Brahms 交響曲第1番ハ短調/ハイドンの主題による変奏曲
(オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団)
Brahms
ハイドンの主題による変奏曲(1954年)
交響曲第1番ハ短調(1956年)
オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団
パブリック・ドメイン音源
・・・最近敬遠気味なBrahms。クレンペラーの辛口演奏だったら聴いてみたいもの。大仰深刻な風情は日本での人気No.1を争う作品とか。この世代で数多くの良好な録音を残してくださった幸いはブルーノ・ワルター同様。この時期はモノラル/ステレオ端境期、ややぱっとしない音質と感じるのは聴手の集中力問題もあることでしょう。(「音楽日誌」より)
とは、あまりに手抜きな素っ気ない数日前のコメント、往年の巨匠Otto Klemperer(1885ー1973独逸)に申し訳ない。「ハイ・バリ」に至ってはステレオかどうかも自信なく、後で調べてみるとモノラル録音とのこと。
「ハイドンの主題による変奏曲」(聖アントニウスのコラールによる変奏曲)のオリジナル主題は管楽ディヴェルティメント 変ロ長調 Hob.U-46、シンプルでステキなアンサンブルですよ。Brahmsはほんの些細な素材を無限に広げる天才、この作品も巨魁なスケールに悠々、変幻自在な名曲、そしてあまり飾りを感じさせぬ貫禄演奏。ま、以前は苦手作品だったけどね。”ややぱっとしない音質と感じる”のはこちらモノラルだからでしょう。作品を堪能するのに不足はない音質水準。フィナーレ(Andante)に至って感極まる”悠然と慌てぬ大きな”演奏。オーケストラの響きは明るく清涼なもの。
交響曲第1番ハ短調も二管編成なのにものすごく立派に、重厚に響きます。ここ最近、室内楽編成とか古楽器系の演奏を聴くとさほどに”重厚”ではないものあるから、19世紀浪漫演奏の残滓表現なのかも。第1楽章「Un poco sostenuto - Allegro」冒頭のティンパニの連打に支えられる弦の主題は、圧巻のカッコ良い深刻な威圧感。精神的にテンションを上げぬと聴手は押しつぶされますよ。若い頃からずっと苦手意識は抜けませんでした。木管による詠嘆の合いの手も効果的。煽ったり走ったりしない、あわてぬ悠然とした推進力は重心低く、妙な色気抜き素っ気ない表情も個性でしょう。オーケストラの響きは素直にクリアなもの。提示部反復なしは残念。厳しい辛口演奏ですよ。(14:06)
第2楽章「Andante sostenuto」は緩徐楽章、優しい愛の歌ですね。オーボエのソロが聴きもの、これもベルリン・フィル辺りの色気とはずいぶん風情が違って抑制されたもの。弦の歌、木管の絡みはオーケストラの技量を物語る美しい仕上げ、表現は粘着質に非ず。やがてヴァイオリン・ソロ、ホルンが登場して万感胸に迫るところ、これも素直な響きなんやなぁ、全編に漂うデリケートな風情と起伏は絶品でした。(9:25)
第3楽章「Un poco allegretto e grazioso」は本来スケルツォだけど、ここは終楽章フィナーレへ導く”間奏曲”。牧歌的な木管+弦の調べに乗せてグラツィオーソ(優雅)な出足、中間部の盛り上がりも金管を伴って圧巻、ちょっぴり躊躇いを見せながら晴れやかな表情が続きました。美しいオーケストラですよ。(4:42)第4楽章「Adagio - Piu andante - Allegro non troppo, ma con brio - Piu allegro」は深刻重苦しい序奏。ピチカートのせり上がり+ティンパニの一撃も来たるべき”事件”を予感させて不安げな切迫感続きます。それを打ち破るようにホルンは一条の光、フルートも参入し、やがて雲は晴れてシンプルな元による”喜びの歌”(風)へ。それを発展させるのはBrahmsのお家芸、弦のピチカートに乗って木管の表情も晴れやかに劇的情感の変化、高まりを迎えます。この辺りの持って行き方の上手さはクレンペラーの真骨頂でしょう。やがて「マイスタージンガー」前奏曲を連想させるクライマックスを迎えて、立派なスケールに大団円へ・・・(16:00)
音質はまずまず。やや乾いて臨場感やら低音が足りぬEMI録音の個性でしょう。 (2021年9月25日)
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