Bruckner 交響曲第9番ニ短調
(ハインツ・レーグナー/ベルリン放送交響楽団)


DEUTSCHESHCALLPLATTEN  TKCC-30620
Bruckner

交響曲第9番ニ短調(ハース版)

ハインツ・レーグナー/ベルリン放送交響楽団(旧東)

DEUTSCHESHCALLPLATTEN  TKCC-30620 1983年の録音 1,000円(税込み)で購入

 10年後再聴となります。その後、ゲオルグ・ティントナーの演奏に混迷し、オイゲン・ヨッフムの新旧全集は嗜好の範囲から外れ(2種とも処分済)、著名評価盤石のギュンター・ヴァントを標準として聴くようになりました。世評高い朝比奈翁1970年代全集に苦戦し、ジョージ・ショルティの明晰そのものの演奏に感銘するように・・・ようはするにエエ加減なんです。嗜好の軸が定まらない。変遷ばかり。おそらくは最初期のBruckner廉価盤(1,000円は当時激安)、当時それしか聴けなかった原点ハインツ・レーグナーに立ち返りましょう。

 以前のコメントは頓珍漢(お恥ずかしい・・・)の極みであって、曰く”オーケストラの響きが洗練されない”・・・?”ストレートでアツい。良い意味でラフさ(アンサンブルはラフではない)があって、飾らない素朴さと推進力充分”〜これも微妙に違う感じ。第1楽章「Feierlich, Misterioso」にて23分を切っているのはたしかに速めのテンポなんだろうが、ベルリン放送交響楽団はベルリンの壁崩壊1989年前、国営放送をバックに安定した活動を行っていたのでしょう。粘着質やら茫洋とした荘厳さとは縁はないけれど、艶消しの深いサウンドでしっかり鳴っておりますよ。金管も木管も極上でっせ。”ストレートでアツい”といのはその通り。しかし、急いて呼吸が浅かったり、間に不足することはない。美しい。

 第2楽章「Scherzo」 。”一生懸命な演奏だけれど、リキみはない”〜なに言っていたんだか。これぞ(東洋の片隅で想像するところの)独逸の金管大爆発でっせ、キンキラ吹奏楽風じゃない。木管(とくにオーボエ、そしてフルート)の洗練も見事、なによりレーグナーのリズム刻みが決然、みごとに決まっております。”少々走り気味”とも、”オーケストラは素朴さを失わない”とも聞こえない。”ストレートでアツい”のはこの楽章でも同様。緊張感と迫力、熱気も充分なストレート系演奏也。

 第3楽章 「Adagio」。若い頃からこの楽章が大好きでした。金管による絶叫の頂点〜ワーグナーチューバによる荘厳なコラールへ。こここそ白眉。いろいろ混迷はしているんだけれど、Brucknerはオーケストラで聴く、といった路線は変わっていないかも。やはり響きが薄かったり、深みに欠けるオーケストラ、アンサンブルに致命的な弱点を持つオーケストラでは(ド・シロウトとしては)興を削がれるような思いになりがち。ここも21分半ほどだから、種々様々な録音と比べてもダントツ速いのでしょう。しかし、急いた落ち着きのなさではない。途中テンポは更に速まるが、不自然ではない。厚みもある。安寧であり、粛々とした歌と情感の高まり(壮絶な叫び)を経て〜静謐な結末へ・・・ま、カッコ良い!演奏ということですよ。

 音質は自然であり、深みと奥行き、ヒステリックさとは無縁のもの。少々ジミだけれど、作品に相応しいものと思います。1990年頃、選択肢の少なかった時代のCD入手は虚心にエエもんに当たっていたことに気付きました。名曲。

(2011年8月19日)

 なんとこの録音、未だ海外ではCD化されていないそう・・・・もったいないこと。(後註;2004年ボックスで再発されました)言うまでもないが旧東側の放送交響楽団で、「ベルリン放送管弦楽団」というバカモノ訳は、当時存在した旧西のベルリン放響にご遠慮申し上げた表記か?こちらのほうがグッと地味な響きが好ましい。最近、ちゃんと活躍してくれているのだろうか。レーグナーも既にこの世から去りましたし。

 ここ最近再聴した第7/8番と同傾向の演奏でした。ストレートでアツい。良い意味でラフさ(アンサンブルはラフではない)があって、飾らない素朴さと推進力充分。ま、Brucknerはどれも魅力的ではあるが、第9番には独特の神々しさと癒しがあります。じっくりと緩やかなテンポで、細部まで神経質に聴かせてくれる演奏も嬉しいが、サラリと自然体でいってほしいもの。

 この演奏、優雅な旋律を気持ちよく歌っているウチに嬉しくなって、少々走り気味になってしまうところが微笑ましい。これを「落ち着きがない」と感じるか「勢い」と思っていただくか、微妙なところ。「神々しい神秘性」は薄い演奏かも知れません。オーケストラの響きが洗練されない分、もっと人間クサくて、親しみ深い。迫力は充分。そして荒々しいところも、うるさくならないところが素晴らしい。

 想像つくでしょ?こういった方向だと第2楽章「スケルツォ」はピタリとハマるんですよ。「速く、いきいきと」〜まさにその通り。このオーケストラは素朴さを失わないので、威圧感があまりないんですね。一生懸命な演奏だけれど、リキみはないんです。各パートは地味で、オーボエもフルートも、弦も良い音で鳴っていると思うが、あまり目立ちません。

 一番活躍する金管も「おおっ!」といった個性は感じなくて、ある意味全体のアンサンブルに溶け込んでいるんです。でも、ちゃんと絶叫しているんですよ。(これがないとBrucknerじゃないから)リズム感のアクセントは文句なしでしょう。

 未完成のはずが、妙に完結してしまう至高の終楽章。ここは個人的に、どえらく艶のあるある弦で攻めていただきたい欲望がある。だからベルリン放響ではやや地味過ぎ・薄過ぎの不満が残ります。金管も、思いっきり厚みのある響きで押し倒していただきたい。(アメリカ系のマーチング・バンド風金管ではお話にならぬが)レーグナーの獅子奮迅の指揮ぶりも、ワタシのご無体な要望には応えていただけません。

 それでも名曲は名曲。よけいな飾りや思わせぶりな節回しなどなくて、素朴な味わいがちゃんと伝わります。弦の静かな歌にも心打たれるし、フルートがしみじみ絡むところも胸に染みました。途中、やや落ち着きのない走りもないではないが、すべてを許容するような素晴らしい金管の叫びはこの曲の白眉でしょう。

 いわゆる「巨匠風」演奏ではないが、どこにもない個性であり、オーケストラの地味な音色も貴重です。つい先日の録音のようではあるが、もう失ってしまった個性かも知れません。惜しい人を亡くしました。晩年は日本での録音が多かったが、アメリカ辺りの優秀なオーケストラで録音を残して欲しかったと思います。(2002年7月17日)

 


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written by wabisuke hayashi