外伝へ

買ったCDがハズレだったら、どうするか

【♪ KechiKechi Classics ♪】 外伝


 1992年辺りで最終的にLPをすべて処分したら、少々財源ができました。その当時はまだ「1,000円以下」という哲学が確立しきらず、できるだけ安いCDを探す努力もしていなかった記憶があります。少しずつCDを買っていきましたが、音質が気に入らなかった(ほんとうは現在でもそう思っている)し、当時はFMのエア・チェックにも熱心だったせいもあって、「このCD、いらない」と思ったら即売り飛ばしていました。

 当初は100枚買ったら50枚は処分、といった具合。「見るのもいや」というのもなかにはあったのですが(なにを売り払ったのかも、もうほとんど記憶なし)、「ひとつの曲に一枚のCDがあれば充分」といったへんな考え方に支配されて、いま思えば魅力ある盤をたくさん売り払ったことも有。おそらく(ワタシの)LP時代末期に所有している音楽を、「全部聴いたら何年かかるのか(生命あるうちに聴き通すのは無理)」といった厭世観にとらわれていたからだと思います。

 当時はまだ「つまみ聴き」はできなかったのです。LPってそうだったでしょ?全曲はじめから通して当たり前、片面、少なくとも楽章は通して、といった聴き方。もうワープロは手元にあったけど、いまみたいに気になったところは何度も繰り返して、関連CDも取り出して、それをPCでメモって、みたいな聴き方はできませんでした。「一枚入魂」。

 集中力は年々なくなっていくみたいで、小学生の頃、旧い真空管ラジオ(当然モノラル)にレコード・プレーヤーをつないで聴いていた、17cmLPに対してこそ一番真剣だったかもしれません。子どもって、飽きもせず同じ音楽ばかり聴くじゃないですか。(絵本でも、おもちゃでもそうだけど)

 当時(〜中学生時代)胸ふるわせて聴いていて、自分の変節ぶりを知るのが怖くって、その後聴いていない録音があって、例えば

Mahler 交響曲第1番(ワルター/コロムビア響)
Mozart レクイエム(リヒター/ミュンヘン・バッハ管)
Mozart 交響曲第35番(ベーム/ベルリン・フィル)
Berlioz「幻想交響曲」(ブーレーズ/LSO)
→これ後に聴きました。やはり素晴らしい。

など。どうですか?あのときめきは音楽の力より、純粋な子どもの耳の成果かもしれない。

 ここ数年、レコード屋さんに行っても悩んでなにも買えない、といったことはなくなりました。できるだけ安い価格で冒険しよう、と心に決めたから。経済的に許せばとにかく買ってしまうことにしました。ただし、買っただけで並べておくだけ(これをワタシはコケシ状態と呼ぶ)はやめよう、ためてしまうCDに悩むこともやめにしようと。

 無理して音楽を聴くことはない、もともと楽しみなんだから、と気軽に考えることにしました。一回聴いて「!」ってなCDは、一年に10枚あるでしょうか。はっきり云って外したな、というのも相当あります。好き嫌いもあるでしょ?もとよりネームヴァリューに価値は感じないたちなので、演奏家とかレーベルなんかどうでもいいのですが、プロの評論家もコロコロと評価を変えますよね。レコ芸で「ベスト300」とか「500」とか、「歴史に残る」とかずいぶん別冊が出ているじゃないですか。そのなかの「ベスト1」なんかほんとうにめぐりめぐって、といった感じ。(Beethoven の第9はずっとフルトヴェングラーだけど、あの演奏に感動したことは一度もなし)

 で、外したCDの件。いまこの文書を書きながら聴いているのは
Berlioz「レクイエム」(ロレ/フランス・オラトリオ管弦楽団・合唱団。ESOLDUM MOS1001)
なんですけど、ライヴの音がそうとうオフ・マイクで残響ありすぎで、音に芯がなくてようわからんのです。「ようわからん」と云いながら、もう一週間も聴いている。ダメ演奏は「ここがダメ」と考えられるけれど、「ようわからん」というのが一番困るんです。

 でもね、きっといつかわかる時が来るんですよ。いまでも、その瞬間のうち震えるような快感は忘れられません。
 Beethoven の交響曲第7番第2楽章に初めて目覚めたとき。(クリュイタンス盤)フォーレのレクイエム「アニュス・デイ」に痺れた瞬間。(演奏者失念エラート1000シリーズのエラく音質が悪いLP)ウォークマンから流れたBruckner交響曲第9番最終楽章の金管に、立ちすくんでしまった地下鉄の駅。(ヴェス/ヴュルテンベルク国立管)FMから流れてきたニコレの厳しくも深いフルートに、息をのんだBach 「音楽の捧げもの」。

 最初はなにもわからない混沌。ある日それは突然訪れるんですよ。すべてが見えてきて、嗚呼そんな音楽だったんだな、身体で理解するもんなんだな、と。それが一番はっきりとするのが生演奏。

 だから最近、ダメCDでも見捨てられない。「外しCD」はどうしてもコケシ状態になりがちですね。でも、数年後にひょんなことから聴きなおす時がくるかもしれない。もしかしたら、その時まったく違う評価になるかもしれないし、やっぱりダメCDのままかも。

 それでもいいじゃないですか。CDは合成樹脂の固まりに過ぎないけど、そこから再生される音楽は聴き手の心によってどんな響きにでも生まれ変わる。「老人力」が付くと、音楽の中から人生の悲しみと苦渋を読みとることができるようになるかもしれません。

 自分の耳と心を信じて、気持ちを安らかにして、さ、きょうも素敵な音楽を聴きましょう。


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
▲To Top Page.▲
written by wabisuke hayashi