Bartok 管弦楽のための協奏曲(1953年)/
Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」(1951年)
(アンタル・ドラティ/ミネアポリス管弦楽団)


Mercury LP Bartok

管弦楽のための協奏曲(1953年)

Stravinsky

バレエ音楽「春の祭典」(1951年)

アンタル・ドラティ/ミネアポリス管弦楽団

Mercury LP音源

・・・2022年1月に聴いていて曰く
”Mercuryによる期待の旧モノラル録音、これは悪い音じゃないが、わざわざ求めて聴くべき音源に非ず”
とは失礼な言い種。転居後の部屋は堅牢なるコンクリート壁、ボリュームを上げて聴くと鮮明な分離を堪能できて、単に”ステレオではない”だけの優秀な音質を堪能できました。うっかり聴いていたらモノラルとは俄に気付かぬほどの各パートの存在感。例の如し、かっちり飾りのないストレートな演奏を堪能、この時期のミネアポリス交響楽団の技量もたっぷり愉しめました。引き続きバレエ音楽「春の祭典」(1951年)も確認して、これもまったく同じ印象でした。
(2022年2月)

 お仕事引退して大阪府大東市に隠棲した2022年もそろそろ終わり。有り余る時間に+8月にはコンピューターの買い替え、全世界よりネットを駆使して音源をたっぷり探ったものです。時間と精神(こころ)の余裕に、全部は聴けないけれどお仕事現役時代よりはしっかり聴き込んだ手応えはあります。とくにモノラル時代〜ステレオ初期音源はパブリック・ドメイン(正確にはStravinsky/Shostakovichは然(さ)に非ず)たっぷりまとめて音源入手拝聴、交通や情報不如意時代にはローカルに色濃い個性が生き残って貴重。現代は均一化された”世界同時多発技術向上”な時代、それは情報社会、世界中に音大卒業年に弐萬人ほど?職を求めて世界を巡るからなんだそう。但し、2022年は音楽大国・露西亜が戦争を始めたことで壊滅状態、ここ数年続く世界的コロナ蔓延に状況はフクザツ、先は読めません。

 悩ましいのは音質状態、目の覚めるような解像度高い音質に耳馴染んだあとに、太古録音を拝聴。時に耐えられぬような、一部好事家向けの水準に出会って、幾度入手済ファイルを廃棄したことでしょう。もう歴史的音源はご遠慮しようかな?そんな矢先に思わぬ出会いや発見があったり、市井場末の音楽愛好家は日々揺れ動きます。Dorati Antal(1906ー1988洪牙利→亜米利加)はモノラル〜ステレオ〜ディジタル時代を生き抜いて、ミネアポリス交響楽団の主席在任は1949ー1960年。Mercuryの優秀な録音に恵まれそのステレオ録音は21世紀に現役、この2曲は第1回目のモノラル録音となります。そして後年英DECCA再々録音(コンセルトヘボウ管弦楽団)も話題になっておりました。他、洪牙利のオーケストラを振った録音もあったはず。

 Bartokに駄作なし、管弦楽のための協奏曲は最晩年の傑作(初演は1944年セルゲイ・クーセヴィツキー)三管編成+7種の打楽器は色彩豊かに平明わかりやすい作品。パワフルに厚みのあるオーケストラで聴きたい作品です。正直なところ、演奏個性にさほどのこだわり嗜好はなくて、たいてい名の通った演奏録音なら愉しめるもの。

”ステレオではない”だけの優秀な音質を堪能できました。うっかり聴いていたらモノラルとは俄に気付かぬほど
 そんな音質水準はちょっと褒め過ぎだけれど、かなりクリアな解像度に間違いないでしょう。この間、ユージン・オーマンディのミネアポリス時代(1931-1936年)の音源をまとめて聴いて、当時からの優秀な技量に驚いたものです。再録音と雰囲気はほとんど変わらぬから、ムリして聴かなくても良いかもしれません。

 怪し気に静謐、物憂く始まって雄弁なる第1楽章「Introduzione(序章)」。悲痛にヒステリックな弦による第1主題は厳しいティンパニによって鋭い楔を打ち込まれます。いくらでも雄弁に節回せるところ、ドラティは辛口に乾いて抑制した表現でしょう。やがてオーボエが寂しげな第2主題を歌って、展開部は緊張感漂う第1主題の変容、穏やかな第2主題(変容)を間に挟んで緊張感高まりつつ華やかにデーハーにパワフルな大爆発のうちに終わります。(9:17)

 第2楽章「Presentando le coppie(対の提示)」は乾いて軽妙ユーモラスな小太鼓のリズムが印象的。中学生時代初めてこの作品を聴いた時よりのお気に入りでした。木管、そして抑制した金管が落ち着きなく絡んで、弦は低音ピチカートと伴奏に徹しております。ここもドラティはほとんど飾りのない表現に素っ気ないイン・テンポ、オーケストラの緻密にデリケートなアンサンブルが光るところ。ラストも小太鼓が消えゆくように退場します。(5:55)第3楽章「Elegia(悲歌)」ここはいかにもBartokらしい、幻想的な「夜曲」。木管が美しいですね。各パートが自己主張する「協奏曲」、技量は文句なしだけど特別に色を表出させない、かっちりとしたアンサンブルに第1楽章の主題が悲痛に叫びます。その切れ味と低音打楽器効果はしっかりと聴き取れる音質。(6:25)

 第4楽章「Intermezzo interrotto(中断された間奏曲)」風雲急を告げる短い弦の導入から、のんびりと牧歌的な木管アンサンブルが美しく歌い交わします。やがて悠然とした弦がたっぷり歌って、この対比をドラティはあまり強調せず淡々としたもの。中間辺りトロンボーンの「ブーイング」と木管楽器の「嘲笑」(Wikiより)が印象的。やがて冒頭の木管アンサンブルが回帰して、短いけれどようできた楽章ですよ。(3:59)第5楽章「Finale(終曲)」は、冒頭ホルンぶちかましから弦の無窮動はオーケストラの技量が問われるところ。それは木管に引き継がれ、打楽器金管が華麗に激しく絡み合って、Bartok熟達の技法でしょう。やがて金管の高らかに歌い交わして、アツく緊張感は高まります。途中ちょっぴりユーモラスな東洋風の旋律にフーガが形成され、盛大なるフィナーレになだれ込みます。かっちりと縦線揃って、ムダのないアンサンブルは素っ気ないほどクール。ラストには唯一のタメが出現しました。(聴き馴染んだ改訂版)(9:10) 

 ついでと云っちゃ申し訳ないけどStravinskyの一番人気「春の祭典」も聴いておきました。この時期にしてかなりの解像度音質、低音打楽器もしっかり効いております。素っ気ないほど落ち着かぬ速めのテンポに、細部曖昧さのない整って乾いたアンサンブル、鋭くも正確なリズム感はこれもイン・テンポが基調。それが妙に切迫感とノリ、粗野なバーバリズムを感じさせ、第2部「生贄の儀式」後半に向かっていっそうの熱気が増したものです。(31:33)

(2022年12月31日)

【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi