたってデイヴッド・ジンマンが音楽監督を務めて、意欲的な録音を続けているのは周知の通り。上手いけど、一連のR.Strauss録音を拝聴した(その後「家庭交響曲」も入手済)印象はずいぶんとジミというか、素朴、飾りの少ない表現と思います。好き嫌いさておき、カラヤンとかショルティ、ベルリン・フィルとかシカゴ交響楽団辺り、輝かしい技量を誇って華やかなサウンドが似合うのがR.Strauss、ちょいと異形かも、と思ったら作曲者自演のテイストに似ているといったご意見もありました。

 じつはこの一枚、R.Strauss作品中、一番お気に入りの作品揃い、どれも人生の黄昏とか諦観を深く感じさせる名曲であります。親父もそろそろ危うい年齢に至って、聴き手の切ない心情を擽る一枚であります。メタモルフォーゼンは1945年独逸敗北直前、オーボエ協奏曲は敗戦直後、4つの最後の歌は1948年(84歳)の作曲とのこと。Wikiからのコピペだけど「メタモルフォーゼン」は各奏者が独立した23のパート(ヴァイオリン10名/ヴィオラ5名/チェロ5名/コントラバス3名)による弦楽合奏はシンプルなMozart辺りとは違って、近代管弦楽の精華フクザツ精緻を極めて(エロイカの葬送行進曲のテーマによる)幻想的な変奏曲(?)になっておりました。

 正確、精密なアンサンブル。一般に近代管弦楽は新しい録音に映えます。作風はローエングリンの第1幕前奏曲に似て、つかみどころのない、暗く悲劇的な詠嘆に充ちて約29分、甘美な後ろ向きな”癒やし”が続きました。淡々として緻密、詠嘆に情緒を煽らぬジンマン、この作品の出会いはクレンペラー(1961年)、そういえばそちらも乾いてクールな表現でしたっけ。

 声楽は一般に拝聴機会は少ないけれど、Mahler、R.Strauss辺り別格なのはシュヴァルツコップのお陰なんでしょう。「春」 Fruhling /「九月」 September /「眠りにつくとき」 Beim Schlafengehen /「夕映えの中で」 Im Abendrotは言葉の意味は理解できなくても、すっかり解脱した精神、人生の黄昏の眩(まばゆ)さははっきり伝わりました。いまとなってはシュヴァルツコップの声はアクが強すぎると感じるし、一般に強靭な歌唱より囁くような風情が好み。メラニー・ディーナー (Melanie Diener)は旬な独逸の女流でしょう。抑制にしっとり、力感に不足もない。息の長い声楽ソロにフルートとか、ヴァイオリン・ソロの絡みに泣きそうになる・・・そして癒される。この作品も大好き。

 オーボエ協奏曲ニ長調はMozart以来の名曲でしょう。戦争は終わり、後ろ向きの悔恨に非ず、清明な希望に充ちてシンプル、清潔な作品であります。第1楽章「Allegro moderato」は囁くように、夢見るように、まるで春の野に駆け出すように爽やかであり、第2楽章「Andante」は安寧に充ちて、静かに昔語りをするよう。終楽章「Vivace-Allegro」は躍動する、軽妙な喜びにあふれました。MahlerとかR.Strauss辺り、大規模管弦楽の大爆発!みたいなイメージがあるけれど、じつは各パートのバランスとか絡み合いとか、ほんま有機的に工夫されて響きが濁らない。シモン・フックスは首席、室内楽の録音も多いみたい。オーボエの良し悪しなんかわからなくて、(旧)ベルリン放送交響楽団のギュンター・パッシンとかベルリン・フィル往年の名手ローター・コッホ、いずれも際立って透明な音色に感心したくらいかな?あとはどれも聴いても立派!文句なしなド・シロウトでした。

(2016年3月13日)

 Beethoven の交響曲も同様だけれど、一枚ずつ買い足していって、挙げ句激安ボックスが出てしまう、といった情けない状況でした。とうとう「家庭交響曲」のみ買わず仕舞い。閑話休題(それはさておき)いまだに「ジンマンは廉価盤専門指揮者」的色眼コメントを、ネットにて散見されるのは残念な事象です。Mahler は大人気らしいから、徐々に彼の評価が正しく認識されることを祈りましょう。

 年々歳々、徒に馬齢を重ねると、激しい音楽が苦手になってきます。ま、「春の祭典」なんか好きですけどね、Beeやんに代表される”いつも前向き!”、”負けないぞ!”的世界を敬遠したくなります。この3曲はいずれもR.Strauss最晩年の作品であって、諦念の色濃い、静謐さが支配する作品に仕上がっております。3曲ともまさにワタシのツボ、そのもの。ジンマンの演奏も見事ですよ、オーケストラも上手いし、音質も極上。ボリュームを余り上げなくても、細部迄様子はよく理解できる、素晴らしい音質。

 「メタモルフォーゼン」は静謐であり、緻密であり、一見淡々粛々さらさらと音楽は進んでいきます。浪漫の残照たっぷりの旋律だから、いくらでもうねうね詠嘆やら情念を付加する表現は可能なはずだけれど、ストレート系すっきりテイスト路線であることにジンマンは変わりがない。集中して拝聴すると、もの凄い微細なニュアンスが裏地に徹底されていて、そっと呟くような世界がじわじわと広がって味わいは深いもの。ブルー系の見事な弦楽サウンド、つかみ所のないような延々と続く物語を聴かされているようであり、やがて知らず流れに引き込まれ、29分の長丁場はあっという間に過ぎ去りました。サビとか山場のわかりにくい作品だけれど、熟達した技法により完成された黄昏残照輝く美しい作品にまちがいない。知的クールに作品の持ち味を活かしたモダーンな演奏であります。

 「4つの最後の歌」は、どうしてもシュヴァルツコップの個性的な声が忘れられない。器楽より声楽に、各々の個性はいっそう深く、多様に表出されるものです。メラニー・ディーナーは現役の売れっ子らしいが、これも印象としては”知的クール”、デリケートで端正、素直な歌唱が現代的な印象です。これはジンマンが望んだ声なのでしょう。ラスト「夕映え」(美しい日本語だ)を聴くたび、眼前に茜色の黄昏が広がって万感胸に迫ります。シュヴァルツコップだったら”人生の黄昏”を連想できたが、こちら美しい、壮大なる自然の情景をそのまま見せられる感じ。先の「メタモルフォーゼン」に感じた表現方向と、なにも変わらない。

 オーボエ協奏曲は我らがMozart 以来の名曲でしょう。かつての怒濤のような管弦楽爆発(「英雄の生涯」とか「ツァラ」とか)は存在しなくて、自然な呼吸のような爽やかな作品に仕上がっております。シモン・フックス(Simon Fuchs)はトーンハレ管の首席らしく、これまた素直でクールな音色であります。技巧に不足などあろうはずもないが、音色としてはけっしてグラマラスで華やかなものではない。もっと愉悦に充ちた躍動があっても良かったのかも知れないが、しっとりとして落ち着いた味わいの演奏。ずっと長調の平明な旋律(まさに珠玉!)が続くのに、どことなく寂しげであり、後ろ向きな印象を受けます。バックのオーケストラもエエ音だなぁ、とくにホルンの深い響き。

 疲れた深夜にBGMとして聴いても良いような、安らぎと癒しの音楽であります。激しい辛口の爆発はどこにも存在しないが、ふかい滋味に溢れた旋律、そして演奏+ブルー系のオーケストラの響き、録音。

(2010年10月29日)

【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi