Mozart 交響曲第40/32/38番
(ヨーゼフ・クリップス/コンセルトヘボウ管弦楽団)


Mozart  交響曲第40/32/38番(ヨーゼフ・クリップス/コンセルトヘボウ管弦楽団) Mozart

交響曲第40番ト短調K.550(1972年)
交響曲第32番ト長調K.318(1973年)
交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1972年)

ヨーゼフ・クリップス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

PHILIPS 422 476-2  おそらく1,000円以上にて購入

 安く出会えば無条件購入、というお気に入り作品が存在します。例えばMozart の交響曲がそれであって、LP時代はシューリヒトであり、ベームの全集で馴染んだものです。ワタシにとっての”CD時代”とは1990年頃からであって、早速ラインスドルフ全集を購入したものです。当時は8枚8,000円でも劇的に安かったんです。やがて幾星霜を経、青年だったワタシは草臥れ中年へと老い、赤ちゃんだった息子は社会人へと成長する〜「絶対に再CD化されない」と予測していたラインスドルフ全集も、ちゃんとメジャー・レーベルから再発売されました。(それをキッカケにオークション処分)人生には、Mozart を聴くべき時間がそうたくさんは残されていないんです。

 1990年頃、LP時代憧れだったヨーゼフ・クリップスの交響曲集は、第39/41番を中古で入手(価格失念1,000円ほど?)できたのをきっかけに、第21番〜すべて入手いたしました。(計6枚/一部LP時代からお気に入りでした。円では納まらない。購入既に十数年を経、ワタシは原点に還らなければ。もっとていねいに、しっかり大切に音楽を楽しまなくっちゃ。(その後十年ほどで、CD単価半分ほどで再発なったのは時代だから仕方がない)

 稀代の名曲”ト短調交響曲”は、どんな演奏でも感銘深いのは前提として、久々、痺れましたね。かなり遅めのテンポ、両端楽章は繰り返しも実行して、練り上げられたコンセルトヘボウの響きがじわじわと、楷書の表現で語られます。けっして走らない、叫ばない、細部を曖昧にしない。バランスが突出しない。充分に奥深く、質感が肉厚で、しかも重くならない。旋律はシナを作らず、清潔で暖かい。こんな素晴らしいコクのある管弦楽には、滅多に出会えないでしょ。

 昨今希に見られるヒステリックに強調したリズムではなくて、想像通りの野暮ったいほどの穏健派の余裕であります。落ち着いた味わいには、どこにもムリがない。常に瑞々しい。第1楽章には粛々としたリズムとノリがちゃんと存在し、フレージングが清潔。安寧慰安が広がる第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「メヌエット」は淡々と悲劇を語り、終楽章は哀しみを噛み締めるように、歩みを急ぎません。そして、微笑みも失なわない。

 交響曲第32番ト長調K.318はシンフォニアとなります。わずか7分ほど。その明るい曲想には一点の曇りもない。これもややのんびりとしたテンポと、清涼なる歌に溢れました。管楽器が暖かいですね。

 「プラハ」は交響曲全曲中、ワタシがもっとも愛する作品なんです。序奏は予想外に淡々と過ぎ去り、軽妙なる熱気を帯びて主部に突入!(繰り返し有/ワタシは必要だと思います)晴れやかなる表情に、オーケストラの響きがシミジミと優しい。暖かい。歩みはあくまで軽快であって、乱暴さの欠片も存在しない。呼吸は乱れない。例の”ヴォルフガングの暗転”も、過度の色づけをしないからこその効果が伝わるんです。フルートは痺れるような奥深い響きですね。”木製の音”でしょうか。

 第2楽章「アンダンテ」も予想外にさっくり、やや速めのテンポでした。旋律の表情付けは入念だけれど、さっぱりと流れがよい。終楽章はト短調交響曲同様、”歩みを急ぎません。そして、微笑みも失なわない”。

 全曲通して。まるで清流のような、爽やかさと安寧が感じられました。春の日差しのような、優しい暖かさもたっぷり。コンセルトヘボウとの相性も良かったのでしょう。ちょっとノスタルジック方面の個性は好き好きだけれど、ワタシは常に座右に置きたいな。

(2007年6月8日)

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written by wabisuke hayashi