Bruckner 交響曲第7番ホ長調
(セルジウ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル 1994年ライヴ)


EMI Bruckner

交響曲第7番ホ長調(1885年縞ノヴァーク版)

セルジウ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル

EMI 1994年ガスタイク・ホール・ライヴ

 前回は2022年5月に拝聴。Sergiu Celibidache(1912-1996羅馬尼亜)をリファレンスに据えるとたいていの演奏には耐えられなくなる・・・難儀な代物。曰く

微速前進、遅いテンポに小賢しく慌ただしい生活が馬鹿らしくなる時間、怪しい麻薬のような最極限デリケート、細部ていねいに余すところなく緻密に描きこんだ演奏。すべてを諦めて、ゆったりとした大河の流れに身を委ねて深呼吸、眠くなる至福の演奏でしょう
 ミュンヘン・フィルとの盤石な信頼関係、この印象と寸分違わぬ感動押し寄せました。どちらかというとやや淡い、暖かいサウンドのオーケストラ、ガスタイク・ホールの残響も快い音質。これでライヴだからたいしたものですよ。全交響曲中屈指の美しいサウンドを誇る名曲、聴手にとんでも忍耐を強いる究極の集中力に痺れました。これは最晩年の演奏だったのですね。第2楽章に盛大なる打楽器が入るノヴァーク版、らしいけど、そこ以外の詳細な違いはわかっておりません(別資料にはハース版とも?)。立派な響きだけどニ管編成、ワグナーチューバが4本。主役は延々と歌う弦でしょう。

 第1楽章「Allegro moderato」から眩いばかりに美しく(この主題を使って幸運を掴んでください、との夢のお告げ=Wikiより)陶酔する深い呼吸、間もたっぷり。細部曖昧さはなくどのパートも明晰、そそくさと走り抜けることを絶対に許さない。通常は概ね20分くらいだから、噛み締めるように、ほとんど絶望的に遅いけど、チェリビダッケは速い遅いだけで云々できぬ、緊張感テンションの維持がキモでしょう。ラスト辺り息の長いティンパニは名人Peter Sadlo(1962ー2016独逸)でしょう。(24:17)

(楽章間はたっぷり30秒以上有)第2楽章「Adagio,Sehr feierlich und sehr langsam(非常に荘厳に、そして非常にゆっくりと)は延々と続く静謐な嗚咽と深呼吸、Wagner追悼の意味を込めて消えゆくように、止まってしまいそうに神聖。ここはBruckner中でもっとも美しい場面でしょう。息を潜めてじりじりとクライマックス(打楽器乱舞!)を待ち続けるもどかしさ、そしてカタルシス。なんと約30分(通常耳にする演奏は20数分)。これは前回も今回ももっとも感銘を受けて、弦の雄弁な歌に眠なるところ。(29:16)

 第3楽章「Scherzo,Sehr Schnell(非常に速く)はちっとも速くないやないか!そんなツッコミも入れたくなるゴリゴリとしたリズムに溢れたスケルツォ=諧謔曲はいつになく重厚なスケールに響いて、大いなる歩みでした。わかりやすい素朴な旋律に、大きく揺れる入念に噛み締めるようなスウィング感、圧巻のパワフルな力感。中間部はいっそう、入念にテンポを落として天国のように優しい安らぎを感じさせました。(11:35。通常は9分くらい?)

 終楽章「Finele,Bewegt, doch nicht schnell(運動的に、あまり速くなく)は明るい風情、頻繁な転調、テンポの動き、一般になかなか収まり、締めくくりの難しいところでしょう。ここは意外と肩の力を抜いて軽妙に抑制、落ち着いて神妙にまとめ上げました。テンポは頑なに走らない。ラスト迄力みのない粛々とした流れが継続いたしました。(15:00)このテンポ設定は別格の存在、これに耳慣れるとほかの演奏に違和感を覚えたものです。(タイミングは拍手含まず。楽章間をたっぷりとった収録も配慮あるもの)

 CDではこの後にテ・デウム(1982年)が収録されます。(マーガレット・プライス(s)/クリステル・ボルヒェルス(con)/クラエス・H.アーンシェ(t)/カール・ヘルム(b)/ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団/ミュンヘン・バッハ合唱団員/エルマー・シュローター(or))10:00-3:36-2:16-9:03-7:31。これもかなり入念に遅いテンポでした。第2楽章「Adagio」と同じ旋律が出てくるから、組み合わせに相応しい作品でしょう。

(2023年3月11日)

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written by wabisuke hayashi