Shostakovich 交響曲第5番ニ短調
(コンスタンティン・シルヴェストリ/ウィーン・フィル)


D Classics  BX707462 Shostakovich

交響曲第5番ニ短調(1961年)

Prokofiev

組曲「三つのオレンジへの恋」

Khachaturian

バレエ音楽「ガイーヌ」より3曲(以上1960年)

コンスタンティン・シルヴェストリ/ウィーン・フィルハーモニー

D Classics BX707462   10枚組4,980円(税抜)で購入

 この10枚組を購入したのが2001年4月、その少し後に(同じ店で)1,990円にて処分されていたのにはショックを受けたものです。シルヴェストリって人気ないんだな。じつは日本では超・人気作品であるShostakovich 交響曲第5番は、ここ数年CD時代を迎えすっかり苦手に・・・”怒れるロジンスキー”もオークションで処分しちゃいました。こどもの頃、コンドラシン盤(LP)にて震えるほど感動したのが夢のようです。そういえば、シルヴェストリ/ウィーン・フィルは「セラフィム1000シリーズ」で出ていたから、ちゃんと聴いていたはず。でもCD時代になってからの記憶がない・・・

 で、この演奏を聴いたのは久々であって、驚くほど感動しちゃいました。演奏内容の前に音質について〜あまりよろしくありません。明快さを欠き、奥行きも足りない〜が、この程度であれば作品を味わうのに不足はないでしょ。シルヴェストリは「爆裂・爆演」的イメージがあるけれど、ここではそんなことはない。

 第1楽章は、ゆったり遅く、沈静するような、開始となります。冒頭主題を力強くエグらず、そっとて慈しむようにていねいな表現となります。まさに荘厳。ピアノが打楽器的に登場する展開部でテンポアップするが、これも抑制が利いていて、走りすぎない。トランペットの行進曲にも急いた印象はないんです。オーケストラには厚みがあり、ホルンの響きは深く、味わい有。録音水準+シルヴェストリの表現故か、”場違いな甘さ”はなく、そして品を失いません。

 やがて、テンポは元の落ち着きを取り戻して、牧歌的にこの楽章を終えます。ラスト辺りのホルンとフルート、そしてクラリネットの掛け合いは、さすがウィーン・フィル!であります。結局、ずっと静かな印象のまま・・・この美しいヴァイオリン・ソロは誰でしょう。

 第2楽章はスケルツォであって、ここはバカ騒ぎしてもよろしいところだけれど、コントラバス、ホルン、クラリネット、そしてファゴットの技量はあまりに見事であって、あくまで品を失わない。やっぱり白眉はホルンかなぁ。野太く、圧倒的な迫力と奥行き有。ヴァイオリン・ソロがワルツを奏でだすと、それがパロディであろうと優雅な色合いとなるものです。見事なアンサンブルの集中だけれど、無機的ではなく華やかな明るさが広がります。メリハリと迫力に不足はないが、どこか優雅。

 第3楽章「ラルゴ」。金管抜きの楽章であり、R.Strauss「変容(メタモルフォーゼン)」を連想させます。ワタシだったら「エレジー」と名付けたいところ。ここはクリアな音質でウィーン・フィルの美技を堪能したかったが・・・いえいえ、充分美しい。この楽章が全体を印象づける”静謐”と”深淵”を象徴していると思います。

 そして(ちょっと喧しく、恥ずかしい)終楽章へ。ここではかなりの快速で突入し、それが”入念”ならぬ”軽快”をイメージさせます。つまり、”喧し”くはない。もっとリリカルに、颯爽と進めていて、ムリヤリな「戦いの勝利へ!」風大団円を作らない。途中からのいっそうのテンポ・アップも重厚さを強調しない。

 やがて嵐は収まって、やはり遠いホルンに乗せてさらさらと弦が美しい。テンポはもとの落ち着いたものに戻りつつあり、落ち着いた味わいのままクライマックスを迎えます。叫ばず、走らない。優秀なオーケストラの余裕を感じさせて、堂々たるスケールでラストへ。全体として、落ち着いて慎重な味わいがあるのはオーケストラが作品演奏に慣れていなかったからでしょうか。それと、メンバーが時代的にかなり昔の風情を残しているから?

 Prokofiev/Khachaturianはその一年前の録音であり、シルヴェストリは連続してウィーン・フィルに登場していたのでしょう。LPで4枚分ほどのウィーン・フィルとの録音が残っております。録音は、左右の分離を強調し過ぎるものだけれど、先の交響曲より高音が伸びて(相対的に)明快なもの。

 金管の華やかさがあり、エキゾチックな旋律を(やはり)優雅に歌って、下品になりません。Khachaturianに至っては、こんな土俗的な旋律を楽しげに、厚みのある響きで表現して下さって、3曲だけ(「若い乙女達の踊り」「子守歌」「剣の舞」)の収録は残念なものでした。もっと聴きたい!「レズギンガ」の爆発なんか、きっと素敵だったでしょうね。

(2007年7月15日)
<Kさま(クラリネットの達人)より、この演奏についての感想をいただきました>

普段ならそのホルンの部分だけ聴いてお終いになるところですが、 雷雨の中、これ幸いとたまには窓開け放して聴き、そのあとでヘッドフォンで再度楽しみました。

さて、ショスタコービッチの演奏についての感想を書かせていただきますと、

昔のあのレコードの音を懐かしく思い出しました、しかしあの時はもっと厚みの少ない音だったような気がします。
このCDではフォルティッシモでも高音がビリつくこともなく気持ちよく音量を上げることができました。
林様はエンジェルの録音がお嫌いだと推察しましたが、昔はエンジェルとフィリップスを足して2で割った録音が好き などといって結構ファンの多い、特徴的な録音ポリシーでありましたね。

細部のソロは相当ピックアップされていながら全体はやや靄の中、だからサージェントのシベリウスや、 ケンペのワーグナーを引き合いに出すまでもなくウィーンフィルとは相性の良いレーベルだと私は思っています。

演奏について先ず言えることは、彼らにとって不慣れな曲であったろうということ。 
その分一生懸命譜読みをしようという努力が伝わってきます。
奏者によってはまるでエチュードをさらっているようにしっかり譜面どおりに吹こうとしています。
それがこの几帳面さに繋がっているようで、特に第3楽章の弦楽器には、この楽譜を初めて見ながらこの指揮に 着いて行っているような緊張感が、楷書の演奏を作ると同時に大きな緊張感をもたらしているように感じました。

また、第2楽章のピッコロのソロはテンポが遅いこともあって、少しプロらしからぬリズム感覚になっておりますが、 (ひょっとしてシルベストリがこのようにイノセントに吹けといったのかもしれませんが、プロ中のプロですからね) これもおそらく不慣れなことからきた練習段階の基礎エチュード的吹き方になっているのだと思います。

たとえて言えば動物の謝肉祭の中のピアニストの部分の弾き方(冗談をやっていないほう)とお考えください。

さて60年代のウィーンフィルであれば、指揮の解釈とかは私にとってあまり重要ではありませんので奏者の雑感を。 (かといって、クレツキの「巨人」のような幕切れは困りますが)

金管楽器はほぼ完全に期待を満たしてくれました、特にこの時代のトロンボーン・チューバの音は素晴らしいですね、 ホルンはおそらくローラント・ベルガー氏が大きく関わっています、この曲の演奏史の中では最もホルンの 充実したものと言えると思います、トランペットもまた然り。

木管楽器は少し過去のまた過去(50年代前半)の「ウィーン・フィルの響き」が聞こえてきます。 フルートはトリップの前ですね、トリップやシュルツの柔らかく太い音がその後のウィーン・フィルの音として 定着したように思います、同じ意味でオーボエもそうです。

クラリネットはおそらくプリンツでもボスコフスキーでもありません、その先輩格でしょうが、ちょっとスタッカートに 癖がありますね、第4楽章でマーチの主題をソロで吹く部分など少し今日的な奏法ではありません。

まあ、木管のことは自分の専門ですので言い出したらキリがありません、無い物ねだりをすれば、 5年後の世代交代してからの音を期待してしまいますが、でもそれは仕方ないことです、 普段ならトーゼンここまで聴きませんし、考えもしません、先ず何よりもホルンが良ければそれで良いのですから。


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written by wabisuke hayashi