●To おたよりありがとう

アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィル定期演奏会
(2009年1月17日、サントリーホール)


(ヘムレンさんより、コンサートの感想が届きました)

音楽を生で聴いていて落涙する、という稀有な経験を、生涯にニ度したことがある。その二度目がこのコンサートだった。

ラザレフはロシア生まれの音楽家で、ボリショイ歌劇場の音楽監督(1987-95)を務めた人だ。やはりこの人のレパートリーではロシア物が印象的だ。最近はイギリスでの活動が多く、1997年からはスコティッシュ・ナショナルの主席指揮者を務め、ショスタコーヴィチの全曲演奏をしている。ぼくが始めてラザレフを聴いたのは、その5番の演奏だった。このショスタコーヴィチ交響曲全曲は、11番がLINNからCD(SACD)で出ている以外はCD化されていないのが残念だ。5番の生演奏も実に素晴らしいものだった(前に投稿しました)。

さらに、2007年、08年に読売日本交響楽団とチャイコフスキーの交響曲全曲演奏をした。ぼくはこの頃外国暮らしが多かったためにほとんど生で聴けなかったが、4番は昨年、再演された演奏を聴いた。これもまた、爽快なときめく演奏だった。この全曲はExtonからCD化されたことは、しつこく勝手にアカデミー賞に書いた。

そして、2008/09年のシーズンから、ラザレフ師は日本フィルの主席指揮者に就任するという驚くべきニュースがもたらされたのは、昨年の中ごろのことだ。ラザレフは日本フィルを何度か振っている。その中でも、ショスタコーヴィチの交響曲11番の演奏はすさまじい演奏だった(これも投稿しました)。だからこのニュースには驚いたし、また何かすごいことが始まる強い予感がした。

日本フィルとプロコフィエフの交響曲全曲を演奏すると発表されたとき、ああ、これが予感していたものだと知った。そのプロジェクトのスタートが、この日のコンサートなのだから、もう万難を排して行くしかない。

プロコフィエフは全部で7曲の交響曲を書いている。最初の演目としてラザレフ師が選んだのは、1番<古典>と7番<青春>だ。1番はよくモーツアルトの交響曲と比較されるが、この日の演奏会では、まず1番を演奏し、まんなかに一曲挟んで、後半に7番という構成だった。挟まれたのはモーツアルトの合奏協奏曲だ(ヴァイオリン漆原朝子、ヴィオラ今井信子)。

前半は天使のささやきのような心地良い音楽を愉しませてもらった。

そして後半の交響曲7番。生ではもちろん、録音できいたことも最近までなかった曲だ。第一楽章の冒頭、ヴァイオリンが奏でる主題が始まり、チェロ・コントラバスが追いかけるあたりで、ぼくはもうラザレフの音楽世界に引き込まれてしまった。それはまるで、アラジンの魔法のランプに煙とともに入ってしまったような感じだ。音楽以外のすべてが脳裏から消えた。ああ、ショスタコーヴィチの11番の演奏も、冒頭で同じ気持ちがしたっけ。

2楽章は、この交響曲がもともと子供向けの作品をもとにしていることを感じさせる、楽しげでちょっといたずらっぽい雰囲気をもつ、テンポの速いワルツだ。ヴァイオリンの朗々と唄うようなメロディ、フルートと鉄琴が絡みあう色彩豊かなフレーズ、クラリネットやオーボエ、それからバス・オーボエだろうか、つぎつぎと登場する楽器が輪唱のようにメロディを紡いでいく楽しさ。楽章終わり近くの盛り上がりはすごい。トランペットやティンパニもかっこよかった。思わずブラボーと叫びたくなったほど。

そして第3楽章。最初の、ちょっとブラームス1番の4楽章の展開部のメロディを思わせるところで、何か解らない不思議な力が働いて、まずはウッときて、それからは目頭が熱くなったと思ったらもう落涙が始まってしまった。何かを思い出したとか、そういうことではなくて、音楽の暖かさというか、抗しようもない音楽の力とでも言うしかない力の仕業だ。

4楽章は、静かにゆったりと終わるオリジナル版が最初に演奏されて終幕、館内は大拍手の嵐。アンコールは同じ交響曲の4楽章の改訂版。これは当時のソ連指導部からの「要請」により、プロコフィエフ自身が景気よい終わり方に書き換えたもの。

いやあ、凄い演奏会でした。

ちなみに落涙したもう一度の演奏会も、上で触れたラザレフ指揮日本フィルのショスタコーヴィチ11番だった。プロコフィエフやショスタコーヴィチの音楽を落涙しながら聴く人というのは、未だかつて聞いたことがない。ぼくが変わっているのかなぁ。

(2009年1月18日)

【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
▲To Top Page.▲
written by wabisuke hayashi