Ravel ボレロ/Rachmaninov ピアノ協奏曲第3番ニ短調/
Ustvolskaya 交響曲第3番「主イエスよ、われらを救いたまえ」/
R.Strauss 組曲「薔薇の騎士」
(ヴァレリー・ゲルギエフ/ミュンヘン・フィル/
ベフゾド・アブドゥライモフ(p)2016年ライヴ)
Ravel
ボレロ
Rachmaninov
ピアノ協奏曲第3番ニ短調
Liszt
ラ・カンパネルラ(アンコール)
Ustvolskaya (1919-2006)
交響曲第3番「主イエスよ、われらを救いたまえ」
Alexei Petrenko(語り)
R.Strauss
組曲「薔薇の騎士」
ヴァレリー・ゲルギエフ/ミュンヘン・フィル/ベフゾド・アブドゥライモフ(p)
Live from the Royal Albert Hall, London, 18.07.2016
CDで売っているわけじゃないので、世間様にどういう意味があるのか不明な以下コメント。そもそも【♪ KechiKechi Classics ♪】に社会的に有用性など微塵も考えたことはありません。実際、こういったネットから入手したライヴ音源を聴く機会が増えたのも事実、音質極めて良好な(おそらく)BBC音源、現役旬のValery Gergiev(1953ー)はマリンスキー劇場をベースとして、ロンドン交響楽団(2017年迄)→ミュンヘン・フィルへ転身(2015年より)その成果を聴いてみたかった。+Behzod Abduraimov(1990-ウズベキスタン)という若いピアニストにも興味がありました。
Rachmaninov ピアノ協奏曲第3番ニ短調は超難曲、甘美な旋律溢れる第2番ハ短調だったらリヒテルを基準として馴染みのお気に入り、こちらどーも技巧ばかり先に立って、いまいち好みじゃない・・・んな勝手な言い種に拝聴機会は少ないもの。世間的には1958年クライバーンがチャイコフスキー・コンクールの本選で演奏、帰国凱旋後ステレオ録音したのが現在の人気の始まりらしい。(Wikiより)閑話休題(それはさておき)、ベフゾド・アブドゥライモフの演奏(全曲42分)から聴き始めて、仰天!臨場感溢れるリアルな音質、テンポは急がず慌てず、爽やかな詩情に溢れたタッチはクリアそのもの、ライヴとは思えぬ完璧なテクニックに作品そのものの価値を高めるような美しい演奏でした。カデンツァの壮絶な技巧要求も悠々、これは”オッシア”じゃないのかな?
アンコールは一転、流麗雄弁な「ラ・カンパネルラ」。デーハーな表現に聴衆を魅了します。
自分勝手な印象としてゲルギエフって”粗野”(アンサンブルに非ず、表現が)な先入観があったのだけれど、この間聴いた録音はセッション、ライヴともヴィヴィッドな勢いと緻密なアンサンブルがバランスして、ここでも例外じゃない。ミュンヘン・フィルはチェリビダッケ逝去後、レヴァイン時代(1999ー2004)はぱっとせず、ティーレマン就任期間も短く(2004ー2011)、マゼールは中継ぎ(2012-2014)、ようやく彼によって、往年の輝きが戻ってきた感じ。
こちら”聴くだけ無責任”な音楽ファン、実演の側にとって「ボレロ」は難物らしい。”粗野”なんてとんでもない!シンプルなリズムから徐々に熱を乗せていく手腕、各パートの色彩感は控えめ、マイルドなサウンドを基調として、もうちょいとミュンシュ辺りの興奮が懐かしいもの。(15:56)
ガリーナ・ウストヴォーリスカヤはShostakovichの弟子とのこと。もちろん初耳交響曲は15分ほどの単一楽章?ピアノや打楽器、語り(というか嘆き)を伴って静謐、ズズ暗く重苦しい歩みのような(盛り上がらぬ)作品。ラストほとんど無音(+戸惑った聴衆にまばらな拍手)。ここにもアブドゥライモフが参加しているのかな?こうした露西亜の馴染み薄い現代作品をちゃんと演奏会に取り上げるのがゲルギエフの偉いところでしょう。
そんな澱んだ会場の空気を一掃して、ラスト華やかな「薔薇の騎士」始まりました。これが地味め、マイルドなサウンドなんです。おそらくオペラの人であるゲルギエフは全曲演奏の経験も豊富でしょう。ちょいとノスタルジック後ろ向きに名残惜しい”ウィンナ・ワルツ”風音楽、しっとりと表情の豊かさ最高。弱音を生かしてたっぷりのタメ、上品な風情に仕上げは上々でした。(30:33) (2018年7月22日)
【♪ KechiKechi Classics ♪】 ●愉しく、とことん味わって音楽を●
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