Bruckner 交響曲第7番ホ長調
(ウィリアム・スタインバーグ/ピッツバーグ交響楽団)


MCA  MCAD9825A Bruckner

交響曲第7番ホ長調

ウィリアム・スタインバーグ/ピッツバーグ交響楽団

MCA  MCAD9825A(Command原盤) 1968年録音 2枚組$3.98にて購入

 今となっては珍しい存在であり、2004年頃当BBSでちょっと話題になった音源でして

聴きました。7番は、取り柄の無い演奏と言えば言い過ぎでしょうか?(K氏)

 とのこと。ワタシは「正直、ワタシ、スタインバーグ盤を数年ぶりに聴いたけれど、非常に感動しました」と反応〜「音楽日誌」では、

この演奏家組み合わせは、「運命」「田園」のLPで馴染んだ中学生時代以来の感想だけれど、オーケストラの響きがカタく、金属的と思います。スタインバーグはストレート系の表現一本槍で、第1楽章など落ち着かないテンポであまりに素っ気ない(Brahms でもそう感じる)。

オーケストラの音色も「Brucknerに期待したい地味渋系」(なんせアメリカの工業都市だし)じゃないし、どうしよう、なんて思っていると第2楽章以降の虚飾ない自然体が胸を打ちます。誠実でまっすぐ。(ところで第2楽章アダージョのサビではシンバル目立たず、ティンパニ大爆発の前に助走ロールが付いている)これはこれで「無為の為」の境地に達していて、誠実な演奏でした。

と、少々コメント。

 Brucknerに関しても鋭い拘りを持たれていらっしゃる、B氏からは詳細書き込み有。

以前聴いた感想そのままの演奏でした。

緩急自在で面白く聞かせるという点では彼らの時代のお作法なのですが、ブルックナーの音楽が受容されていない時代はともかくとして、十分聞き込まれている現代においては苦笑する部分なしとはしません。今でもたまに使われるマーラー・ブルックナーという言葉、これは単純に二人の長大な交響曲をつくった作曲家をさして言う言葉で、受容度が低かった時代、教養主義的観点から一部のドイツ系やユダヤ系指揮者が熱心に紹介していた頃にゴッチャに使われていたわけですが、スタインバーグの7番はマーラー的な演奏のように思います。

速度変化の指示を的確に捉えるばかりでなく、独自にもブレーキ・アクセルをきかせています。そのような関係で第一楽章やフィナーレのラスト部分のアチェレランドする部分では8番交響曲のフィナーレ冒頭を思わせる音色はユニークですが、好みではありません。アダージョはなかなか出来が良く、メロディーがしっかりしている音楽ゆえ、やりやすいこともあったのでしょう、よく歌っている演奏です。

オーケストラの音色が溶け合わない録音は残念ですが、マルチマイクのおかげで低音(特にチェロ・コントラバス)の動きが明確に捉えられていて、勉強になりました。

 ま、これ以上付け加えることもないんだけど、いちおう自分のサイトなので蛇足を少々。

 ドレスデンとかコンセルトヘボウなどを念頭に置くと、やはりピッツバーグ響の音はBruckner向けではないでしょう。少々、金属的でカタいし、明る過ぎる感じ。(とくに金管がイメージと異なる)第1楽章は、細かい表情を付けてはいるが、いかにも「イン・テンポ」(ほんまの意味は違うんだろうなぁ)というか、やや早めで機械的な進行と感じました。そっけないが、けっこう努力賞か。とてもわかりやすいBruckner。

 この作品中の白眉である「アダージョ」〜ここがよく歌って、瞑想的な味わいも深い。弦もホルンもヴァーグナー・チューバも(う〜んと)魅力的な音色とは思えないが、誠実にしっかり演ると見事なる成果を生む典型、といった感じでしょうか。曲が進むにつれ「このオーケストラの音色は・・・」云々は忘れ去ります。先にも書いたけれど、サビでのシンバル目立たず、ティンパニ大爆発の前に助走ロールが付いておりました。(ノヴァーク版ですか?いえ、その辺りのことには疎いのですが・・・)

 スケルツォのリズムは元気よいが、少々テンポは揺れ、弦も泣き、生き生きとした、かなり濃厚な表情を作り出しました。但し、なんやら表情晴れやかで違和感有。でも、たいした迫力であり、盛り上がりもあります。この曲、最終楽章がちょっと尻切れトンボ的印象があるんだけど、スタインバーグは明快に、楽しく、最後まで疲れずしっかりとメリハリ付けて堂々たる貫禄が続きました。これはこれで、ひとつの個性だと思います。

 たしかに全体として、陰影深いとか、Bruckner的荘厳なる雰囲気じゃない(先入観ですか?)か。

 Command録音の肌理は粗いのか?それともCDへのマスタリング問題か。ひとつひとつのパートはよく聞こえるが、定位とか奥行きやら残響が不自然で損をしていると思います。海外のサイトも含めて録音年を探したが、不明。情報をお持ちの方はご一報下さい。1960年前後でしょうか。

written by wabisuke hayashi