Beethoven 交響曲第6番ヘ長調「田園」(ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル1962年)


KASER DISKS KC-0018(DG録音) Beethoven

交響曲第6番ヘ長調 作品68「田園」(1962年)
序曲「命名祝日」 作品115
序曲「プロメテウスの創造物」作品124(以上1969年)

ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー

KASER DISKS KC-0018

 「田園」との出会いは1970年頃、ウィリアム・スタインバーグ/ピッツバーグ交響楽団による快速演奏でした。虚心なる紅顔の少年は、そりゃ感動深く受け止めたものですよ。とくに第2楽章「小川のほとりの情景」〜嗚呼、夜鶯や鶉、カッコウが啼き交わしているじゃないか・・・やがて、人生の荒波(意外と平坦だったかも)幾星霜を経、華麗なる加齢を重ね、罰当たりBeeやん苦手に至ったことは千度【♪ KechiKechi Classics ♪】に書きました。感動に悪慣れし、謙虚さを失いました・・・2年前2010年生演奏にて少々リハビリは進んだか、と自覚しております。

 今や歴史的存在価値を終えた駅売海賊盤、値札には@350。もしかしたら、その半額セールだったかも。KAIZER DISKS(韓国?)による1960年代カラヤン最盛期のBeethoven 交響曲全集は第2番ニ長調以外、すべてそのBOOK・OFFにて仕入れました。(第2番は売れてしまっていた?)LP板起こしらしく、各曲各CD音質ガラリと変わるんです。なんせオリジナルを知らぬし、しかも我が人民中国製ディジタル・アンプも高級とは程遠い環境前提に、この「田園」はずいぶんと音質どんよりしてぱっとしない〜最近ピカピカのディジタル録音を聴く機会も多いから、その印象いっそう強めました。自然と言えば自然、きんきら刺激的ではない、だからそれなりに聴き易い、というのも事実なんだけど。

 こんなエエ加減なCD売れるはずもなく十数年、iPodに落として拝聴(十年ぶり?)印象かなり変えました。かつて、ぞっとするほど曖昧で、ゆるゆる流した演奏に嫌悪感〜ワタシのBeeやん(+カラヤン)嫌いを決定付けた〜それは特に前半のどんよりはっきりしない音質の責任もあったのでしょう。ディスクに刻まれたデータは不変、聴き手ノーミソの変遷(劣化?)は前提として。

 第1楽章「田舎に到着したときの晴れやかな気分」始まりました。かつて「田舎にスポーツカーで乗り付けている演奏」との論評を拝見したこともある快速な導入。ベーレンライター版が普及した現在では、こんなテンポはフツウになりました。いつ始まったか?わからぬ、ふんわりとした曖昧な出足(伝統だったはずだけれど、アバド以降消えました)まるで電気自動車のように騒音雑音のない、スムース洗練されたサウンド。テンポ云々より、ポイントはここなんじゃないか。威圧感もないが、素朴な田園風景も消え去りました。ムーディかつイヤらしい、しかし厚みと余裕はたっぷり。弦も木管も”ムーディかつイヤらし”さ、たっぷり。

 しかし、21世の耳には、それもさほどの違和感なし。素っ気ない、激しい古楽器演奏聴きすぎた反動か。

 第2楽章「小川のほとりの情景」〜ムード極まって、その美しさは尋常に非ず。フルートはカールハインツ・ツェラー?ひときわ朗々華やか(軽妙に非ず)に存在を主張し、地味な役回りのはずのファゴットの雄弁なこと!(ギュンター・ピースクでしょうか)それ以上に痺れたのはカール・ライスターのクラリネット(ですよね)であって、低音から高音まで均一な音質を誇って洗練されておりました。ここは木管名人の饗宴が聴きものでしょう。ここだけ聴けば、かつて聴いた中でヴェリ・ベストかも。

 第3楽章「農民達の楽しい集い」は、ややリズムが重く、緩い。前2楽章と同趣向ということでしょう。ぐいぐいと厚みあるサウンドはテンポもテンションも上げ、圧巻の貫禄(素朴な田舎の農民何処?)〜第4楽章「雷雨、嵐」へ。ティンパニ登場(ヴェルナー・テーリヒェン?)もの凄くカッコよい。そして金管の割れた迫力もけっしてサウンドを濁らせない(けど、ややあっけなく過ぎ去る印象有)。第5楽章「牧人の歌、嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」は、カラヤンの語り口の上手さを存分に発揮して、都会的ムーディな弦に木管の名人芸は最高潮に・・・甘美なる響きに酔いしれるばかり。

 Beeやんの序曲集は、交響曲以上に聴く機会が少ないんです。LP板起こし故?音質印象変わって、もっと骨太、少々ざらりとしておりました(こちらもあまり良好なる音質に非ず)。序曲「命名祝日」はわずか7分弱、いかにも儀式用音楽らしい硬派、元気の良い作品であります。序曲「献堂式」も、いかにも式典音楽らしい威厳に満ちて堂々とした風情ながら、じっさいは他の音楽の使い回しらしい。ティンパニにファゴットの細かい音型が絡むなかなかの聴きどころ有。あとは圧巻の盛り上がり、微妙な表情の変化・・・ま、今更苦手とは言わんが、ぎょうぎょうしくて、そう好みの音楽でもありません・・・って、度重なる罰当たり発言ご容赦。

 Karajan Symphony Edition38枚組(激安にて)入手済みだけれど、そこには1970年代の全集+序曲にはこの2曲が含まれないので、ダブり入手は防げました。

(2012年2月25日)

 カラヤンは人気指揮者だったので、駅売海賊盤登場は早かったのでした。著作隣接権改訂(平成8年)前にはステレオ期の録音が多く登場して、これもその一枚也。1990年前半のCD定価は2,000〜3,000円でして、1,000円は格安だったし、さらにその中古を「3枚500円」(BOOK・OFFにて)入手したはず。21世紀も10年を経、累計かなりのCDを処分したが、これは、ま、いちおう確保しておこうと考えておりました。現在「カラヤン・シンフォニー・エディション(38CD)」は8,000円弱、ワタシは英国から総経費込5,182円で入手したんです。20年経ったら正規盤の価格下落は駅売海賊盤+中古を凌ぐ時代へ。感慨無量。

 そんなことと音楽の価値は別次元でしょ。じつはこの「田園」1962年録音、ワタシが徹底した「カラヤン嫌い」「”田園”カンベンしてよ」的嗜好に至った一枚。さらさら速めのテンポ、抜いて余裕の弱音、ムーディー、細部曖昧なる雰囲気、オーケストラは完璧な上手さ、洗練、甘い音色・・・繰り返しを実行していないのも気に喰わなかった。なんせ、刷り込みはウィリアム・スタインバーグ/ピッツバーグ交響曲(キング世界の名曲1000シリーズ)でして、あれはちゃんと実行しておりましたから。

 第1楽章「田舎に到着したときの晴れやかな気分」 /第2楽章「小川のほとりの情景」/第3楽章「農民達の楽しい集い」 迄、”抜いて余裕の弱音、ムーディー、細部曖昧なる雰囲気”で耳当たりよく進んでいくんです。この鼻歌交じりのクサいテイストは若い頃耐えられなかった。ハナに付いて、歯が浮く。しかし幾星霜、人生の荒波越え、おそらくは10年ぶりの再聴、こんな肩の力が抜けた演奏も悪くない。こだわりがないというか、情感タップリ揺れ動く世界ではない、ストレートでほとんど装飾がない表現。

 第4楽章「雷雨、嵐」にて、ようやく天下のベルリン・フィルが爆発するんです。その鳴りっぷりも余裕であって迫力に響きは濁らない。ここが一つの山、更にラスト第5楽章「牧人の歌、嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」 に至って、カラヤンの狙いが理解できたような気が・・・基本”抜いて余裕の弱音、ムーディー、細部曖昧なる雰囲気”路線ながら、入魂の細部描き込み、緩急自在、入念に歌って、盛り上げ、締めくくりは絶妙のワザ・・・美しくもセクシーな「田園」也。

 序曲はBeethoven 生誕200年用に録音された7年後の物。ほぼ同じ録音スタッフ(ゲルデス/ヘルマンス)、会場(イエス・キリスト教会/ダーレム)なのに音質はまったく変わります。こちらのほうが骨太で質実な響き有。「田園」は残響豊かでほんまムーディでしたから。但し、(おそらくは)「LP板起こし」状態にもよるのでしょう。交響曲だって各作品ごと、印象かなり変わっておりますから。フィル・アップとしては少々違和感があって、序曲のほうは素朴で律儀、いかにも祝典的な儀式用の音楽?風に思えます。カラヤンは上手くまとめているが、いかにもお付き合いで録音した、といった印象の演奏でありました。

 いずれ、ベルリン・フィルの流麗なる威力には文句なし。

(2010年7月4日)


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written by wabisuke hayashi