Rachmaninov ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調/
パガニーニの主題による狂詩曲
(ウラディミール・アシュケナージ(p)/
ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団)
Rachmaninov
ピアノ協奏曲 第3番ニ短調
パガニーニの主題による狂詩曲
ウラディミール・アシュケナージ(p)/ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団
DECCA UCCD3493 1985年録音
ピアニストとしてアシュケナージは3度めの録音、Vladimir Ashkenazy(1937ー露→愛撒倫)もBernard Haitink(1929-)も現役とは云え既にご高齢、これは30年以上前、評価の定まった録音かも知れません。録音技術が整った時代以降、若手現役は偉大なる先達の威光に比べられ、苦しいかも。時代はレコード(CD)→ライヴの時代だそう、できるだけ若い現役世代を聴いてあげたいものです。
耽美に甘美な第2番ハ短調に比べ、ピアノの技巧が前面になった”やや空疎”な作品、そんな先入観をずっと抱いて、それでも”ピアノの技巧が前面”風情に作品を愉しんでまいりました。古今東西腕利きピアニストが録音しましたから。おそらくは楷書系演奏が自分の好み、ペーター・レーゼルの演奏はけっこうお気に入り、ジミな存在っぽいけど。久々アシュケナージを聴いて嗚呼、こりゃエエなぁ、作品イメージを変えたかも、そんな感慨を抱いたものです。英DECCAの音質極上。現役水準。
かっちりとした楷書の表現、細部曖昧に勢いだけで弾かない、精密なテクニックは空疎に響かず緻密な甘美として、作品を魅惑に変貌させます。アシュケナージって手が小さんだそう(第2番ハ短調冒頭は分散和音になっている)バリバリと剛直な打鍵に非ず、旋律ニュアンスを活かして、仕上げはたっぷりとていねい。空疎なスケールを旨としない演奏でしょう。コンセルトヘボウ在任末期(1961ー1988)のハイティンクは巧まざる、味わい豊かなサポートぶり。
第1楽章「Allegro ma non tanto」。ほんの短い序奏の後に登場する第1主題が前編を支配するけれど、じつはこの旋律が耽美に甘美な第2番ハ短調に比べてやや素っ気ないのですね。これをいかにしっとり聴かせるか・・・凄い技巧要求を涼しい顔で遣り過すか、アシュケナージはオッシア(大カデンツァ)を採用しているんだそう、ここはバリバリ馬力力技で乗り切らぬのがアシュケナージ、リリカルに美音に頼らず、あくまで仕上げは端正であります。(17:25)
第2楽章「Intermezzo. Adagio」。胸に染みるオーボエの嘆きでスタート。この辺りはコンセルトヘボウのような一流オーケストラで聴きたいところ。ハイティンクは淡々しっとり仕上げな深い自然体でしょう。バリバリとピアニストが疾走する両端楽章の「間奏曲」だけど、ここは沈溺する緩徐楽章の魅力爆発でしょう。雪崩のようなピアノの入りもすぐにデリケートなタッチに収束して、いくらでも大仰に奏することは可能なところでも、細部精密生真面目な仕上げが美しいもの。第1楽章第1主題をワルツで懐かしく再現したり、”空疎な作品”印象一掃、甘美な情感がしっかり高まる魅惑の楽章であります。(11:29)
劇的な雰囲気に盛り上がってアタッカで第3楽章「Finale. Alla breve」へ。ここはソロ伴奏ともリズミカルに弾んで、断固と力強いなぁ。暗いニ短調からニ長調へ明るく変貌、これってRachmaninovのパターンですよね。やがて軽快に変貌して、フツウいかにも弾き流しそうな快速細かいフレーズ、ここのピアノもデリケートに緻密な仕上げであります。夢見るような場面転換有、ここも凄いテクニックが必要そうな細かいパッセージ連続、オーケストラも美しいなぁ。
そしてフィナーレへ。ここが第2主題?ド・シロウトには自信がありません。激しいリズム、ソロと管弦楽の熱を帯びた遣り取りの末、例の如し”軍楽調”(Wikiによる)による圧巻の締め括りはいつも通り。(14:30)テクニックとクールな風情、抑制と爆発バランスした美しい傑作演奏であります。
「パガニーニ狂詩曲」とのシアワセな出会いは、マルグリット・ウェーバー(p)/フェレンツ・フリッチャイ(1960年)の演奏。こちら心持ちテンポ速め、なんといっても上記同様精密、ささやくようにデリケート、さらさらと流れの良い極上仕上げ。アシュケナージのテクニックに酔いしれる名曲であります。伴奏も盤石。 (2019年4月14日)
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