Mahler 交響曲第9番ニ長調
(クラウディオ・アバド/ベルリン・フィル/1999年ライヴ)
Mahler
交響曲第9番ニ長調
クラウディオ・アバド/ベルリン・フィルハーモニー
DG 4792219(4791478) 1999年ライヴ
Mahler畢生の名曲は居住まいを正し、背筋を伸ばして拝聴したいもの。Claudio Abbado(1933ー2014伊太利亜)は若い頃からその才能を認められ、ベルリン・フィルのシェフを務めた人(在任1990-2002年)自分は熱心な聴手ではなくて、Mahlerだったら第3番はFMから流れたザルツブルク音楽祭のライヴが出会い、あとはシカゴ交響楽団との第1番、第2番、第5番くらいかな?他、オーソドックスに素直な?みたいな先入観に、最晩年の録音含めて聴いた記憶はありません。第9番は1987年にウィーン・フィルとの録音有。この1999年ライヴは初耳、胃癌に倒れる直前のことでしょうか。
結論的に完成度の高い感動的に美しい演奏。但し、想像していたものとはかなり違ってアツい表現。自分が云々するのは恥ずかしいけれど、音質解像度も”この時期にして”という不満ちょっぴり有、内声部の浮き立たせ方解像度も期待ほどではない。
第1楽章「Andante comodo」短い弱音による静謐な序奏はシンコペーションのリズム、第2ヴァイオリンが担当するシンプルな下降音形が第1主題、これが自在に高揚するマジック。ゆらゆらと合いの手を入れるヴィオラ(違いますか?)が妖しさ倍増させるべきところが浮き立たない。”生のテーマ”は意外と煽りのあるアツい表現なのに、管楽器による”死のテーマ”は抑制効き過ぎと感じます。文句なく優秀な、上手いオーケストラだけど、いつになく各パートに色気が足りない。あちこちテンポは揺れ動いて、自分の嗜好はイン・テンポ、妖しい色気表現なのでしょう。勝手なことを書いたけれど、”完成度の高い感動的に美しい演奏”に間違いなし。(25:52)
第2楽章 「Im Tempo eines gemachlichen Landlers. Etwas tappisch und sehr derb(緩やかなレントラー風のテンポで、いくぶん歩くように、そして、きわめて粗野に)」はファゴットのユーモラスな上昇音形からスタート。そしてまったりとした弦のレントラーが続きます。精緻を極めたアンサンブルは”軽い”印象、期待はもっと引きずるような粘着質リズム感。途中いきなりのテンポ・アップにはもっと不器用な重量感が欲しいところ。ちょいと賑々しくも上滑りに走った感じ?迫力と厚みのある響きは洗練され、濁りはない。けど、ベルリン・フィルってこんな音でしたっけ?(14:56)
第3楽章「Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig(きわめて反抗的に)」トランペットの叫びから弦がゴリゴリと躍動するスケルツォ楽章。軽快に速めのテンポ、文句なしの華やかなアンサンブル、各パート腕の見せ所、最終盤更に熱狂的にテンポを上げて、それは”きわめて反抗的に”指示通りなのでしょう。アバドってこんなに煽る人だったんですね。この楽章も”軽い”印象、とくに管楽器に”音がスムースに流れすぎる”印象有。圧巻のオーケストラの技量、クリアな響きに圧倒され、自分の感想も霞みがち。(12:21)
第4楽章「Adagio. Sehr langsam und noch zuruckhaltend(非常にゆっくりと、抑えて)」交響曲第3番ニ短調終楽章「Langsam. Ruhevoll. Empfunden.(ゆるやかに、安らぎに満ちて、感情を込めて)」と並んで自分の葬式用推奨、人生の黄昏眼前に浮かんで万感胸に迫るAdagio楽章。ヴァイオリンによる詠嘆の主題は美しく、ベルリン・フィルの弦は極上のため息、雄弁であります。Wikiによると「トリスタン」やらBruckner 交響曲第9番ニ短調第3楽章「Adagio. Langsam, feierlich(遅く、荘重に)」からの引用、関連性が指摘されるとのこと。なるほどなぁ。
線の細い神経質なヴァイオリン・ソロは安永徹さんかなぁ、どなたか教えて下さい。ゴージャスな響きに塗りつぶされる響きは圧巻!抑制された木管とのバランスも文句なし。ここまで聴いて、20年ほど前FMから流れた最終楽章は、この演奏であったことを思い出しました。甘美な官能より清潔な風情が際立つ演奏、弱音の繊細さ、この楽章には保留条件なし。(25:56拍手別)
(2021年11月13日)
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