Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調
(リッカルド・シャイー/コンセルトヘボウ管弦楽団)


英DECCA UCCD-5021Mahler

交響曲第5番 嬰ハ短調

リッカルド・シャイー/コンセルトヘボウ管弦楽団

英DECCA UCCD-5021 1997年録音

 ここしばらくはBruckner耳になっていて、いくつか拝聴したMahlerにぴん!とこなかったもの。久々音質に定評のある英DECCA録音、馴染みのお気に入り作品を拝聴いたしました。Riccardo Chailly(1953-伊太利亜)もぼちぼち70歳か、コンセルトヘボウ時代(1983-2004)44歳の記録、次代のマリス・ヤンソンス(1943ー2019拉脱維亜)はあっけなく逝ってしまって、こちら10歳年下。先代であるベルナルト・ハイティンク(1929ー2021阿蘭陀)は先日亡くなったところ、彼のように息長く、健康に注意してまだまだ活躍してほしいものです。

 英DECCAの明晰な音質、マイルドかつ深みのあるオーケストラの響き、スムースな技巧、ムリのない流れ、こんな耳あたりのよろしいバランス演奏を好むようになっちゃ”マイナー嗜好”哲学はすっかり萎えて返上してしまったと自覚いたします。

 第1楽章「葬送行進曲 In gemessenem Schritt. Streng. Wie ein Kondukt.(正確な速さで。厳粛に。葬列のように)嬰ハ短調」朗々と美しいトランペット・ソロから始まる葬送行進曲。やがてオーケストラが参入する響きの厚み、余裕の技量、それは洗練されクリアであり明るいもの。細部入念なニュアンスに富んでも”情念”とか、そんなものとは無縁でしょう。歴代コンセルトヘボウを熟知されている方は「シャイーでオーケストラの音色は変わってしまった」と嘆くご意見は伺っていて、たしかに陰影重視に非ず、スポーティに溌剌とした健全サウンドは爽快でした。これは時代と思います。各パート明晰に浮き上がるのは英DECCA録音マルチマイクの成果、同じ顔合わせのライヴ音源だと、ちょいとイメージ変わります。(12:54)

 第2楽章「Sturmisch bewegt. Mit grosster Vehemenz. (嵐のような荒々しい動きをもって。最大の激烈さをもって)イ短調」表題イメージから考えると”嵐”でも”激烈”からも遠い、鳴り渡るサウンドはあくまでクリア、爆発しても響きは濁らぬもの。詠嘆は第2主題ですか?節回しはクサくならず、入念に朗々と歌っても”泣き”は存在しません。管楽器のマイルドな音色、涼やかな弦の掛け合いも充実して、スケールはたっぷり大きくて、テンポの動きも自然な範囲。(14:57)

 第3楽章「Scherzo,Kraftig, nicht zu schnell.(力強く、速すぎずに)ニ長調」の明るさ、弱音の抜き方の上手いこと、どのパートも響きは極上に美しい!ここは優雅なレントラーですね。冒頭牧歌的なホルンの登場に始まって全編活躍する(←とくに魅惑の弱音に痺れる)楽章、管楽器群の華やかな饗宴、コンセルトヘボウのパワフルな技量に脱帽の賑々しさ、テンションの維持。神経質な緊張やら重さを感じさせません。(18:00)一番人気エッチな第4楽章「Adagiett,Sehr langsam. (アダージェット 非常に遅く)ヘ長調」はそっと呟くようにデリケート、テンポは中庸、セクシーな趣に溢れて練り上げられた弦+ハープは絶品の洗練静謐。ここの詠嘆もクサくない、清潔モダーンなセンスでした。(10:28)

 最終楽章「Rondo-Finale. Allegro giocoso.(ロンド - フィナーレ。アレグロ・楽しげに)ニ長調」フィナーレだったら自分の嗜好として、交響曲第3番ニ短調や、第9番ニ長調終楽章のように人生シミジミと後ろ向きに黄昏れるパターンが好き。ここではホルン、ファゴット、クラリネットの掛け合い(←弱音に遠くエエ感じ)から始まる牧歌的に明るい大団円を迎えております。パワフルに鳴りきった余裕の響きに痺れましたよ。大騒ぎしそうな楽章だけど、意外と抑制を感じさせてしっとり仕上げでした。(15:29)

(2021年10月30日)

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written by wabisuke hayashi