ブルレスケ ニ短調(マルコム・フレージャー(p))/
左手のためのピアノ協奏曲「家庭交響曲余録」作品73/
交響的練習曲「アテネの大祭」作品74(ペーター・レーゼル(p))
(ルドルフ・ケンペ/シュターツカペレ・ドレスデン)


EMI cms7643422 R.Strauss

ブルレスケ ニ短調(マルコム・フレージャー(p)1975年
左手のためのピアノ協奏曲「家庭交響曲余録」作品73
パッサカリア形式の交響的練習曲「アテネの大祭」作品74(ペーター・レーゼル(p)1976年

ルドルフ・ケンペ/シュターツカペレ・ドレスデン

EMI cms7643422

 Malcom Frager(1931-1991)はたしか亜米利加のピアニスト、どういった経緯でケンペの録音に参加したのか、レーゼルだったら(旧)東独逸の人だから納得いきますよ。たまたま演奏会に呼ばれたのか。「ブルレスケ」は変幻自在ファンキーな名曲!華やか(いかにも超絶技巧)明晰なピアノ、ティンパニ大活躍(ゾンダーマンですか?)強烈な存在感、オーケストラはしっとり優雅に歌っております。変幻自在陰影たっぷりスパイスまぶしたLiszt風か、幾度聴いている作品だけど、こんなにヴィヴィッドに躍動する演奏初体験、最高。ゴージャス、愉しくてほとんど別作品みたい。残り2作品は、せいぜい耳にした程度、実質上初めてちゃんと聴いたもの。

 余禄 (parergon)の初演はドレスデン(1925年)だったのか・・・左手用の作品を多く委嘱したヴィットゲンシュタイン( 1887-1961)のための作品とのこと(「アテネの大祭」も。初演は1928年)。ブルレスケから一転して、暗い曲調、モノローグ風ピアノ・ソロが徐々に熱を帯びる、といった風情であります。前作にくらべ少々ジミかな?音質もちょっぴり落ちます。「アテネの大祭」は録音が少ないですね。勇壮なファンファーレから次々と短い変奏曲が展開される、明るくわかりやすい”パッサカーリア”。幻想的、美しい瞬間が頻出いたします。大御所ペーター・レーゼルも当時31歳の若手でした。(2014年8月「音楽日誌」より)

 上記に言い尽くされてド・シロウトがこれ以上云々すべきことはありません。久々の拝聴に、R.Straussの雄弁は協奏的作品にも遺憾なく発揮されていることに感服いたしました。作品もド派手、英語では”burlesque”、ユーモアと辛辣さを兼ね備えた、剽軽でおどけた性格の楽曲とやら(Wikiより)マルコム・フレージャーは忘れられた存在だけど、キラキラと華やかな切れ味、表情豊か、数年前の自分は”変幻自在ファンキー”と感じたもの。ティンパニ大活躍してオーケストラも躍動しております。そろそろ半世紀前の録音だけど、古さを感じさせないルドルフ・ケンペのアンサンブルも重厚、そして音質良好でした。(19:45)

 Paul Wittgenstein(1887ー1961墺太利→亜米利加)は第1次世界大戦で右手を失ったとのこと。「余録(パルレゴン)は「家庭交響曲」より「こどもの主題」が引用されているそう。深刻不安な風情より開始、ピアノ・ソロは左手のみでも充分雄弁多弁、四管編成の大きなオーケストラと対等平等に渡り合って、けっこう賑々しい、フクザツな作品でした。Peter Rosel(1945ー独逸)の技巧に微塵の疑念もないけれど、上記フレージャーに比べて音色が地味に感じるのは”左手のみ”の効果でしょうか。以前の感想では”音質もちょっぴり落ちます”とあるけれど、それはオーディオ専門筋の判断に委ねましょう。(21:32)

 「アテネの大祭」は、その道に詳しい方によると正確には「パンアテネ行進曲」らしい。「パッサカリア」とは昔の(Bach時代)変奏曲形式、Brahms 交響曲第4番ホ短調第4楽章「Allegro energico e passionato」に復活しておりました。「ブルレスケ」の華麗なる気紛れ、「余録」の雄弁多弁とも風情が異なって、味わい深いピアノとオーケストラによる対話は平明着実、次々と表情を変えて、歩みは着実であります。この作品は録音が少ないらしくて、ルドルフ・ケンペのこだわりを感じさせる成果でしょう。(27:46)

(2019年7月14日)

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written by wabisuke hayashi