Bruckner 交響曲第1番ハ短調
(1856/66年リンツ版/ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル)
Bruckner
交響曲第1番ハ短調(1856/66年リンツ版)
ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー(1975年録音)
DG 4778005/38枚組 5,182円にて英国アマゾンにて購入したうちの一枚
2009年に入り、ますます不況も深まってきた感じでありオークションは入札がた落ちとなり、CD相場はいやます下落現象継続。カラヤン信者じゃないし、巨大ボックスがいくら安くても購入する気などなかった(しかも、未踏峰”ミチョランマ”を膨大に抱えているし)が、円高の加減で海外アマゾンの相場が激安に。バイロイト・ボックス33枚組を5,990円にて入手してほくほくしていた(ちゃんと、着々と聴き進んでおります!)ら、じつは海外アマゾンでは更に千円安かった!という情報に悔しい思い有。カラヤン・ボックスは英国から取り寄せれば相場より3,000円!安い〜だから、それがどーした?と、冷静に考える前に注文しておりました。
閑話休題(それはさておき)
カラヤンも既に鬼籍に入って20年を経、今更、”アンチ・カラヤン”(死語)もクソもない、といったことでしょう。Brucknerをちゃんと聴いてみたかった。若い頃第4/7番(EMI録音のLP)で失望して以来、聴く機会はありませんでした。値段も高かったしね。ぴっちりと隙間なく収納されたCDを「えいやっ!」と取り出すと偶然、第1番でした。バレンボイム(旧録音)、ハイティンク、ヨッフム(新旧録音)、スクロヴァチェフスキ、そしてゲオルグ・ティントナー、インバル、マズア〜ちゃんと聴いていたから作品旋律はすっかりお馴染み。(過半のCDは処分いたしましたが)
第1楽章始まりました。分厚いオーケストラの響き、その”濁り”が気になります。夾雑物がある、とか各パートのアンサンブルが不協和音〜おそらくはそんな意味ではなく、これは”厚み”を意図した結果なのでしょう。多くの人は”ゴージャス”であると評するのでしょう。初期作品故の清潔なアンサンブルを求めていた、という前提(刷り込み)もありました。
・・・ところが、聴き進むにつれ、印象はどんどん変遷します。初期作品故の未熟な、発展途上の作品〜よく聴き知った旋律なのに印象一変!どの楽章も練り上げられ、立派な名曲に変貌していて未熟さなどどこにも存在しない。カラヤンがこの作品に入魂していたとは思えぬが、驚くほどに聴かせ上手、おお!これけっこう名曲じゃんと感心するばかり。
リズムは少々ユルく、手慣れた(レガート)表現が余裕で、以前(若い頃)なら反発を覚えたことでしょう。しかも、響きがクリアではない、リズムがやや粘つく・・・しかし、文句なくオーケストラが上手い。各パート余裕があって美しい。どんなに大音量で鳴っても、響きがヒステリックに混濁しない(先ほどの”濁り”とは意味が異なる)。弱音に抜いても、旋律の流れが行方不明にならない。推進力を失わない。
所謂、全編”カラヤン節”であって、見え透いたテンポの不自然な揺れは存在しません。第1楽章「アレグロ」では”おお、様子がいつもと違うのう”と感心しつつ、第2楽章「アダージョ」では”この作品は名曲に至った”と感慨深く、静謐かつ豊満(セクシー)な詠嘆に埋もれ、堪能いたしました。弦の痺れるようなサウンド、洗練された木管はどこにもマネできない。(Brucknerのキモである)第3楽章「スケルツォ」には清潔な溌剌感が不足する代わりに”余裕”を堪能いたしました。
終楽章は、特別なことをしていないように見えて、いつのまにか怒濤の盛り上がりに身を委ねておりました。但し、オーラスはちょっと「?」っぽく終わった感じもあったが。カラヤンは音楽をわかりやすく聴衆に聴かせ、オーケストラに無理なく自分の意図を伝えることのできた天才だったのでしょう。いままでお気に入りとして聴いてきた演奏との比較も楽しみであります。
(2009年5月8日)
【♪ KechiKechi Classics ♪】 ●愉しく、とことん味わって音楽を●
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