脇 圭平・芦津 丈夫 「フルトヴェングラー」

演奏家評論は理解しにくい。
岩波新書 1984年第1刷 480円

 「グレン・グールド 孤独のアリア」(ミシェル・シュネデール〜ちくま学芸文庫)は、ワタシにとって難解すぎ、哲学的に過ぎて読解不可能。じつはこの「フルトヴェングラー」も、そうとう悩みました。ワタシは演奏家評論が理解できない頭脳なのかも知れません。

 POPS系音楽だと、洋の東西を問わず、次々と若手が出てきて、世代交代が進みます。スターの顔ぶれは変わります。2000年現在、あの隆盛を誇った安室ちゃんだって、なんとなく勢いがなく感じてしまう今日この頃、我がCLASSIC音楽(この表現、なんとかなりませんか)業界では、19世紀生まれのスターは現役で驚いてしまいます。ワタシは往年の巨匠無条件礼賛派ではないものの、興味はあるし、充分楽しめる。

 第1章が、脇さんの執筆で「フルトヴェングラーとその時代」。音楽がその時代背景を抜きにして語れないのは理解できますが、ようはするにドイツの近現代史なんですね。第1次世界大戦〜ワイマール時代〜そしてナチスの時代。第2次世界対戦の終結と、フルトヴェングラーの「非ナチ化」問題と晩年。ま、もちろん音楽が主流の話しですが。

 意欲的な現代音楽で、今なお有名な「ドナウエッシンゲン・ムジーク・フェスト」が1921年に開始されている事実。クルジェネーク「ジョニーは演奏する」初演が1927年、ヴァイル「三文オペラ」は1928年。圧倒的保守的音楽層の中でも、多様な音楽層が生存できたのは1929年までで、そのあとは大不況〜ナチスの時代へ。そして1933年ワルター追放。

 当時、ドイツの総人口に対するユダヤ人の比率は0.7%、ベルリンの音楽家に占める割合は15%、BPOのメンバー比率は40%とのこと。今も昔もユダヤ人が優秀な音楽家を排出することにかわりはない。そんなユダヤ人追放のまっただ中のドイツ国内に活動を続けたのが、フルトヴェングラー。これが、のちのち彼を苦しめることとなりました。

 ・・・・・・と、いうような話しは有名で、それでも比較的短い文書ながら、これだけ系統的、詳細にまとめた文書はありそうでないもの。

 第2章、芦津さんの「芸術家フルトヴェングラー」にはほとんど歯が立ちません。「ナチの国で指揮する者はすべてナチだ」(トスカニーニ)「芸術は政治に支配されない」(フルトヴェングラー)〜の対立くらいは理屈で理解できても、「トスカニーニにはソナタ形式が理解できていない」(フルトヴェングラー)辺りになると・・・・・・ワタシが専門的な音楽教育を受けていないことは前提ながら、それでもなんとなく理論はうっすらと理解できても〜CDから流れる音楽の価値には置き換え不能。

 第3章「フルトヴェングラーをめぐって」(音楽・人間・精神の位相)は、丸山真男さんを加えての座談会。この内容も、厳密にいえばかなり哲学的な内容を含んでいるのですが、ファンとしての素直な心情が出ていて、楽しめます。例えばフルトヴェングラー逝去の新聞記事を読んだときの衝撃。丸山さんの、音楽にまるきり縁のない同級生(戦前の寮歌ばかりガナっていたような)が、ウィーンで「未完成」の演奏を聴いて涙を流した逸話(恥ずかしくて涙を拭おうとしてとなりを見たら、みんな泣いていた)「俺はクラシックなんてわからんけど、きいているうちに涙がでてきた」。

 「フルベン」という日本独特の略称のおかしさ〜本には出ていないけど「古便」の連想でしょ?・・・・・おっと、これ以上転落しちゃファンに叱られる。フルトヴェングラーが裁判で「非ナチ」と認められたあとも、CSOへの就任には在米の音楽家たちの大反対があったことは知識としては知っていたけれど、その経緯の根深さ、なんという遺恨の深さ。

 それでも全世界の音楽家たちにいまだに愛されるフルトヴェングラーの底知れ得ぬ魅力。その秘密を少し理解したような気持ちにはなりました。

 

バイロイト音楽祭の「第9」を聴きつつ。

 


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written by wabisuke hayashi