Mahler 交響曲「大地の歌」
(テンシュテット/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)
Mahler
交響曲「大地の歌」
クラウス・テンシュテット/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団/バルツァ(a)/ケーニヒ(t)
EMI CDC7 54603 2 1982/84年録音 12枚組 8,990円で購入したうちの一枚
このCDを聴いたのは3年以上前かと思うが、再聴するとかなり下記と印象は変わっております。じつはオーディオ装置は当時と基本変わっていないはずだけれど、部屋の配置のせいか、「響きが乾き気味で、痩せて聞こえます。低音も弱い」という印象ではない。「なにかが足りない。例えば色気?怨み?退廃!心の底に澱んだもの」「ようはするに『カル』い」〜なに勝手なこと言ってるんだか。(>ワタシ)ワタシのサイトにも数回「音質問題」言及した(例えば第2番「復活」)が、修正が必要か。
結論的に音質は鮮明です。但し、中低音に芯があって、奥行きあるホールトーンの残響が・・・という方向ではない。これだけ艶と鮮度があれば文句ないでしょ。テンシュテットの表現は明晰で神経質、そして切迫した悲劇みたいなものを感じさせます。ひとつひとつの旋律に魂を込め、一ヶ所たりとも流した表現など存在しない。ワタシは「大地の歌=ウィーン・フィル」といった先入観があるから、ホルンやら木管やらにややカルさを感じるが、これは純粋に個性の問題、好みの世界でしょう。ジミで重〜い音ではないが、それが致命的な弱点は思われないし、ましてや技術的な不備など存在するはずもない。
ワタシは声楽方面のことは(まったく)勉強不足だけれど、「大地の歌」ならフェリア以来(正直、馴染むのに時間が掛かった)歌い手になんらかのコメントを付けたくなります。バルツァは知的で凛として(昔と同じ評価だ!)、表現は抑制され大仰にならない。楽章ごとの表情の変化は着実で、感情過多に陥らない。常に抑制を感じます。オーケストラとのバランスも完璧。これは交響曲です、といった知性でしょうか。
ケーニヒは声量的に少々苦しいですか?でも、パツァーク(ワルター1952年盤)でこの作品に出会っているから、「大地の歌」のテナーはこんなもんか?とも思います。もっと抜いたり、囁いたり、そんな余裕の表現が欲しいところ。
最終楽章「告別」へ。「色気?怨み?退廃!心の底に澱んだもの」を求める、ってこの楽章のことだったのか。バルツァの歌はあくまで明晰で冷静(表現としては完璧)、テンシュテットの表現も底光りのするような怜悧な情熱があって、むせ返るような浪漫の茫洋とした陶酔と香気・・・とは方向が異なります。当時のワタシは、この演奏の真価を理解できなかったんです。
オーボエは妙に冷静であり、ホルンはよそよそしい。弦は神経を逆なでるように語ります。各々美しいが、溶け合わない。響きは豊満ではない。(数年前のワタシはここが不満だったのか?おそらく)粛々淡々と歌い続けるバルツァ、透明さと冷静を失わないオーケストラは、そのまま青い炎となって聴き手のココロを燃やします。精緻なアンサンブルは、美しい。
繊細で神経質、非情な「大地の歌」でしょうか。これも充分魅力的でした。(2004年10月29日)
クラウス・テンシュテットをガンで失ったことは誠に残念。あと10年長生きして、ドイツ系のオーケストラで活躍して欲しかったもの。ドレスデンとか、バイエルンでもよろしい。LPOは立派なオーケストラだし、テンシュテット当時の蜜月時代を評価しない訳じゃないが、EMIの録音水準もあって響きの薄さが気になります。彼のMahler の全集は貴重な遺産だけれど、手放しで評価できないのも事実なんです。
ワタシの安物のオーディオでは、極細部の鮮明さより、音の芯というか、中低音が豊かに広がりを持ってくれると聴きやすい。EMIは全般にそうだけれど、この全集は響きが乾き気味で、痩せて聞こえます。低音も弱い。この「大地の歌」は、そのなかでも相対的に聴きやすい音質。でも、そのことは演奏とは関係ないのは当たり前。
テンシュテットのMahler はどれも音が泣いていて、胸に悲劇的な物語がズシンと来ます。この作品の白眉は30分を越える「告別」でしょう。バルツァの声質は凛として、知的な抑制が利いていて、ひとつの理想をみるような思い。オーケストラはため息と詠嘆の連続のような旋律を切々と歌って、切々と胸を打ちます。アンサンブルも緊密。どこに文句があるのか?
細部まで、どのパートも指揮者の意向が行き渡っているのは事実でしょう。しかし、ワタシの先入観には「ウィーン・フィル」がある。LPOの木管に文句などありません。清潔な音色で良く歌われ、旋律に感じ、充分に美しい。でもなにかが足りない。例えば色気?怨み?退廃!心の底に澱んだもの。そんな余計なことを勝手に求めるのは、ワタシの個人的趣味の問題だけれど、テンシュテットの指揮ならオーケストラにもその響きを求めたいもの。
ようはするに「カル」いんです。オーケストラの技量云々のことを言っているわけじゃない。クレンペラー盤におけるウィーン交響楽団(VOX)なんて、雰囲気タップリで悪くないし、(同じEMI録音の)クレツキ/フィルハーモニア管に「カル」さは感じない・・・・・・なんて、ケチ付けるばかりのようだけれど、立派な演奏に間違いないのも事実。LPOファンの方々申し訳ありません。
ここでネタ切れ。で、追加。「大地の歌」はお気に入りだけれど、そう珍しい音源を所有していません。
ジュリーニ/ウィーン・フィルハーモニー/ファスベンダー(ms)/アライサ(t)
1987年1月18日 楽友協会大ホール・ライヴ(FM放送よりエア・チェック)・・・・・ジュリーニのスタジオ録音は、たしかベルリン・フィルでしたので、珍しいかも知れません。ベルリン・フィルとの録音は一度しか聴いたことがないので比較不能ですが、上記LPOとの違いは歴然。
細部まで明快、鮮明、極限迄ていねいに歌い込んでいく表現はいつも通り。特別エキセントリックなところは見あたらないが、全編にただよう(巧まざる)悲壮感の深さはいったい何?ウィーン・フィルの団員が、ひとりひとり自発的・個性的に旋律に精気を与えていくオーケストラの底力。極上の美しさ。
安物のカセット、しかも10年以上前のFMエア・チェックという悪条件でも鑑賞に差し支えないどころか、EMI録音よりずっと聴きやすいのはどうしてでしょうか。(2001年8月10日)
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