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私の(しょうもない)パソコン遍歴

【♪ KechiKechi Classics ♪】 外伝


 「パソコンは猿仕事」(小学館文庫。小田島隆さん著)は、パソコンめぐる世代間というか、わずか10年くらいの職場での変遷を戯画化して(でも実にリアルで真実っぽい)面白い本です。

 職場では、私は知ったかぶりをしていて、たしかに日常ちょっとしたトラブル(パソコンの接続、入れ替えた後のちょっとした設定や、プリンタなど)くらいは、私でもなんとなく修復できるのです。(なぜできるかはわからない。たいていカンで)

 職場になるとネットワークの世界ですからね、まるっきり理解できない。でも、最低限の仕事はそうそう不自由ないくらいにさわっていますし、自宅でインターネットを使うくらいはなんとか、かんとか、といった感じ。
 この本を読むと、一歩間違えれば「わたしもこうなったはず」と身に迫ります。

<わたしのパソコン夜明け前>

 就職したのは20年前。当時からコンピューターは側にありましたが、無縁な世界。さわっちゃいけないものでした。(なんか、隣の先輩がマウスを買うのに稟議書を上げていた。もう少しあとかな)FAXの普及が、ちょうど私のサラリーマン人生の歩みと重なっていますかね。やがてワープロ全盛期になったのが10年くらい前?当時、ワープロとコンピューターの区別は付きませんでした。

<わたしのワープロ時代>

 はじめてワープロを自分で買ったのが、1987年だったかな。カシオの6行くらいしか表示のできないやつ。(これでキーボードが使えるようになった)FDでデータ保存ができて、プリンタが付いて36,000円くらいだったはず。なんと、このマシンはまだ現役で、親父が「老人会新年会のご案内」なんかに使っています。(70過ぎて偉いね)
 その2年後に、NEC文豪mini5を110,000円で購入。これは1995年まで使いました。(未だ甥のところで健在)ワープロ文書はDOSに変換したけど、FD6枚分、3,000件の音楽データベースは変換できませんでした。

<98ノート時代>

 平行して、1990年くらいから職場のN5200で「ラン・ワード」(ラン・プランは使えなかった。職場の若い女性に、こういう計算式を入れて表を作ってね、てな具合に概念だけ知っていた)にすっかり慣れ、更に当時ブームだった「98ノート」で(高かったんですよね。30万くらい?経費ですけど)一太郎dash、ロータス123を使うように。
 1993年くらいだったかな?とうとう、今風のパソコンが職場に2台くらい来て、Windows3.1でカラーディスプレイの世界に驚き。(まだ貴重品)表計算はEXCELに。

<ウィンドウズ時代>

 1995年に職場にパソコンが本格導入。一人一台時代へ。Windows95の大ブームもきて、とうとう自分でパソコンも買いました。(アイワの486マシン。13万円→翌年後輩に5万円で売却)ここで、NEC文豪mini5は引退。WORDがEXCELとともに職場にやってきて、一太郎は窮地に。(私は、秀丸エディターに出会ってそれ一本)
 その年の10月、仕事の必要上ACCESSをひととおり(カンで)使えるようにしました。(1ヶ月間 、仕事がおわったあと遅くまで残業して)これが、(我ながら)革命的な前進でした。
 これで自分の「音楽データベース」を再構築。

<ネットワーク時代>

 自宅の現在のマシンは(HP Vectra VL133〜中身は少々増強C6-200mh、メモリ96mbへ〜のち引退。女房専用へ。贅沢にもSANYO製液晶ディスプレイも購入。HDも一台増設)1996年に懸賞論文でもらったもの。4年経ってまだまだ現役です。当時出張が多かったので、Libretto20も買ってもらい、使い倒しました。(1999年永眠)

 1997年職場にNOTESが入り、本格的なネットワーク時代へ。取引先とのデータのやりとりで「パソ通」も知りました。

 1998年、大阪へ舞い戻ったのを契機に「インターネット」の世界へ。はじめから「見る」ことではなく「発信する」のが目的で、このホームページを立ち上げました。(カンで)驚いたのは、メールが沢山来るようになったこと。
 愛機Vectraの改造、息子用マシンの(半分)自作、にも取り組みました。(1999年12月故障。再開発にいそしむ毎日→結論は追加文書に)そして・・・・。

<激安時代へ>

 岡山に転居したら、ウチの前がヤマダ電気だったので、ちょっと覗いてみました。FIC(きっと海賊盤と同じ会社?)セレロン400/64mbディスプレイ付きマシンが8万円。(ディスプレーが安物で、バンドル・ソフトもなし、とはいえ・・・)あの、クソ高かったMACでさえ128,000円ですからね、良い時代になりました。

 新しいマシンは魅力的だけれど、つぎつぎと新しいマシンを買い換える時代でもないでしょう。iMACやVAIOが「デザイン」重視という新しい世界を広げました。(そりゃ、あたりまえでしょ。部屋に置くのなら)

 私はソフトなどの使い勝手が大切だと思っています。それと場所の取らない小さなタイプが好き。(ノートは別として)

 マシンが変わったり、今年みたいに転勤したりすると、まず徹底的にデスクトップを「自分風」にします。普段使うソフトは入れられるだけ入れてしまう。(ちゃんと元に戻せますよ)使わないものは削除。(削除する方が多かったりする)

 その後、1999年6月、近所の中古屋さんで日立のフローラ(液晶。信じられない激安。MMX233、メモリ32mbながら→+64mb増設しました)の出物を発見。(バックアップや説明がないのね)衝動買いをしてしまいました。そんなに早いものは欲しいとは思いません。

 これが私のしょうもないパソコン遍歴です。貴方のPCライフも教えて下さい。


 その後・・・・・・・・・1999年の暮れも押し迫った頃。

 いろいろいじりすぎたり、で息子用PCがダメになってしまいました。新しいマザーボードを買ってきて、残った部品で組み立ててみたけど、どうも各パーツの相性が悪いみたいで、ウィンドウズ98のセットアップの途中でダメになってしまう。(息子の高校合格まで、買い換えはあきらめました。マザーボードはYAHOOオークションで売り払いました。)

 ワタシの液晶フローラちゃんも、HDを無理矢理増設したり、CPUを換えたりしているうち、どこかヤバかったみたいで、ある日液晶画面が出なくなってしまいました。どうも本体側の接続がおかしくなったみたい。いま、(元)息子用PCのディスプレイをつないで凌いでいますが、修理に出さざるを得ないかも。(液晶とCRTでは色の感じがずいぶん違うので驚き。それに反応が早い気がする)→修理に出そうと思って見積もりを訊いたら「部品代6万円+技術料」だって!バカ野郎!(ってか)買った金額より高くなりそうなので、止め。で、なんかいろいろいじっているウチに正常に戻って、無事もとの液晶ディスプレイに復帰。よかった・・・・・・と思ったのもつかの間、やはりある日息の根が止まってしまった。嗚呼どうしょう。

 女房用のVectra(改)にWindows2000を入れたら、ATOK10との相性が悪く起動できませんでした。(二度と元の環境に戻せない)すべてのデータがパー。救いは家計簿のデータと年賀状のデータベースのバックアップがあったことくらい。(もとの雰囲気に戻すのに3日ほど苦労。)

 これに懲りず、息子用の新しいPCを買ったあかつき(公立高校合格が前提)にはWindows2000で再チャレンジします。すっかり独自路線で商売しているMACにも興味津々。スペックの旧いマシンでも気持ちよく走るというLinuxにも心は動くが、ここまで来ると「カン」では無理でしょうか。(ここまで1999年末)


 2000年春、ひとり息子が学費の安い高校に合格してくれたので、フローラ+IBM15インチディスプレイPCを息子に譲り(エッチ・ゲームばかりしている)、ワタシは通販でCDR+20gbPC(但しCPUはK6-U380mh)+17インチ完全フラット・ディスプレイ購入(激安!10万円でお釣りあり)を購入。すでにローエンドもいいところのマシンだけれど、ゲームや動画関係とは縁のないワタシにはこれで充分快適。(2000年4月)


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written by wabisuke hayashi