そうとうマイナー・レーベル

Bernstein チチェスター詩編(J.リットン/アメリカ交響楽団)


BERNSTEIN

チチェスター詩編

Davidson(Fraser編)

I Never Saw Another Butterfly

ジェイムス・リットン/アメリカ交響楽団/アメリカ少年合唱団コンサート合唱団/ウイリフォード/ミッテン/シートン(ナレーター)

MUSICMASTERS 7049-2-C 1988年録音 $1.99で購入


詩編108「目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう」
詩編100「全地よ、主に向かって喜びの声をあげよ」
詩編23 「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」
詩編2  「なぜ国々はいっせいにそう激しく怒り狂うのか。そしてなぜ人々は虚しい事を想像するのか」
詩編23 「なんじわがあだの前にわがために宴をもうけ、わがこうべに油を注ぎたもう、わが杯はあふるるなり」
詩編131「神よ、わたしはおごらず、高ぶらず、偉大なこと、身にあまることを求めようとしない。心静かにわたしは憩う、母の手に安らぐ幼子のように。心静かにわたしは憩う、神の前にある幼子のように」

 これ、チチェスター詩編の歌詞をインターネットで検索したものです。(だから訳がバラバラ)ワタシは「葬式なし、散骨」が理想と思う無宗教な人間だけれど、宗教的畏敬の念はあるつもり。札幌の桑園カトリック教会が経営していた(と想像される)桑園幼稚園がワタシの最初の母校だし、聖書は意味も分からず丸暗記していたはず。日曜学校は小学校三年生まで通ってました。(お友達に会いに行く感覚)

 Bach の宗教曲も大好きだけれど、この曲、線香臭さがまったくない(あたりまえか。仏教じゃないから)のが魅力的。そうだなぁ「カルミナ・ブラーナ」に近いかな?内容は上記のとおりのいつもの説教だけれど、旋律・リズムが躍動していて、生きる喜びがあふれ出ているような魅力です。

 「ウェストサイド・ストーリ−」は知っているでしょう?「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」は、まさにあの辺りのLoveSongの雰囲気です。美しく、親しみやすく、ブルースの味わいもある。ボーイ・ソプラノの歌が清楚なんです。そして「なぜ国々はいっせいにそう激しく怒り狂うのか。そしてなぜ人々は虚しい事を想像するのか」の激しいリズム、多彩な打楽器群、細かい旋律が絡み合う合唱の見事さ。

 ラストの静けさも印象的。全曲で18分くらいの短い曲なんですよ。この演奏は、録音も新しいし美しさ、力強さは保障しますが、残念ながら手に入りにくいでしょうか。バーンスタインの自作自演だったら、国内盤でも手に入ります。(ただし、少々お高いが)


 お次の「I Never Saw Another Butterfly」は、内容が重苦しい。テレジンの大虐殺は知っていると思いますが、プラハの北にあったその収容所には15,000人の子どもたちが収容され、生き残ったのはわずかに100人。そして4,000枚の絵が残されました。その中には美しい蝶を描いた作品もあって、題名は(おそらく)それに由来していると想像されます。

 全16曲。どれも切々と胸に迫りくる悲劇的な旋律が切ない。教師の指導によって、絵画や詩が残されていているとのこと。「あの時見た蝶々が最後だった」「Night in the Ghetto」など、自ら訳を試みましたが、ワタシ如きの実力・文才では話しにならなくて、一年以上放置してしまいました。(どなかたか訳をお願いしたい)

 FRASERの管弦楽編曲は、ハープとソロ・ヴァイオリンが効果的で涙なしに聞けません。少年たちの歌声は、虐殺されていったこどもたちの代弁なのでしょう。ナレーターが要所に入り、静かに静かに曲は進んでいきます。ワタシはそういう方面にとくに熱心な運動を志すような人間でもないが、これは避けて通れない、人類の愚行への反省と怒りとして深く考えざるを得ません。

 ストコフスキーが創設したアメリカ響は実力充分でした。12月といえば「第九」の季節だけれど、ことしも陰惨な殺人事件や、WTC事件、そしてアフガニスタンでの戦争もありました。「歓びの歌」も悪くないが、こんな可憐で切ない音楽も、一年を締めくくるのも自分への(少々苦い)良薬かもしれません。(2001年12月7日) 


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi