Dvora'k チェロ協奏曲ロ短調/Saint-Sae"ns チェロ協奏曲第1番イ短調
(ロストロポーヴィチ(vc)/ジュリーニ/ロンドン・フィル)


これはTOCE91089/拝聴したのはHCD-1555名曲全集的なもの Dvora'k

チェロ協奏曲ロ短調 作品104

Saint-Sae"ns

チェロ協奏曲第1番イ短調

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc)/カルロ・マリア・ジュリーニ/ロンドン・フィル

EMI HCD-1555 1977年録音

 ほんの子供の頃、大枚弐阡圓しっかり握りしめてロストロポーヴィチ/カラヤン(1968年)のレコードを買いに行きました。40年以上前のことだから物価の水準ちゃいまっせ、ほんまの贅沢品。有難く押し頂いて真剣に拝聴したものです。爾来幾星霜、人生の波風乗り越え、駅売海賊盤CD(韓国製入手当時600円)入手、もう10年以上聴いていないし、他の演奏家による”ドボ・コン”(安っぽい響きやなぁ)もほとんど聴いていない以前は熱心に聴いておりました/リンク先CDも過半は処分済)・・・この録音は5度目、ラス前(正規)録音でしたっけ、数多い彼の録音中、やや存在感は薄いでしょうか。

 記憶を辿れば(カラヤン盤に比べ)音質いまいち、オーケストラもソロもややおとなしく、控えめな演奏だったような・・・このCDはマスタリングどーの云々できぬ名曲全集中の一枚(中古入手250円也)、それでも久々の拝聴に音質の不満はさほどに感じませんでした。自然といえば自然。記憶ではカラヤンとの1968年録音はギラギラ個性のぶつかり合い、ロストロポーヴィチもベルリン・フィルも精力溢れてセクシーなサウンドであった・・・(はず)。

 この作品こそ”チェロ協奏曲”中No.1傑作!第1楽章「Allegro」素っ気ない、シンプルなクラリネット旋律(第1主題)冒頭はほんまにツマらない・・・やがてオーケストラの各パートが参入して、ホルンが第2主題を歌う頃には湧き出るような懐かしさで一杯となります。ロストロポーヴィッチ50歳、技術的には完璧であり、例の如しセクシー脂ぎった音色全盛期でしょう。ロンドン・フィルにはやや色気も迫力も不足、ジュリーニは煽らず慌てず余裕の伴奏、しっとり落ち着いたバランス表現と聴きました。

 第2楽章「Adagio ma non troppo」。たしか自作の歌曲も引用され、Dvora'kのメロディ・メーカーとしての才能を遺憾なく発揮した美しい楽章でしょう。ロストロポーヴィチの真髄は弱音部分、抜いたところの完璧コントロールと思います。牧歌的な木管合奏が静謐に開始され、チェロが表情豊かにそのままそれを受ける安寧の対話。ジュリーニのニュアンスも賞賛されるべきでしょう。やがて激情に揺れ、それをフルートが天空より諌め(カラヤン盤1968年盤ではカール・ハインツ・ツェラー?極上の色気)それはずいぶんと清潔控えめな響きであります。ホルンの合奏も刷り込みのせいか、ずいぶんおとなしくジミ。中間部の劇的な盛り上がり、揺れはジュリーニの叙情的な性格がみごとに発揮されておりました。

 第3楽章「Allegro moderato」。さきほど”ロンドン・フィルにはやや色気も迫力も不足”と失礼なことを書いたけど、ジュリーニの焦点は終楽章に有。決然としたリズムの迫力、音量ボリュームもぐっと上がって根性入ってまっせ。ズンズンとリズムを刻んで高まる緊張感、クラシック音楽と呼ぶにはあまりに大衆的親しみやすい、土俗的な旋律が朗々と歌われ、ソロはもちろんオーケストラの渾身の大爆発続きました。チェロはいかにもムツかしそうやなぁ、技術的に。甘美な第2主題の”鼻歌みたいな”(抜いた)抑制こそじつは最大の難物なのでしょう。カラヤン盤では、あちこちチェロと伴奏各パートの火花散る遣り取りがあったと記憶するけれど、ここではほんまに”遠い”〜それは表現上のことなのか、それとも録音思想なのか。

 ラスト第1楽章第1主題が回想されるところ、カラヤン盤ではコンマス・シュヴァルベとの行き詰まるような競演(どちらが主役かワカランほど)でした。こちらあくまで伴奏としての則を超えず、といったところ。全体として落ち着いたバランスを感じさせる完成度、終楽章の盛り上がりも立派。あとは聴き手の好みの世界でしょう。

 Saint-Sae"nsも出会いはロストロポーヴィチだったんですよ。(グレゴリー・ストリャーロフ1953年)ここではかなり根性入って、燃えるような豪快演奏!劇的な第1部第1主題、三連符続くいかにもムツかしそうな快速旋律にて開始、これが第3部に回帰して全体の統一感を形造る傑作です。こちらは文句なしでしょう。

written by wabisuke hayashi