Brahms/Stravinsky ヴァイオリン協奏曲(ヒラリー・ハーン(v)/
ネヴィル・マリナー/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ)
Brahms
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77
Stravinsky
ヴァイオリン協奏曲
ヒラリー・ハーン(v)/ネヴィル・マリナー/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
SONY SICC1052 2001年録音
Sir Neville Marriner(1924年4月15日 - 2016年10月2日)世代的に寿命なんでしょうけど、昔馴染みのビッグ・ネームが次々亡くなっていくのは寂しいものです。ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn/1979ー)当時22歳若手との共演は一筋縄ではいかぬ組み合わせ演目、愉しみに拝聴いたしました。たしかBeethovenの組み合わせはBernsteinでした。BrahmsはTchaikovskyと同じ年(1878年)の成立とか、なるほどなぁ、こんな浪漫の色濃い作品は時代の証言だったのですね。
Brahmsの協奏曲はどれも立派な風情、交響曲を連想させて深く、大きな構えを感じさせます。当然オーケストラの厚みのある響きがポイント、マリナーの手兵は室内管弦楽サイズのはず(音録りの関係かもしれないけど)かなり清涼、スッキリとして鬱蒼とした重さとは無縁なサウンドでしょう。ヒラリー・ハーンのヴァイオリンは細かい縮緬ヴィヴラートを伴って、しかし元祖・ルッジェーロ・リッチほどのアクやクセを感じさせません。慌てず走らず、安定した技巧、しっとりしっかりと旋律を描き込んで、いくらテンションを上げても、基本姿勢はクールそのもの。時にいじらしいほどのニュアンスとか抑制、その対比情感の爆発!があったとしても。
第1楽章「Allegro non troppo」(23:16)上記を前提として、旋律の抑揚、カデンツァに於ける雄弁なスケールはたいしたもの。マリナーのオーケストラがソロを引き立てるような素直なせいもあるでしょう。こちら快速ハイフェッツが刷り込みのせいか、充分落ち着いて慌てず、しっかりていねいに細部描き込んでいるように聴きました。とろり豊満な(往年ヴェテラン勢の)美音が懐かしいけれど、若者らしい決然と几帳面な表現でしょう。まずは上々の出足。
第2楽章「Adagio」(9:31)が絶品。冒頭オーボエの音色がなんとも清潔、懐かしい旋律を延々と奏でます。ヴァイオリン・ソロはおそらくBrahmsが作った旋律中屈指の美しい世界、頑なに抑制して、官能に弾き崩さない。曖昧さがない。あくまでクールな佇まいでこそ、こんな甘美な旋律が活かされます。 第3楽章「Allegro giocoso,ma non troppo vivace - Poco piu presto」(7:51)この楽章に限らず、屈指の難曲らしい(実演を拝聴するとよ〜くわかる)けど、ハーンの技巧は安定して微塵もそれを感じさせない・・・細かい音形旋律は余裕を以て怜悧明快明晰に表現されました。あまりの名曲に古今東西老若男女、数々の名演犇(ひし)めいて挙句、不遜な音楽愛好家(=ワシ)はこの名曲をちょっぴり敬遠しておりました。この演奏を、久々新鮮に受け止めました。
・・・ここ迄書いて要らぬ追加。同曲をダヴィッド・オイストラフ(v)/オトマール・ヌシオ/スイス・イタリア語放送管弦楽団(1961年ライヴ)を久々に比較拝聴〜これがセクシーつやつやの音色、余裕の節回し、これぞ横綱相撲!感心しました。こうしてみるとヒラリー・ハーンはやはり「若い」、成熟は未だ先と感じたものです。
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Stravinskyのほうがこの組み合わせには相応しいかも。出会いはイヴリー・ギトリス辺り?(1955年)かつて聴いたものは第1楽章「Toccata」(4:51)からハード、いずれ晦渋に破壊的な印象ばかり。これがヒラリー・ハーンの手に掛かると(基本クールな姿勢を前提に)なんとも平易な、わかりやすい世界に変貌します。これも余裕の技巧の産物か。管弦楽の色彩、リズムのオモロさはマリナーのお陰で初めて理解できましたよ。第2楽章「Aria1」(4:27)第3楽章「Aria2」(6:07)に初めて”歌”を感じ取りましたよ。終楽章「Cappriccio」(5:32)にユーモラスかつ上機嫌な躍動を感じ取ったのも初めて、ラストどんどこテンポを上げて軽快そのもの。 (2017年3月4日)
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