Ravel バレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲/
高雅で感傷的なワルツ(クラウディオ・アバド/ロンドン交響楽団)
Ravel
バレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲
高雅で感傷的なワルツ
クラウディオ・アバド/ロンドン交響楽団/合唱団
DG 469354(1988年録音)
う〜む。清潔、細部明晰、オーケストラも上手い、メリハリもある、音質も良好・・・なのに、これはなんだ?体調不良のせいか。昨日のアンセルメとは雲泥の技量差なんだけど(それだからどーの、ではない)、もともと精密なガラス細工のような作品を正確に再現しているのに、遊びというか愉悦、エッチが足らんのだな。 とは、 「クープランの墓」/「道化師朝の歌」/序曲「シェヘラザード」/古風なメヌエット/海原の小舟/「ジャンヌの扇」〜ファンファーレ/ラ・ヴァルスを聴いた時の感想(「音楽日誌」)なんだけど、それはそのまま「ダフニス」にも当てはまらんでもない・・・上記感想後3ヶ月を経、「遊びというか愉悦、エッチが足らん」ということが、否定的な意味合いばかりではない、と感じるようになりました。録音は極めて鮮明であり、強弱のバランスも理想的、ロンドン響の技術的洗練にも文句はない・・・
もとより50数分、起承転結のはっきりしない、目眩く華麗なエピソード連続、しかも緻密に細部描き込まれた作品は大好きなんですよ。ロンドン交響楽団と言えば1959年のピエール・モントゥーの素晴らしき演奏。新しければすべてが良い、ということにはならぬが、これほど細部明晰生真面目クール知的な仕上げに時代の変遷を痛感いたします。(といっても20年以上前)”細部明晰生真面目クール知的な仕上げ”→ピエール・ブーレーズを連想するが、出現した音楽の姿はかなり違います。最近のブーレーズだったら、ひとつひとつの旋律、音に雑念のみならず、油脂分まで完全に抜いて、ムダな力みをすべて削ぎ落としたような”達観”を感じます。(逆にオーケストラの個性が鮮明に表出される/妙な色気もある)
こちら北イタリア人クラウデォオ・アバドは(最近は知らぬが)”生真面目”に力点があるんじゃないか。細部描き込んで、ていねい仕上げ、曖昧さ皆無、弦も管も、そして打楽器のド迫力にも誠実な意志が感じられて(先ほどコメントの繰り返し)強弱のバランスも理想的〜なのに!
華やかさとか色気が足らんのだな。んなもの要らん!という人もいるでしょう。オーケストラの個性か、アバドの性癖か。しかし、二度三度と集中して聴き込むと(作品に馴染んでいることも前提だけれど)いままで曖昧模糊な雰囲気を愉しんでいた「ダフニス」に、新たな切り口を見せて下さる・・・各パートの旋律、強弱のバランス(微弱音から大爆発までレンジが広い)は、かつて馴染んでいたものとはずいぶん異なります。(異形に非ず、こちらのほうが明らかに正しいと感じる)第2部「戦いの踊り」にはかつて経験できないほどの爆発が〜しかし響きは濁らない。声楽のニュアンス、表情能生豊かさも、これほど新鮮に感じたことはない。録音が素晴らしいんです。会場の奥行き、自然な定位、空気、残響。
音楽は嗜好品だから、これが一番とは一概に断言できぬことでしょう。しかし、(少なくとも)音質は良好に越したことはない。近現代オーケストレーションの精華が映えますよ。(アンゲルブレシュトの1953年録音を称揚される方、申し訳ない)但し、続く「高雅で感傷的なワルツ」は同一方向の表現ながら「ダフニス」ほどの感銘はありませんでした。ワルツは生真面目一方じゃあきまへん。 (2011年7月8日)
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