Mahler 「亡き子をしのぶ歌」(ピアノ伴奏版)/「さすらう若人の歌」
(Scho"nberg室内アンサンブル編) (クリスティアン・ ゲルハーエル(br)/ゲロルト・フーバー(p))/
Scho"nberg 室内交響曲 作品9(Webernによるピアノ4重奏室内楽版/ハイペリオン・アンサンブル)


ARTENOVA 74321 87818 2 @411 Mahler

「亡き子をしのぶ歌」(ピアノ伴奏版)
「さすらう若人の歌」(Scho"nberg室内アンサンブル編)

クリスティアン・ ゲルハーエル(br)/ゲロルト・フーバー(p)

Scho"nberg

室内交響曲 作品9(Webernによるピアノ4重奏室内楽版)

ハイペリオン・アンサンブル

ARTENOVA 74321 87818 2 2002年録音 411円

これは端正で、安定した歌唱でした。これが現代風なのかな?昔の録音ばかり聴いているから、もっと表情付けが細かい、感情の動きが表出するような作品かと思っておりました。ワタシは、現代風のクールな表現が好みです。

続く、Scho"nberg 室内交響曲 作品9(Webernによる室内楽版)・・・原曲は怪しく破壊的な、美しい作品(お気に入り!)だけれど、ピアノ4重奏になると作品の構造が明快になって、晦渋さは消え去りますね。演奏は集中力が続いて、まったく素晴らしい技量。(2006年3月)

・・・若々しく端正、かなり生真面目(過ぎ)な歌唱であり、前回聴取時は少々堅苦しさを感じたもの。今回は見通しの良いバックと相まって、爽やかな好感を得たものです。「室内交響曲」はもとよりお気に入り作品で、色彩感は薄れたが作品の構造がとてもわかりやすい。(2009年7月)

 「音楽日誌」によると、2006年初頭に入手したCDらしい。次々と音楽拝聴の幅を広げよう、といった意欲的入手が見て取れますね。現在ほとんど精神的引き隠り、縮み指向、集中力散漫なる毎日とは大違い。「亡き子をしのぶ歌」はこの4年後、ほんまに娘を喪うという悲劇の前に書かれた作品とのこと(管弦楽伴奏)。「いま太陽は明るく昇ろうとしている」「いまになってわかる、なぜあんなに暗い炎を」「おまえのお母さんが戸口から歩み入るとき」「こどもたちはちょっと出かけただけ」「こんな嵐の吹きすさぶ日に」〜独逸語不如意、題名+旋律+歌い手の抑揚のみで胸に突き刺さる悲劇と深い弔いの風情。

 ゲルハーエルは端正、世代故、太古時代のオーヴァーな表情付け強調はないけれど、スケールの大きさ、説得力はみごとなものです。ピアノの色彩は管弦楽に負けないと思います。ド・シロウトの連想は、Chopin 「アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ」の管弦楽伴奏なし版、聴き手はちゃんとノーミソ中で管弦楽パートを再構成できるし、むしろ作品の素の姿がわかりやすい。

 Scho"nberg 室内交響曲 作品9はLP時代からお気に入りでした。ハードかつ非情なる作品印象が強いもの。ホリガー盤だったらいっそう強くそのことを感じます。このWebernによるピアノ4重奏室内楽版は、もともと切り詰められた世界から、さらに”どこまで編成を節約可能か”みたいな余情余韻削ぎ落として、潔く、そして難解さは影を潜めました。

 「さすらう若人の歌」も同趣旨(”どこまで編成を節約可能か”)編曲でしょうか。青春の甘美な胸の痛みいっぱいの名曲、あまりにフィッシャー・ディースカウの名唱イメージが強すぎて、ゲルハーエルも影響を受けておりますね。伴奏編成が節約されている分、声楽の存在がいっそう際立ち、時に表情豊か(過ぎ)であり、力みや低音域に於ける表現余裕不足はちょっぴり気になります。

 いずれ作品旋律のテイストが際立つのは全2作と同様、馴染みの旋律は新鮮に鳴り響きました。

(2012年9月9日)


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written by wabisuke hayashi