Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調
(小澤征爾/ボストン交響楽団)


PHILIPS 470 871-2 14枚組  Mahler

交響曲第5番 嬰ハ短調

小澤征爾/ボストン交響楽団

PHILIPS 470 871-2 1990年ライヴ

 小澤/ボストンの組み合わせは黄金時代(1973-2002)だったのでしょう。亜米利加のメジャーオーケストラは独墺系の巨匠が就任するの通例、生粋の亜米利加人はバーンスタインが最初だったそう、ましてや東洋の若者が名門のシェフになるなんて!〜てな話は大昔のこと、就任当時小澤征爾は若干38歳、現職のネルソンスが37歳だから、それとほとんど変わらんのですね。今も昔もコアなクラシック・ファンが多い日本では絶大なる人気を誇って、発売当時レギュラー・プライスのLPやらCDを買えなかったワタシ、手の届かぬ葡萄は酸っぱいものですよ。ワタシはずっと小澤征爾を敬遠しておりました。

 やがてヴェテランに至る過程、時にあまりに解脱しきった表現に呆れつつ、やがて徐々にメジャーレーベルに残した音源を聴く機会は増えました。誠実、生真面目、緻密、細部明晰、ニュアンス、バランス感覚、そんな演奏こそじつは飽きがこない〜ことに気付いたものです。世代的に概ね音質良好ですし。彼のMahler は幾度聴いて(いたはずなのに)どれも印象薄く、ほとんど記憶に残っていない・・・久々に露西亜系のアクの強い演奏でも〜例えばキリル・コンドラシン(1974年)、スヴェトラーノフ(1995年)、ロジェストヴェンスキー(1973年)辺りを聴くつもりで音源ひっくり返したら偶然これが出現、嗚呼しばらく聴いていなかったな、第1楽章「In gemessenem Schritt. Streng. Wie ein Kondukt」冒頭のトランペットが鳴り出したら(これが惚れ惚れするほど上手い)もう一気呵成にラストまで引き込まれました。

 ボストン交響楽団の金管が凄いんですよ。切れ味とか華やかな輝きといった点で”亜米利加的”という比喩が正しいとは思うけれど、例えばシカゴ交響楽団辺りの強烈な威圧みたいなものとは違うし、ニューヨーク・フィルのアクの強さとも異なって、パワフルでもバランスはよろしいと思います。小澤征爾の個性、PHILIPSの録音ポリシーもあるのでしょう。先生筋であるバーンスタインの旧録音を再聴する勇気がでなかなか出ないけど、記憶にある限りこちらのほうがずっと仕上げがていねい、整い過ぎクール過ぎてオモロないこともない、ほんまバランス抜群の完成度に感心いたしました。(12:57)

 第2楽章「Sturmisch bewegt. Mit grosster Vehemenz」冒頭のごりごりとした低弦、それに応える金管打楽器乱舞の迫力、チェロによる第2主題(ヘ短調)も遣る瀬く歌って絶品です。(15:02)第3楽章「Kraftig, nicht zu schnell」スケルツォの生真面目なリズム、はきはきと正確な刻みが好ましい。この辺り、オーケストラの迫力たっぷりと思い知らされました。(17:47)

 この作品の白眉である第4楽章「Adagietto. Sehr langsam」の清純と官能の両立、ボストン交響楽団の弦の深さ、微細な味付け、入念なる仕上げ、集中力に聴き手は息を詰めて集中するしかない。情感に不足せず、叙情に流されない。テンポの動きはかなりあっても、やり過ぎを感じさせません。(12:04)終楽章「Rondo-Finale. Allegro giocoso」は前4楽章との違和感というか妙な対比が出やすいところ、ここの抑制感が絶妙であって、あっけらかんと大爆発させないのも小澤の矜持でしょう。金管が炸裂しても響きは濁らず、ピュアな美しい歌に溢れました。最後まで聴き疲れしない演奏也。(15:19)

 編集してあるとはいえ、これでライヴというのも信じがたいアンサンブル。いつものお馴染み中低音が充実したPHILIPSの音質に信頼感ありますよ。こんなレーベルも消えてしまったんですね。

(2015年12月19日)

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written by wabisuke hayashi