Bruckner 交響曲第8番ハ短調
(ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団)


PILZ 442063-2 Bruckner

交響曲第8番ハ短調

ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団

PILZ 442063-2 1975年

 1990年代初頭、東京駅構内地下の怪しげな物産展で売られていた「East German Revolution」のシリーズの一枚。おそらく音源は、すべて旧東ドイツの放送録音でしょう。録音時期や場所のクレジットはないものの、音の状態や演奏水準そのものは高い物ばかり。一部で話題になったCDでしたが、さすがに最近見かけなくなりました。

 ケーゲルはここ数年で(ある意味)評価を確立したみたいで、日本で熱狂的なHPも見かけるようになりました。主張が明確な個性派、流したり、抜いたりしない、まさに「硬派」の演奏のかずかず。ライプツィヒ放送響、ドレスデン・フィルという地味なオーケストラ、しかも多くは廉価盤であったことも、マイナー嗜好のワタシとしては嬉しかった。メジャーな存在ではなかったが、ある意味活躍した時期がよかったのか、録音は多く残されました。

 Bruckner演奏になにを求めるか?これ、けっこう難しい問題でしょう。日本では似たような時期に受容が進んだMahler とはずいぶん違っていて、旋律の歌謡性ではなく、オーケストラの鳴りきった響きそのもの、素朴で自然体のリズムを楽しむ音楽。朝比奈翁やヴァントの大人気で、日本人にこれほどの人気を誇るようになろうとは、ワタシのこども時代では考えられませんでした。

 この演奏、数年ぶりに再聴。これは悲劇的なBeethoven 寄りの演奏なんですね。激しく叩きつけるような、戦うBruckner。オーケストラはこの人が指揮すると、いつも硬質な響きとなる。アンサンブル的になんの破綻もないが、常に緊張し続け、余裕を感じさせない、不機嫌な、というか「怒り」の響き。

 弦の息の長い旋律に、細かくも素朴な木管の装飾、金管の開放的な全奏が絡むと、一種爽快な世界が広がるはずですよね。だけど、この演奏、爽快さはみじんもない、指揮者を先頭に演奏者全員が仏頂面で音楽に取り組んでいるようで、暖かさのかけらも見あたらない。リズムは明快な縦ノリで、明快だけれど「明るく快い」のとは全然方向が違う。

 第3楽章「アダージョ」は、もっと「癒やし」の音楽だったはずだけれど、そくそくと危機感が迫って来るような不気味な音楽なんです。先日聴いたBergもそうだったが、こんな解釈こそ幼児虐待(ワタシは、これほど不快な事件は世の中に存在しないと思う)が多発する現代の不安をそのまま表現しているようで、聴いていてツラいのが正直な気持ち。

 Brucknerには優秀なオーケストラが必要です。有名であるとか、技術的に優れている、ということだけではなくて、幼児のように無心で、開放的な響きを素直に放出できるかどうか。ここでのオーケストラは、ケーゲルの意図を表現するには充分な機能、中低音に重心もあり、よけいな派手さもないと思いました。

 但し、聴いていてあまりにツラく、楽しめない。完成度は高いが、これでBrucknerが好きになるとも思えません。散々、既存の演奏を堪能し尽くした後にたどり着く究極の演奏かも知れません。立派で、個性的な演奏であることは間違いない。あまりの緊張感の強要に疲れ果てました。

 この時代にはもっと「癒やし」が必要なんです。

(2001年7月27日。1998年から再聴・修正)

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written by wabisuke hayashi